母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第一話 上京物語(5)

「ちょっと、美羽、あんた、美枝子からブランドバッグもらったんだって?」
 母が自分の名前を呼び捨てにし、さらに、あんた、と呼ぶのはやばい兆候だった。早朝の電話だったけど、飛び起きた。
「おばさんがくれるって言ったから」
「だからって、向こうの使い古しのバッグをあさるようなことしないでよっ! 恥ずかしい。美枝子ったら、美羽ちゃん、狂喜乱舞してたわよ、そわそわしちゃって田舎の子ってかわいいわねえってあざ笑ってたわよ」
 美羽は首を傾げる。まあ、喜んだけど、狂喜乱舞というほどではないはずだった。
「だって、お金かバッグか選べって言われたんだもん」
「知らないわよっ。お母さん、どれだけ恥ずかしかったか」
「そんなこと言うなら、ものはもらうなって、最初から言っておいてよっ」
 恥ずかしさと、母の理不尽さと、美枝子さんへの不信感で、つい大きな声を出してしまった。
「ちょっと、ママの友達の家に行って、入学祝いをもらうだけでよかったのに、そんなこともできないの? パパやママに恥をかかせて」
「ママだって、本当は東京に来たかったんでしょう」
「は?」
「本当は東京の男と結婚したかったのに、合コンうまくいかなかったから、しかたなく地元の男と結婚したって言ってた! いつもと言ってることが違うじゃん」
 電話の向こうで母が息を呑んだ気配がして、少しだけすっとした。
「自分が東京に来れなかったからって、私にも同じ境遇を押しつけないでよね。私がうらやましいの? 自分の不幸に私を巻き込まないで」
「美羽、そったなこど......」
 母は混乱しているのだろう。たぶん、方言で話していることも意識してないくらい。
「なして、そったら怒るの! ママの言うことわがらねぁー」
 母につられて地元の言葉になった。
「わがらねなら、それでいいが、親に恥かがせるな。しょすかったっ」
 母の方言も久しぶりに聞いた気がした。あまりにも頭にきて、美羽はそのまま、電話を切った。
「うー。うー」
 美羽は自分の気持ちを処理できなくて、スマホを持ったまま、狭い部屋の中をうろうろした。檻の中の熊のように。
 いったい、自分のどこが悪いのだろう。
 母に言われた通り、母の友達の家に行った。そして、勧められたからバッグをもらった。何も落ち度がないと思う。
 しかし、今回わかったのは、二人の間にそんな複雑なわだかまりがあったということだ。いや、わだかまりがあるのは母の方だけかもしれない。だけど、美枝子さんもどうしてそんなことを私にしたり、言ったりするのか。男の数を争っていたのは、昔の話だと思っていたけど、今は幸福の数を争っているのかもしれない。
 そこまで考えた時、家のインターフォンが鳴った。
 驚いて、しばらくドアを見つめてしまった。すると、「ピンポン、ピンポン」と矢継ぎ早に鳴らされる。それが鳴るのは、金髪店長が冷蔵庫を運んできて以来だ。だいたい、ここに美羽が住んでいると知っている人もほとんどいない。
 そっと、ドアののぞき穴をのぞく。
 宅配の青い制服を着た男が大きな段ボール箱を持って立っていた。
「はーい」
 慌てて、髪をかき上げてドアを開いた。
「吉川さん? 宅急便です」
「あ」
 ハンコがないことに気づいた。
「サインでいいですよ」
「はい」
 サインをしている時に、差出人がわかった。母だった。
「結構、重いです」
「じゃ、ここに」
 玄関の足下に置いてもらう。
 配達人が去って、ドアを閉めると、慌てて引きちぎるように箱を開けた。
 最初に目に入ってきたのは地元の新聞「岩手日報」だった。荷物の上にかぶせるように乗っていた。それを取り除くと、新しいビニール袋に入ったままの暖か下着が、白と黒二枚、やっぱり、全体を覆うように乗っていた。長袖のシャツ、通称ババシャツ、ユニクロのヒートテックとかではなく、どこのメーカーかよくわからない品だ。地元の商店街で買ったものだとすぐにわかる。
「東京はもう、岩手みたいに冷えないんだからね」
 思わず、小声で言ってしまう。
 その下には袋入りの鰹節と海苔と、小袋に分かれたおかき。鰹節や海苔は、これでご飯を食べろということだろうか。おかきはもらい物かもしれない。信金に勤める父の元には、いつも何かしらの贈り物が届いていたから。
「こんなの東京にも売っているんだって」
 また、自然に小言が出てしまう。
 次に大きめのプラスチック容器が出てきた。大きい方を開くと、くるみがんづきが出てきた。
「あ」
 がんづきは地元の言葉で、黒砂糖や玉砂糖を使った茶色い蒸しパンだ。玉砂糖というのは東北で売っている、ところどころが塊になった茶砂糖だった。それを使うとがんづきの中に黒く甘いシミができておいしい。
 がんづきは父方の祖母の得意な菓子だった。美羽が好きなので、母は作り方を習って、何度も作ってくれた。祖母のものは玉砂糖を使って、クルミを中にも外にもいっぱい入れるのが特長だ。
 思わず、指でちぎって口に頬張る。玉砂糖の味とクルミの香りが舌にしみいる。
「うんめえ」
 思わずうなった。
 祖母は厳しい人で、母は少し苦手だったのを知っている。だけど、美羽がせがむから母は頭を下げて、作り方を習ったのだ。
「がんづきの作り方も知らねで、嫁にきたか」
 そんな嫌みを言われながら、習っていたのを昨日のことのように思い出した。
 もう一つのプラスチック容器も開けてみる。
 そこには茶色くて丸いものがぎっしりと入っていた。
 心がしんとなった。
 美羽は一つ、取り出してじっと見た。きっと、東京の人はこれがなんだか、わからないだろうな、と思った。
 ビスケットの天ぷら、という、母の実家がある村だけの菓子だった。
 母が生まれた山間の村は、真冬は雪が二メートル以上も降り積もる。雪深く、時には孤立してしまうような村で、食料が不足してしまった時、希少なビスケットに衣を付けて揚げたのが始まりだったと聞いていた。岩手のたった一つの村だけで作っていたものだけど、最近、地元の番組で取り上げられたことをきっかけに、少し知られてきているらしい。
 はふっと噛むと、懐かしいとしか言えない味がした。ほのかに甘く油っこい。ビスケットのサクサク感はなくなって、柔らかい素朴なドーナツのようになっている。
 これもまた、美羽の大好物だった。
「美羽は変なものが好きだね」
 母は嬉しそうに言って、二人でよく作って食べた。母はこれをなぜか、父や兄には出さなかった。母と美羽の内緒のお菓子だった。父に田舎の菓子だと馬鹿にされるのが嫌だったのかもしれないし、男が食べるものではないと思っていたのかもしれない。
 噛むごとに、涙があふれてきた。
 母はこの村に生まれ育ち、でも、勉強ができたから自分で強く希望して、盛岡市の高校に進学した。親戚の家から通ったと聞いている。
 その人が、さらに「東京へ」と希望したとて、何がおかしかろう。そして、夢破れて、東京が「大嫌い」になっても不思議はない。
 容器の下に手紙があった。
 身体に気をつけて、だの、門限守りなさい、だの、いつもの小言が書かれた後に、「がんづき」の作り方が書いてあった。そして「かーさんケット」入れておくから、自分で揚げて食べなさい、ともあった。材料の米粉も添えられていた。
 ――美羽もわかっているだろうけど、ビスケットの天ぷらは作りたてが一番おいしいんだから。
 袋入りの「かーさんケット」は素朴なビスケットで、それじゃないと本当のビスケットの天ぷらにならない、と母は常々言っていた。二十四枚入りが三袋も入っている。
 衣のレシピは小麦粉と米粉を半々にベーキングパウダーと砂糖を加えたものだった。昔は手に入りやすい米粉だけで作っていたらしい。
 途中、「ホットケーキミックスで作ると良い」という噂をどこからか母が聞いてきて、それも試してみた。ぷっくりと大きく膨らみ、甘みの強いできあがりに、美羽も母もしばらくは夢中になったが、数回作ると飽きてきた。
「やっぱり、前のがいいな」と美羽が直訴すると、「こっちの方が楽なのに」と文句を言いながら、元に戻した。やっぱりどこか嬉しそうだった。
 小包には他に、祖父が作った米と、隙間にストッキングと靴下が詰め込まれていた。 美羽は「かーさんケット」の袋を開いてそのまま食べた。マリーのビスケットに比べると、さっぱりした甘さで、しゃりしゃりした硬い歯ざわりだ。泣きながら思う。母の気持ちも少しは理解できたし、小包は嬉しい。
 でも、どんなにビスケットの天ぷらが甘くとも、東京に残りたい気持ちは変わらない。
 さくっと鳴るビスケットの音。
 これは母と自分との、長い戦いのゴングなのだ。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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