母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第六話 最後の小包(5)
次の日、荷物をまとめて大阪行きの新幹線に乗った。
胸はまだ時たまうずくけど、もうしかたがない。
品川駅で今度は弁当とビールの五百ミリリットル缶を買った。これを飲んで、ぐっすり寝てしまおうと思った。
しかし、そう簡単にはいかなかった。やはり食欲は少しもないし、ビールを無理矢理喉に流し込んでも眠気はこなかった。頭の中にまさおと話したこと......一つ一つの言葉や彼の表情が浮かんで結局、一睡も出来ないまま、大阪に着いた。
地下鉄で会社の寮がある阿倍野まで行き、部屋に着いた。
ドアポストに宅配便の不在通知の黄色い紙が何枚も挟まれているのが見えた。それを左手で取って、右手でドアを開きながら見た。
「え、えええ?」
驚きのあまり、鍵を落としそうになった。
差出人のところに、平原優子と書いてあった。母からの荷物のようだ。
どういうことなんだろう。母が死ぬ前に送ったのだろうか。
靴を脱ぐのももどかしく部屋に駆け込むと、スマートフォンを出して不在通知に書いてある電話番号を押す。クリックする手が震えてしまう。
ちょうど配達人が近くにいるということで、これから一時間くらいでお届けに上がります、と言われた。
その間も、何もする気が起きず、しばらく部屋の中をうろうろした。しかし、こうして待っていてもしかたないと思い、なんとか着替えをし、バッグの中身を片付けた。下着などを洗濯機に入れて回す。水音が聞こえてくると、ほんの少しだけ落ち着いてきた。
母からの宅配便......いったい、中身はなんだろう。届いたのは弓香が東京に向かった日......新幹線に乗っていた時間だ。前日の夜には亡くなっていたのだから、前々日くらいに発送したのだろうか。
ぼんやり考えている時、ピンポーンとチャイムが鳴って、弓香は玄関に走った。
「――運輸です」
青い作業着を着た男性がドアの前に立っているのを確認して扉を開け、段ボール箱を受け取った。小ぶりのみかん箱だ。けれど、箱詰めのみかんを送ってきたのではないことはすぐわかる。箱が新品ではないし、貼ってあるガムテープが少しよれている。伝票は母の字で書かれていて、それだけで胸が突かれる思いがした。
彼が去るとすぐに玄関で、ガムテープを剥がして開いた。
まず、スーパーのレジ袋がいくつかあって、その中に小松菜とほうれん草、水菜などの葉物野菜、ブロッコリーと芽キャベツ、ジャガイモと人参などが分けて入っていた。
形が悪いし、少し泥も付いていて、それが母とまさおの手作りだというのがわかる。これまでも何度か送ってきていたから。
そして、ジップロックに入った米もあった。たぶん、市販のもののはずだ。近所の農協で買う米がおいしいから、とそれもまたこれまで時々送ってきていた。
それ以外に、今回は大きめの紙袋が一つ、米の横に入っていた。
震える手で開く。
中にあったのは、まずレトルト食品、白がゆ、梅かゆ、卵かゆなどのおかゆのパック、鯖とツナの缶詰、粉スープ、粉状のスポーツドリンクの素、マスク、体温計......そして、最後のものを見た時、母の死を聞いた時からずっと抑えてきた色々な感情が崩壊して、弓香は嗚咽した。
入っていたのは、風邪薬の箱と痛み止めの解熱剤、解熱シートだった。どれも、使いかけで、半分くらいしか入っていない。
「ママ......」
母はなんで急にこれを送ってきたのだろう。
弓香はまた、スマートフォンを取ってLINEを開いた。一瞬、ためらった後、まさおにメッセージを送った。
――昨日はすみませんでした。失礼を承知でお聞きします。今、大阪に戻ったら、母から小包が届いていました。これは母が送ってくれたのでしょうか。
まさおからは返事がすぐに来た。
――そうです。私もばたばたしていて、そのことを今、言われるまで忘れていました。優子がどうしてもあなたにと言って、送ったものです。
まさおのメッセージには弓香を責めるような言葉はなかった。昨日のことには触れずにすぐに話の内容に入ってくれたことで、弓香はまさるの優しさを初めて感じた。
――入院する前ですか。
すると、LINEの電話機能が鳴り出した。弓香は一度、深呼吸してそれを取った。「ごめんなさい。私は書くのが遅いから。電話でいいですか」
「いいえ、私も......すみません」
弓香は思わず、もう一度謝った。
「いえいえ。本当に私も、小包のことをすっかり忘れてた。インフルエンザっていう診断が出た後、薬でいったんは熱が下がって、その間は家の中のことを普通にしてくれていた時期が一日半ほどあったんです。その時、急に、弓香さんに小包を作りたいと言い出してね。私も手伝って、手近な段ボールに詰めました。あの子はきっと風邪の時一人だし、きっと備えたりもしてないはずだから、と言ってね。自分も風邪を引いて、本当につらいってわかったんだろうな。でも、買い物なんかには行けないから、家にあるものだけでとにかく詰め始めて、......正直、私はインフルがちゃんと治ってからにしたら、それから落ち着いてちゃんと買い物に行って用意したらと言ったんだけど、それはまた、落ち着いたらもう一度ちゃんと用意する、でも今は、いつあの子が風邪を引くかわからないからとにかく送りたい、って言い張って」
まさおはそこで鼻を盛大にすすった。弓香も返事ができないほど、泣いていた。
「夕方、熱が上がり始めて、息が苦しくなって病院に私の車で行くことになった。それでも、宅配便を出すって聞かなくて......ただ、その時はこんなことになるとは思ってもみなかったんだよ。受け答えもしっかりしていたし、家に置いてあった伝票も自分で書いた。途中、コンビニの駐車場に車を駐めて、優子をそこに待たせて、私が発送手続きをした。『ちゃんと送ったよ』って言ったら、優子が本当に嬉しそうに笑って、ありがとうありがとう、って。でも、あんな使いかけの薬入れたら、きっと弓香はまた笑うわね、って言って......そのまま病院に行って入院した」
そこからはしばらく、お互いに口が利けないくらい泣いた。
気がつくと、自然に弓香は「すみません、本当にすみません。本当にありがとう」とまさおに言っていた。彼も「いいんだよ、いいんだよ。こちらこそ、ありがとう」と何度も言った。
やっとお互いに落ち着いた後、お墓のこと、四十九日のこと、今後のこともあるし、近く、東京か千葉で会おう、と約束して、電話を切った。
スマホを床に置き、弓香は風邪の包みを抱いて泣いた。きっと、まさおも泣いている、と思いながら......。
四十九日の法要に、弓香はちゃんと出席した。
池知も一緒に来てくれた。あれから、彼とは時々電話で話す仲になっていた。法事があるんだ、とつぶやいたら、弓香が何かを言う前に、「一緒に行っていい?」と申し出てくれた。
正夫とはそれまで、何度か電話で打ち合わせした。杉並での知り合いも出席しやすいように、東京駅のホテルで行うことも彼は了承してくれた。
弓香が池知を「会社の友達です」と紹介すると、平原家の人たちはそれ以上、何も聞かなかった。ただ、穏やかに彼を受け入れてくれた。
まだいくつかの問題が残っている......多くはないが母の遺産のこと、墓や遺骨をどうするかということ、杉並のマンションのこと......。
だけど、弓香はもうそんなに心配していない。
法要中、弓香は人目もはばからず泣いた。自分のハンカチも池知のハンカチもびしょびしょにして、正隆の妻の恵のハンカチを借りたほどだった。
よく泣いて、その後食事も一緒にして、やっと彼らと近づけた気がしたから。
正夫からお酌されて、頭をかきながら杯を受けている池知を見ながら、弓香は微笑んだ。
そして遺影を見上げると、母も嬉しそうな顔で笑っていた。
※この作品は、今年九月下旬に単行本として発売する予定です。
どうぞお楽しみに!
Synopsisあらすじ
吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?
Profile著者紹介
原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。
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