母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第五話 北の国から(6)
翌日は二人で隣の知床に足を伸ばし、知床五湖のあたりを歩いて回るツアーに参加したり、観光船に乗ったりした。
恵子には別れ際に携帯の電話番号を教え「父のことで何か覚えていることがあったら教えてください」と言って日程も知らせたけれど、連絡はなかった。
最終日、ホテルをチェックアウトし、レンタカーに荷物を載せているところに見慣れた軽自動車が入ってきた。
「恵子さん!」
先に叫んだのは、奈瑞菜だった。
彼女は車から走って出てきた。
「ごめんなさいね。やっぱり、どうしても最後に話したくて」
顔が蒼白になっていたのは、寒さのためばかりではないだろう。
「でも、僕たちはもう空港に向かわないといけないんですが」
「じゃあ、車に乗せてくれる? 空港からはたぶん、バスで帰ってこれるから」
運転は拓也がすることになっていたけれど、奈瑞菜が「私がする」と言って代わってくれた。
奈瑞菜が運転席、助手席に拓也、後ろの席に恵子が乗った。
「ごめんね」
車が走り出すと、彼女はもう一度謝った。
「もっと早くに連絡すれば良かったんだけど......私の決心がつかなくて」
「どういうことですか。恵子さんは父には......」
「ええ」
恵子はあっさり認め、拓也は思わず、後ろを振り返った。
「やはり父と?」
恵子は腕を組んで、目をつぶっていた。
「......いろいろ迷ったんだけど、ちゃんと話さないとあなたたちもずっと気になってしまうでしょ」
「はい」
「......慎也さんが来てくれたのは、私が槇の家に来て、まだ数年のことだったの」
恵子は静かに話し出した。
慎也さんがうちに来た時、私もまだ二十五歳になったばかりだった。本当は札幌か東京の大学に行きたかったんだけど、父が漁の事故で亡くなって、大学には行けなくなってしまったの。それをずっと引きずっていた。
本当に馬鹿で恥ずかしいことなんだけど、知り合いの紹介で槇の家にお嫁入りしても、私はどこか、この人生が本当の自分の人生とは違う、自分の人生は他にあるって、ずっと思っていた。別の場所に行きたい、誰かに連れ出して欲しいって願っていた。
そこに現れたのが、慎也さん。年齢も数歳若いくらいで、私は結婚してから初めて、やっと話の合う人が見つかった感じだった。
それで......本当に一夏の間だけ......恋に落ちてしまった。
もちろん、慎也さんは結婚前のことだし、慎也さんが悪いことはなんにもない。私がそんなふうに不安定でふらふらした気持ちでいた時に、その気持ちを理解して、受け入れてくれただけだから。
一夏だけで慎也さんは帰り、私は気持ちが収まらなくて、その年の暮れ、彼の実家に昆布を送った。そしたら、慎也さんがお礼の手紙をくれて......内容はただのお礼なんだけど、とても嬉しくてそれからもずっと昆布を送り続けてしまったの。
その後、もちろん、慎也さんが結婚されたのも知っているし、拓也君が生まれたという連絡も手紙で受け取った。私はショックを受けたけど、どうしても一年に一度だけ、慎也さんの手紙を受け取れる機会を逃せなかった。それだけが日々の生活の助けだった。昆布は仕事柄、いろいろな場所に送るから、一つくらい追加しても誰にも不審に思われなかったの。
ただ、一年に一度だけ送るだけなんだから、許して欲しいと心の中で夫や家族に謝っていました。
そして、六、七年前に、拓也君のお母さんが亡くなって三回忌も執り行った、と慎也さんから知らされました。
そこにはこれまで一度も書いてなかったことがあったんです。
――私も落ち着いたら、また、羅臼に行きたいです、って。
私は一度だけ昆布以外の返事を書きました。その頃、夫は亡くなっていましたが、義父の介護も大変な時だったから、今は無理ですと。そしたら、返事が返ってきました。
――では、都合がよくなったら連絡ください。
こんなことを言ったら、拓也君には本当に失礼で申し訳ないんですが、私はお互いに気持ちは通じ合った、と思いました。義父母を見送ったら、返事をしようと思っていました。
その一方で、なんだか、気持ちがすんだような気もしていました。お互いに気持ちが通い合ったのだから。それですぐに会いに行くことをせずに、ここで義母と暮らしていたんだと思います。
そう考えながら日々を暮らしていて、拓也君から手紙をもらいました。
正直、頭が真っ白になって、あのようなぶっきらぼうな手紙になってしまいました。それで、あなたたちにここまで来てもらうようなことになって、本当にごめんなさい。 もう一度、慎也さんに会いたかったです。別に何をしようと言うんじゃない。ただ、会ってお顔を見たかった。なんで、会おうとしなかったのかと悔やみました。
でも今、心のどこかで、これでよかったんじゃないか、と思っています。会えなくて、会わなくて、私は申し訳ないことを、あなたにも慎也さんにも......奥様にも、せずにすんだと......。
帰りの飛行機の中で、ぼんやりしている拓也に奈瑞菜が言った。
「わかってよかったじゃん」
「......そうかな」
「そうだよ。だって、このまま知らずにいたら、もっと悪いことを想像してたかもしれない」
「でも、母のことを考えるとさ」
奈瑞菜は拓也の手を握った。
「でも、お父さんも、恵子さんも、何もしてないよ。ただ、昆布を送って、手紙をやり取りしただけ......気持ちを言葉にもしていない。あれは恵子さんの話だけ。お父さんはそんな気持ちはなかったのかもしれない」
「そうだね」
「そのくらい、許してあげたら」
「許すも何も」
空港で別れた恵子の姿を思い出した。
彼女は車を降りた後、ずっとぺこぺこと頭を下げていた。セーターにスラックス、コート。その服は皆、着古したものだった。あの家を見ても、決して裕福ではない、恵子の現状がわかった。
奈瑞菜は別れの挨拶をしていたけど、拓也はほとんど彼女に声をかけることなく、空港に入ってしまった。あの人は今頃、一時間半ほどの道のりを、一人、バスで戻っているのだろうか。
「あの人、なんで、こんなことを話してくれたんだろう」奈瑞菜はつぶやいた。
「きっと、誰かに話したかったのかもね」
自分で尋ねて、自分で答えていた。
拓也は返事をしなかったが、たぶん、そうだろうと思った。
恵子は、奈瑞菜に矢継ぎ早に問い詰められた時も、困惑しながら怒ってなかった。誰にも話せなかった恋を全部話したい気持ちがどこかにあったんだろう。
父はここ最近、ずっと指輪を外していた。その一方で槇さんの住所を、家族のアドレス帳には書き込まず、それでも伝票を残していた。それらすべては何を物語るのだろう。
「拓也には複雑かもしれないけど、結局、二人とも気持ちだけで行動はしてないよ」
そうだ、確かに、父は一度だって、拓也や母を捨てるようなことはなかったし、一度だって北海道に近づこうとはしなかった。
母が死んで何年かして、やっと彼女と連絡を取った......。
その時、飛行機は高度を上げ、ゆっくりと北の大地から浮遊した。
まだ、割り切れない気持ちを抱えながら、拓也は目をつぶり、口で言うほど自分は父も恵子にも怒ってないことに気がついていた。
Synopsisあらすじ
吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?
Profile著者紹介
原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。
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