母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第二話 ママはキャリアウーマン(6)

 翌日、母が札幌で仕事をしていることはわかっていたが、連絡は取らなかった。母からも何も言ってこない。
 昨日、ちらっと聞いたのは、札幌で家事代行業をやっている人に会って、話しを聞き、業務提携ができないか打ち合わせをするという話だった。
 今日もまた、母がどこかで「女性の仕事、女性の人生、云々」を誰かに語り、説いているのかと思うと、どこか、哀れにも思えた。
 自分の娘にも受け入れられないのに。
 一方で食事のあと、目に見えるように肩を落とした母を思い出し、胸が痛くなる。
 莉奈がそんなふうに思っていたとは、夢にも考えていなかったのだろう。
 でも、莉奈としても、もう、母の言いなりに生きるわけにはいかない。
 専業主婦として、少なくとも、子供が小学校に行くくらいまでは一緒にいたい。子供が大きくなったら、彼らが学校や部活の間、目に付かない範囲くらいで少し働くくらいなら、将来考えなくもないが、今はぜんぜん働きたくない。

「莉奈、いいの?」
 日曜日の午後、昼ご飯の片付けをしている莉奈に、大樹が言った。
「何が?」
「お義母さん、今日の夕方の飛行機で帰っちゃうんでしょ。ちゃんと見送りとかしなくていいの? 最後に話しをしておいたら」
 あの夕飯のあと、大樹には母の暴言を謝った。彼は気にしておらず、むしろ、母のことを心配してくれた。
「莉奈のお母さん、本当に頑張ってここまでやってきたんだよ。それなのに、あんな言い方して......お気の毒だよ」
「だって、はっきり言わないと、あの人はわからないんだよ! あのくらい、たぶん、気にしてないよ。そういう人だもん」
 大樹は苦笑していた。そしてまた、彼は莉奈に言った。
「莉奈、お義母さんにはきついよね」
「え? そうかな」
 びっくりした。母にはいつも気を遣って、言いなりに生きてきたつもりだったから。
「莉奈、会社とか周りの人とかすごく気を遣うし、びくびくしているみたいなところあるじゃん。でも、お義母さんだけには強気だよね」
「そりゃ、親子だもん。でも、気も遣っているよ」
「でもあんなに大きな声を出して反抗できる人、他にいる? 俺にだってあんなこと言わないでしょ。たぶん、唯一の存在なんだと思うよ。莉奈にとって」
 そう言われると、急にそわそわしてきた。
「JALの羽田行きの、新千歳発最終便、何時だっけ?」
 思わず、壁時計を見上げた。一時半だった。
「JAL? JALは九時ぐらいじゃないかなあ」
 大樹がスマホで調べている間、莉奈は米びつを開けた。圧力鍋ならば、すぐに炊き上がるはずだ。食紅も甘納豆、ジャガイモも常備している。餅米とうるち米を同量、ボウルに入れて、研ぎ始めた。ジャガイモも洗って、鍋に入れる。
「お義母さんの飛行機、最終じゃないよ。夕方の便だ」
 大樹が親子のLINEグループを見ながら言った。
「わかった」
 低く、小さく答えた。
 餅米とうるち米は同量ずつ、今日は二合ずつに決めた。それを研いだあと、箸の先にほんの少し付けた食紅を混ぜた水で三十分ほど汲水させる。圧力鍋でそれを炊いている間に、金時豆の甘納豆を水洗いしてまぶしてある砂糖を洗い流す。
 ジャガイモもむいて四つに切り、茹でて潰し、片栗粉を混ぜた。少し粒を残してジャガイモで作っていることをわかるように。フライパンで焼いて、醤油みりん、砂糖で味付けたが、母はきっと飛行機の中でビールを飲む。つまみでも食べられるように、少し甘みは控えた。
 そうしているうちに圧力鍋の赤飯が炊けてきた。開ければ、ピンク色もほのかに色付いている。水洗いした甘納豆を加えてしばらく蒸らし、おにぎりにする。おにぎりの表面に豆がくるように、握った後埋め込むと、きれいだし、味もいい。
 それらをプラスチック容器に詰めた。
「早く、早く」
 大樹がマンションの前に小型車をつけてくれて、乗り込んだ時には四時を過ぎていた。莉奈はお弁当の包みを抱えて、助手席に座った。
 ほの温かくずっしりと重いそれはなんだか小動物のような、赤ちゃんのような感じがして、気持ちが揺れた。
「ママ、喜んでくれるかな。もしかしたら、炭水化物ばっかりで、『私を太らす気?』って怒るかも」
 ふっとつぶやくと、大樹は「大丈夫、喜ぶよ」と力強く言った。
「なんで、わかるの?」
「莉奈を育ててくれた、お義母さんだもの」
 鼻の奥がつんとして、それを見られないように窓の外を見た。九月の北海道の夕方はすでに薄暗くなりかけていた。
 空港の正面に大樹は車を着ける。
「おれ、駐車場を探してから行くけど、たぶん、間に合わない。お義母さんによろしく伝えて。終わったら、LINEで連絡して!」
「わかってる! ありがとう!」
 莉奈は助手席から飛び出した。
 走って、手荷物検査場を探す。
 日曜日の空港は混んでいた。時々、人とぶつかりながら走ってると、さっきの涙の続きが出てきそうになる。
 検査場の列に並んでいる母を見つけた。
 白いスーツを着て、小型のスーツケースを携え、りんとした表情で前を見ていた。
「ママ!」
 莉奈が呼びかけても、母は気づかない。ただ、じっと前を見ている。
「ママ! ママー」
 子供のように、大声を張り上げた時、こんなふうに必死で母を呼ぶのはいつぶりだろう、と思った。
「莉奈」
 母はやっと気づいて振り返った。
「莉奈、どうしたの?」
 莉奈は母の元に駆け寄った。
「ママ、これ」
 お弁当の包みを差し出す。
「お弁当って言うか、おつまみって言うか、お土産って言うか。飛行機の中で食べて。全部、北海道の料理、私が作ったの。ママ、気に入らないかもしれないけど」
「そんなことない......ありがとう」
「......いろいろ、ごめん」
 莉奈は言いたかった。一昨日の夜、必要以上に強い口調で母を否定してしまったけど、それは本意ではなかった。働きたくないのは本当だけど、母の人生を無にするような言い方はやり過ぎだった、と。
 しかし、母の方がすぐに言った。
「私こそ、ごめんね。莉奈がそんなふうに思っているって、ママ、気づかなかった。ぜんぜん知らなかった。ごめんね、今まで」
「ううん、私も言い過ぎた」
「いいえ、言い過ぎたのは私」
「思ってなかったことまで言ってしまったの」
「そんなのわかってる!」
 列は検査場に近づいた。
「じゃあね! またね!」
「また来てね!」
 最後まで何度も何度も、母の後ろ姿が見えなくなるまで手を振った。
 気づいたら、頬がぬれていた。

 一週間ほどして、東京の母から小包が届いた。
 新井莉奈様、と母の字で書かれた伝票がどこか面映ゆい。
 段ボール箱を開けてみると、まず、ビニール袋に包まれたプラスチック容器が現れた。莉奈が弁当を入れた容器だ。それを返すために送ってくれたらしい。付箋が貼ってあって「ありがとう」と書かれていた。
 そして、その下からは鮮やかな黄色の大きな箱......。
「東京ばな奈じゃん!」
 北海道にはおいしいお菓子がたくさんあるのに、また、よりによって。
 さらにもう一箱、ずっしりと重い小箱が出てきた。舟和の芋ようかんだった。
「こんなに甘いものばっかり、どうしたらいいのよ」
 思わず、小言が出てしまう。
 ――これは大樹の会社に持って行かせよう。
 次にいくつかの派手な手提げバッグが入っていた。すべて、エコバッグだった。店の名前や商品の名前が入った、ノベルティのようなものばかりだ。
「あー!」
 思わず、声が出てしまう。
 そうだった。杉並区はレジ袋をくれないスーパーが多い。でも、母はエコバッグを持ち歩くのが苦手でいつも忘れる。そのくせ、ちょっと意識が高いからレジ袋を買うことも良しとしない。結局、店のエコバッグを毎回買ってしまう、悪い癖があった。
「いったい、いつから溜め込んでたんだろう。それを私に押し付けて......」
 苦笑いが出てきた後、しみじみとした気持ちが胸にこみ上げてきた。
 最後に箱の底から男物と女物の長袖シャツ、女物の厚手の靴下が出てきた。シャツはスポーツブランドの防寒下着だった。やっぱり、付箋が付いていて「そちらはこれから寒くなるでしょうから」と書いてあった。
「ババシャツじゃん......」
 母は若い頃から断固としてババシャツを拒否してきた人だった。あれを着たら「女は終わりよ」と言って。きっと、苦肉の策で、こういうブランドのものならいいだろうと考えてくれたのがわかった。
 箱の中身を改めて見直す。絵に描いたような東京銘菓、エコバッグ、ババシャツ。
「いろいろ工夫してるけど、ダサい」
 思わず、笑い声が漏れてしまう。
 一生懸命工夫しているけど、その妙な意識の高さで一周回って「ダサい」。
 母はダサかったんだ。
 温かい安心感と母の思いが心に広がって、莉奈はいつまでもくすくすと笑い続けた。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー