#刑事の娘はなにしてる?第40回


     ☆

 女子中高生が集う「109」の前で、神谷はそわそわしていた。
「あいつ、どうしてこんなところを待ち合わせ場所に選んだんだ。こりゃ一種の虐待だぞ」
 神谷はぶつぶつと文句を言いながら、腕時計に視線を落とした。
 腕時計の針は十二時四十五分を指していた。
 朝陽との待ち合わせまで十五分。神谷には気の遠くなるような時間だった。
「ちっと早くき過ぎたな」
 神谷は周囲に首を巡らせつつ呟いた。
 掌(てのひら)の中でスマートフォンが震えた。
「朝陽か!」
 神谷はディスプレイに表示された名前を見てため息を吐いた。
「なんだ、お前か! 朝陽から連絡あるかもしれねえのに、かけてくるんじゃねえ!」
 神谷は電話に出るなり、送話口に怒声を浴びせた。
『もう、ひどいなぁ。渡辺満の報告の連絡なのに......』
 電話越しの三田村の膨(ふく)れっ面が、眼に浮かぶようだった。
 朝陽が気がかりで、三田村に渡辺を張らせていたことをすっかり忘れていた。
「渡辺満は出てきたか?」
『はい。神谷さんがいなくなってから十分くらいして、自宅から車で出てきました。行き先は、赤坂のタワマンでした。警備員の方に事情を話し、エントランスに入れて貰いました。渡辺満は、四十階の4001号に入りました。三時間以上経ちますが、佐藤大作は部屋に入っていません。もしかしたら、渡辺満より先に入ったかもしれませんね。だとしても、会が終わればメンバーは部屋から出てきますから引き続き張ってみます』
「わかった。なにかあったら連絡してくれ」
『なんでかけてきやがったって、怒鳴るくせに』
 三田村がイジけたように言った。
「根に持ってねえで、しっかり見張れよ!」
 神谷は一方的に言うと電話を切った。
 佐藤を追うのも大事だが、いまは朝陽を家に連れ戻すのが最優先だ。
 朝陽はなぜ、自分を呼び出したのだろうか?
 身に降りかかった悪夢を打ち明けようと......。
 神谷は思考を停止した。
 失いそうになる理性――神谷は懸命に平常心を掻き集めた。
 冷静になれ、冷静に......。
 たとえ朝陽からどんな悪夢を告白されても、取り乱してはならない。
 朝陽が自分を頼り、打ち明けてくれたのだから......。
 父として、受け止めてあげなければならない。
 父として、守ってあげなければならない。
 悲鳴が聞こえた。
 スクランブル交差点で、通行人が逃げ惑っていた。
 神谷は傘を捨ててダッシュし、パニック状態になる人波に突っ込んだ。
「男の人が刺されてるぞ!」
「女の子がナイフで人を刺してる!」
「血が一杯出てるわ!」
「救急車!」
「いや、警察だ!」
 方々から聞こえてくる悲鳴と叫喚が、神谷を急(せ)き立てた。
「おい、どいてくれ! 俺は刑事だ!」
 神谷は人波を掻きわけながら、スクランブル交差点の中央に走った。
「どけっ、お前ら! 邪魔なんだよ!」
 神谷は怒声を上げながら、人込みを掻き分け続けた。
 開けた視界――血の海に浮く男性。
 男性は、既に事切れていた。
 神谷は眼を見開いた。
 男性の死体は、佐藤だった。
 嫌な予感に導かれるように、神谷は顔を上げた。
「えっ......」
 神谷の視線が凍(い)てついた。
 降りしきる雨の中、ずぶ濡れで立ち尽くす少女。
 少女の顔も衣服も返り血で真っ赤に染まっており、右手にはナイフを持っていた。
「朝陽......お前......どうして......」
 声が震えた、足が震えた......心が震えた。
 夢だ、これは夢に違いない。
 朝陽が佐藤を......。
 こんな悪夢が、現実であるはずがない。
 そう、悪夢だ。
 神谷は眼を閉じた。
 覚めてくれ......早く、この悪夢を終わらせてくれ......。
 眼を開けたら、自宅であってくれ......。
 神谷は祈った。
 生まれて初めて、神に縋(すが)った。
 眼を開けた。
 ナイフを手に虚ろな眼で立ち尽くし、神谷をみつめる朝陽。
 祈りは通じなかった。
 眼の前の朝陽は夢でも幻でもなく、現実だった。
「ど......どういうことだ......どうして、こんなことを......」
 神谷は、切れ切れの声で訊ねた。
 一切の感情を喪失したようなガラス玉の瞳――相変わらず朝陽は、無言で立ち尽くしていた。
「なにかの間違いだろ? こいつに襲いかかられたから......身を守るために刺したんだろ? こいつからナイフを奪い......な? そうだよな?」
 神谷は強張った声で語りかけながら、ゆっくりと朝陽に歩み寄った。
 朝陽に訊ねると同時に、己に言い聞かせた。
 周囲の喧騒が鼓膜から......野次馬が視界から遠ざかった。
「なあ、そうだろ!? 朝陽......なんとか言ってくれ!」 
 神谷の悲痛な叫びに、朝陽の手から滑り落ちたナイフの金属音が重なった。
 朝陽は無言で、両手を差し出した。
「朝陽......そりゃ......なんの真似だ!?」
 神谷は、上ずる声音で訊ねた。
 朝陽の虚ろな瞳に、みるみる涙が浮かんだ。
「お前......まさか......本当に......」
 神谷の視界が青(あお)褪(ざ)めた――心臓が早鐘を打ち、両膝がガクガクと震えた。
 朝陽が両手を突き出したまま頷いた。
「そんな......」
 神谷は絶句した。
「嘘だろ......嘘だと......言ってくれ......嘘だと......言ってくれ......」
 神谷は放心状態で、うわ言のように繰り返した。
「親不孝して......ごめんなさい......」
 朝陽の頬に、一筋の涙が伝った。
 神谷は天を仰いだ。
 神谷の顔に容赦なく雨が打ちつけた。
「どいてください!」
「危ないから離れて!」
「両手を上げなさい!」
 男達の大声と複数の足音に、神谷は顔を正面に戻した。
 三人の制服警官が、朝陽に向かって拳銃を構えていた。
「拳銃を下ろせ!」
 神谷は朝陽の盾になるように立ち、三人の制服警官を怒鳴りつけた。
「危ないから下がってください!」
 制服警官の一人が、神谷に叫んだ。
「俺はこの子の父親だ!」
 神谷は警察に向かって叫び返した。
「ここは警察に任せて、下がってください!」
「馬鹿野郎! 俺も警察官......港署捜査一課の刑事だ!」
 神谷は涙声で叫びながら、取り出した警察手帳を震える手で突き出した。
「とりあえず下がってください! ホシの身柄は我々が......」
「ホシなんて言うんじゃねえ! てめえらに、指一本触れさせねえ!」
 鬼の形相で制服警官を怒鳴りつけた神谷は朝陽に向き直り、手錠を手にした。
 朝陽に手錠をかけるつもりはなかった......かけられるはずがなかった。
 だが、他人の手で朝陽を汚されるのは、なにより耐え難かった。
 朝陽は神谷をみつめていたが、どこか別のものを見ているようだった。
「すまない......」
 神谷は眼を閉じ、震える手で朝陽の細腕に手錠をかけた。

#刑事の娘はなにしてる?

イラスト/伊神裕貴

Synopsisあらすじ

4件の連続殺人事件が発生した。被害者の額にはいずれも「有料粗大ゴミ処理券」が貼られ、2人は唇を削ぎ落とされ、2人は十指を切断されていた。事件を担当するコルレオーネ刑事こと神谷は、3人目の被害者が、出会い系アプリで知り合った女子大生と会った翌日に殺害されたことを知る。連続殺人の犯人と被害者が抱える現代の増幅する憎悪に迫る!!

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『168時間の奇跡』(以上中央公論新社)『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『絶対聖域』『動物警察24時』など多数。映像化された作品も多い。

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