母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第一話 上京物語(3)

「どうしたの? そんな顔して」
 夕方、駅前の青果店で美羽がじっとピーマンを見ていると、急に後ろから声をかけられて、飛び上がるほど驚いた。
 文字通り、小さく叫び声を上げてしまったほどだ。
 あたりの人、青果店の店長や他の客が振り返った。
 声をかけてきたのは町田だった。笑いながら、「ごめんなさい、ごめんなさい」と周囲の誰彼となく、謝った。
「吉川さんたら、親の敵みたいな顔でピーマンをにらんでいるから」
「いえ、安いからびっくりしてしまって」
 あらら、私たち、入口で立ち止まってたらじゃまだわね......町田は小さく言いながら、さりげなく、美羽と自分を外に導いた。
「どう? 一人暮らしにはもう慣れた?」
 新学期が始まって数週間、慣れたも慣れないも、まだ何もわからない。学校では授業は選んだし、クラスのオリエンテーションも済ませたけれど、まだ顔見知り以上の人はいなかった。
 なんと言っていいのかわからなくて、思わず、口ごもってしまった。
「ピーマン、買っていくの?」
 美羽が言葉に窮しているのがわかったのか、彼女は話を変えてくれた。
「いえ......すごいなと思って」
「ああ、値段? ここはこのあたりで一番安いからね」
 美羽は店先のピーマンを小さく振り返った。
「田舎より、安いから。うちのあたりでも一袋百円くらいです。でも、ここじゃ、二つで五十円で、なんだか......」
 美羽は言いよどんだ。
「ずっと、都会はなんでも高くて、住みにくいって聞いていたのに、こっちの方が安いだなんて」
 もちろん、ピーマンだって親戚からもらえることもあるけど、身内や友達しかその特権はない。
「......東京には日本中のものが集まってくるし、その中でも安いものを選んでいるからだと思うよ。今のは宮崎産かな」
「そうですね。なんだか......」
 美羽は、東京というものがなんだか、怖く感じたのだった。巨大なブラックホールみたいになんでも引き寄せて吸い込んで、なんでも選べるけど、その選択肢を他の地域から来た人間には与えない街。
 田舎者の自分は結局、東京では何も選べずに終わるのではないだろうか。友達もできず、すごすごと実家に帰ることになるのではないか。
 でも、それを、町田にうまく説明することはできなかった。
「私も仕事のあと、ここで買って帰るの、家の近くよりずっと安いから」
「仕事帰りですか」
「そう」
「お疲れ様です」
「ねえ、家具とか、大丈夫?」
「あ、まだ、何もそろえてなくて」
「家に何にもないの? コサカアパートは台所には冷蔵庫もなかったわよね」
 町田はちょっと上の方を向いて、何かを思い出すようなしぐさをした。さすがに不動産屋らしく、そういうことも覚えているらしい。
「はい。今は家の近くのコンビニで買ってその日のうちに食べたり飲んだりするようにしていて」
「冷蔵庫がないの、不便じゃない?」
「......はい」
「よかったら、私が言ったリサイクルショップ、見ていく? 紹介しようか」
 実は、そろそろ家具をそろえなくてはと思いながら、町田のところに行っていいのか悪いのかもわからなくて、遠慮していたのだった。
 いいんですか、お願いします、と言おうと口を開こうとした時、町田が慌てたように言った。
「あら、ごめんなさい。私、ずうずうしくて。忙しかったら、遠慮なく断って」
 美羽はその慌てた様子に思わず、笑ってしまった。
「私もお願いしようかと思っていたので、一緒に行ってくださったらありがたいです」
 なんだか、久しぶりに、誰かと笑い合った気がした。相手は母と同じくらいのおばさんだけど。
「そう? じゃあ、行こうか。今日、気に入ったのがなければ決めなくていいんだからね」
 町田はそう言って、先に立って歩き出した。
 店長と知り合いというのは本当のようで、店の奥の三十代くらいの男の人に彼女が話しかけると、彼はすぐに出てきてくれた。緑のTシャツに大きな黒いエプロンをしていて、髪は金髪に染めている。後ろを向いたら背中に大きく「SEX!」と書いてあった。美羽が一人だったら、とても話しかけられなかったに違いない。
「冷蔵庫? 今、あるのは四つだけなんだけど」
 すぐに、店頭に並んでいるのを指さした。
「無印のシンプルなのと、東芝とあと、どこかわからないやつ」
 無印の冷蔵庫は真っ白でかっこいいけど一番大きくて美羽の部屋には置けそうもなかった。東芝というのはベージュで、あとは緑の二層のものと、白くて小さな旅館の片隅に置いていそうなものだけだった。
 値段は数千円から三万くらいまでと幅がある。
「どうする?」
 町田は美羽の顔をのぞき込む。
「うーん」
 きっと、彼女は一緒に部屋をまわるうちに、美羽の迷いやすく、こだわりが強い性格を見抜いているはずだった。
 無印は絶対無理として、東芝も少し大きい。緑のは大きさも八千九百円という値段も悪くないが、ここまで強い色だと今後のインテリアが限られそうだった。一番小さいものは飲み物くらいしか入らない。でも五千九百円だし、最初はこのくらいの方がいいかもしれない。
「でも、これから料理とかするなら、さすがにちょっと小さすぎるかもしれない」
 町田は首を傾げた。
「そうですよね」
 実は美羽はほとんど料理ができない。家を出る時、母にご飯と味噌汁の作り方だけは改めて教わったけど、その間母は泣いていて、正直、作り方がまったく頭に入ってこなかった。でも、今後もまったく料理をしないわけにもいかないだろう。
「緑って、意外と部屋に溶け込んで、気にならないですけどね」
 金髪店長が急に口を開いた。
「そう?」
 町田が懐疑的に、彼の顔をのぞきこむ。
「カントリー調とか、ナチュラル系とか、アメリカン、アジアン、とかなんでも対応しますよ」
「本当かなあ」
 町田が美羽の耳にささやく。
「迷うなら、少し考えてみたら? 冷蔵庫、大きいし、大事だよ」
 美羽は店長の言葉に、確かに、意外にいいかもしれないと思っていた。緑と言っても、モスグリーンだから部屋になじみそうだし、美羽が考えていた部屋のプランもカントリー調だった。緑なら合うかもしれない。
「これ、買ってくれるなら、二千円安くして六千九百円にしますけど」
「え」
 思わず、町田と一緒に声がそろってしまった。
「あと、トースターも付けちゃう」
 店長が少し離れたところにあった、トースターを持ってきて、冷蔵庫の上にのせた。「えー。トースターなら、電子レンジつけてよ」
 町田が遠慮ない口調で言った。
「うわっ、町田さん、あこぎだな」
 しかし、店長は文句を言いながら、本当に一番小さい電子レンジを持ってきて、トースターの代わりに置いた。
「これで六千九百円、内税だ。持ってけ泥棒って感じですよ」
 町田はまた、美羽の耳にささやく。
「そうは言っても、本当に気に入ってないならやめてもいいからね」
「......買おうかな」
 つい口が動いてしまった。
「え、本当に?」
「はい」
 なんだか、町田と金髪店長の会話を聞いていたら、本当に買いたくなってきた。
 町田が店長に向かう。
「じゃあ、これから、この子がこの店で買うものは二割引にしてあげてよ。電灯とか本棚とか、これからまだいろいろ買う可能性があるんだから」
 店長がこちらを見たので、美羽も慌てて、大きくうなずいた。
「まいったなあ。じゃあ、二割引もつけますよ。その代わり、本当にうちで買ってくださいよね」
 彼がその日の閉店後に部屋まで運んでくれることになって、お金もその時払うことに話は決まった。

 金髪店長は本当にトラックで美羽の部屋まで運んでくれた。二階の部屋まで広いとは言えない階段をえっちらおっちら一人で上った。
「私、手伝いましょうか」
「いい、いい。慣れてるから、一人の方がバランスが取れるんだ」
 レンジも運んで、キッチンの脇に置いてくれた。
「じゃ、六千九百円」
 帰りにコンビニで下ろしたお金を渡した。
「どうも」
 彼は札をお祈りするように受け取った。
「今夜、暇?」
「え」
 あまりに急に言われて、うまくリアクションが取れなかった。
「いや、今夜さ、高円寺の若い連中で......いや、若いたって、三十代も四十代もいるから吉川さんからしたら老人だけどさ、商店街にある沖縄料理の店で飲むから、よかった来なよ」
「はあ」
「気を遣うような奴らじゃないし、若いメンバー、大歓迎だから」
 じゃ、と手を振って、美羽の返事も聞かずに帰ってしまった。
 窓から、店長のトラックが去って行くのを見ながら、「どうしようかな」と思う。
 こっちに来てから、誰とも友達になってないし、まだ、ご飯を食べに行ったこともない。
 クラスの皆は、もう、他大学の新歓コンパや仮入部に出かけているらしい。美羽は、入学式の日、チラシを一枚も受け取らなかったからどこにも行けない。誘ってくれる友達もいなかった。
 授業さえ始まれば同じクラスの誰かと友達になれると思っていたけど、オリエンテーションでのことがトラウマになって、一人でいる子がいても話しかけられずにいる。
 とにかく、誰かと話したいな、と思った。
 家族や不動産屋さんじゃない誰かと。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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