母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第五話 北の国から(4)

「これだけ!?」
 明治神宮の初詣の後、拓也の部屋に来た奈瑞菜は一枚ぺらっとした便せんを振りながら言った。
「そう」
「これだけ? 二十四年間、昆布を送ってきた理由がこれだけ?」
 奈瑞菜の口が前よりよく回っているのは、おとそ代わりに飲んだ賀茂鶴のせいなのか、クリスマス、お正月と一緒に過ごした「恋人」になったからなのか。
 それはそれで、悪くはなかったけど。
「たぶん、二十四年以上。自分が生まれる前からだろうから」
「いずれにしろ、ちょっと無愛想だよね」
「まあね」
「もう少し、どこで知り合ったのか、とか教えてくれればいいのに」
「確かに」
 自分自身も思っていた不満が、奈瑞菜に言語化してもらうと、ちょっとほっとした。そう思うのは自分だけではないのだ、と。
「実はちょっと調べてみたんだけどさ、あの昆布、同じようなのを買おうとしたら、たぶん、一万以上するみたいなんだよね」
「へえ」
「ネットでは、それくらいだった。羅臼の地元じゃもう少し安いかもしれないけど」
「でも、五千円以下ってことはないよね?」
「まあ、たぶん」
「そんな高価なものを毎年毎年、なんで送ってくれたんだろう」
 拓也はためらいながら、考えていたことを口にした。
「もしかして、父のお母さんじゃないかと、思ったりして」
「え、お母さん?」
「うん、僕のお祖母ちゃん。離婚してからほとんど付き合いがなかったとは聞いているけど、もしかして槇さんがお祖母ちゃんじゃないかと」
「でも、そうだったら、お父さんが言うんじゃない? これ、お祖母ちゃんなんだよって」
「......そうなんだけど」
 お父さん、無口だったし、ここ数年はあんまり会話もなかったからなあ、と心の中で思う。
「じゃあ、また手紙書いて聞いてみれば? 僕のお祖母ちゃんですかって」
「そうなんだけど、この手紙の感じだと、あっさり否定されそうで。というか、絶対、否定されそう。そうじゃなきゃ、自分から言うと思わない? 実は祖母です、とか」
「まあねえ」
 二人の会話はどこまで経っても堂々巡りで、結局、結論はでなかった。
 そしてまた、拓也も日々の雑事に追われて忘れていった。

 再び、広島の実家を訪れたのは、二月になってからだった。
 月に一度くらいは帰って空気の入れ換えとかした方がいいのかなあと思いながら、三万五千円はする往復の新幹線代や、往復八時間という億劫さに延び延びになっていた。
 今回のきっかけも、一本の電話だった。
「拓也君? 広島のお隣の、藤井です」
 残業後、家に帰ってご飯を食べている時にかかってきたのは、元気な藤井のおばさんだった。
「あ、先日は小包をありがとうございました」
 あれから、お礼の電話を一本かけただけで、なんの返礼もしていなかったな、と思い出す。
「いいの、いいの。私も子供もいないものだから、親のまねごとができて本当に楽しかったのよ。お元気?」
 しばらく互いに現状報告をしたあと、藤井のおばさんは話を切り出した。
「実はね、お電話したのは他でもないの。拓也君のおうちね、どなたかに貸すことは考えている?」
「え」
 思わず、口ごもった。
「いや、あのお、そういうことも考えてなくはないのですが、いろいろむずかしいのかなあ、と」
「あのね、もし、嫌だったら、遠慮なく言ってね。実は私、公民館でいけばな教室の講師をしているでしょう」
 そういえば、そんなことを母親から聞いたことがあった。だから、藤井さんの家はいつもきれいに片付いているし、玄関のお花がきれいだと。
「その教室の人でね、来年、近所の小学校に入学する方がいて......拓也君ご存じかしら、市の教育重点校って。公立なんだけど、小中一貫教育でいろんなカリキュラムを用意したり、一クラスが三十人以下だとか特別なことをしていて、今とても人気があるの......」
 以前に、父の会社の人にちょっと聞いたことだと思い出した。元は拓也の出身校なのだが、最近になってそういうことを始めたという。
「その方が手頃な物件を探しているのよ。お子さんが三人いるし、まだ下の子は小さくて騒がしいから、できたら中古の一軒家を借りたいって......」
「それで、もしかして、うちの家に......?」
「そうなの、私、ぴんときたの。内藤さんのおうちを借りられないかって......もちろん、お片付けしたり、荷物の処分をしたりするのにお金がかかるけど、それさえできれば月五万円くらい払うって」
 実家は一階と二階を合わせて七十平米ちょっと、それに小さな庭が付いている。拓也が小さい時に建て売りを買って、築二十年ほどだ。
「ありがたい話ですけど、大丈夫ですか。うち、結構古いんですけど」
「それが今の事情もあって、この辺りは、結構、家賃が高くなっているのね。だから、そのくらいで借りられるならとてもありがたいって先方も言っているのよ。それに、引っ越せたら、できたら犬を飼いたいんですって。今はアパートで飼えないから。それもあっての五万円ね」
 どうせ、実家にはほとんど帰らない。しかも、月々お金が入るという。願ってもない話だった。
 先方は四月になる前、できたら三月までに入居したいらしい。とにかく一度、帰郷して藤井さんと今後のことを話し合うことになったため、その週の週末に、拓也は帰郷したのだ。
「こんにちは」
 東京で買った菓子折を持って、まず藤井家に挨拶に行った。
「まあまあ、遠いところをありがとう。そして、明けましておめでとうございます」
 おばさんは丁寧にお辞儀をしてくれた。
「あ、おめでとうございます」
 拓也も慌てて、頭を下げる。昨年末以来、初めて顔を合わせるのだと言うことをすっかり忘れていた。
 客間に通されると、おばさんはお茶を出してくれて、電話で聞いた話をもう一度、ざっとくり返した。
「そういうわけで、どうかしら。内藤さんがきれいに住まわれていることはこちらも知っているし、一度、家の中を見てもらって、よければ家の中を片付けて......」
「本当にありがとうございます」
 拓也はもう一度頭を下げた。
「僕一人ではどうしたらいいのかもわからなくて......」
「いいえ、私も拓也君が実家を貸すことになったら、なかなか会えなくなるなと思ったり、でも、おうちを売るわけじゃないから、関係は続くかしらと思ったり、いろいろ考えたんだけど」
 藤井のおばさんは湯飲みを包み込むように持つと、しみじみと言った。
「でもねえ、家って人が住まなくなるとすぐに傷むって言うでしょ。ものを片付けるのはきっと大変だと思うけど、いつかはしないといけないことだし、思い切って今やってしまうのもどうかしら、と思って」
「お前、そんなふうにぐいぐい勧めたら、拓也君、断れなくなるじゃないか」
 その日は、藤井のおじさんも家にいて、客間に入ってきた。
 改めて、挨拶する。
「うちのはこの話が出てからやたらと張り切ってしまって、はしゃいでるんですよ。でも、拓也君はよく考えて、決めてくれていいからね」
 あら、はしゃいでるなんてひどいじゃない、とおばさんは怒って見せた。
 その漫才のようなやりとりを見ていると、きっと、おばさんが拓也のことを心配してくれているのも本当だろうけど、隣にまた新しい若い家族が住むことも嬉しいんだろうな、と思った。
「では、その方向で話を進めてもらえますか」
 拓也がそう言うと、おじさんもおばさんもやっぱりほっとした顔になった。いつまでも隣の家が無人なのは落ち着かなかったのだろう。
「そう? そうしてくれる? でも、今晩一晩泊まっていくんでしょう? もう一日よく考えてからでいいわよ」
「大丈夫です。実家をどうやって片付けたらいいのか、まだ見当も付かないけど......」
「私たちもできるだけのことはするわ」
 結局、いろいろ話し合って、翌日の日曜日、まずは相手の家族と会って、家を見てもらうことになった。

 結局、拓也は月曜も火曜も広島に残り、家の中の荷物を片付ける手配をしたり、クリーニングの会社を選んだりすることになった。
 藤井さんが紹介してくれた家族は、明るい三十代の夫婦とやんちゃな三人の子供たちで、拓也から見ても幸せそうな一家だった。
 また、念のため、これも藤井のおばさんに勧められたことだが、地元の不動産屋さんに頼んで保証会社の手配と契約書を作ってもらい、管理もそこにお願いすることになった。管理費が一ヶ月に二千円かかるということなので、家賃は四万八千円、管理料二千円でいかがでしょうか、と提案すると、先方も快諾してくれた。
 母が他界してから十年たち、父がその荷物をかなり片付けていてくれたことが幸いだった。一つ一つの品物を見ると、心が揺れたけど、会社の六畳一間の寮にすべてを持っていくわけにもいかない。
 小さな仏壇、小ダンス、それに家族のアルバムと母が使っていた鍋と二人の茶碗、父のネクタイ......そんなものを詰めた段ボール一箱......。それだけを東京に送った。他は業者に買い取りと処分をしてもらうことになった。
「これは持って行った方がいいわよ」
 言葉通り、片付けを手伝ってくれた藤井のおばさんが母のタンスからジュエリーケースを見つけて言った。
「でも、アクセサリーなんて使いませんし」
「結婚指輪とかあるんじゃない? 拓也君が結婚する時、相手の方にあげたらどうかしら」
 箱を開けてみると、いくつかのネックレスやイヤリングの他に、パールに小さなダイヤモンドがあしらわれている婚約指輪と、シンプルなプラチナのリングが大小二つ並んでいた。結婚指輪の大きい方は父のものらしい。
 ここにあるということは、父は最近指輪を付けていなかったのだろうか。そんなことは気にもかけていなかったから、思い出せない。
「あの、よろしければ、お好きなものをもらっていただけませんか。母の形見分けに」
 藤井さんはしばらく迷っていたが「いいの?」と言って、小さなネックレスを選んでくれた。
「これ、尚美さんがよく付けてたから......思い出があるのよ」
 そして、ネックレスを目のあたりに押し当てるようにして、少し泣いた。
「ごめんね、拓也君。やっぱり、家を片付けるの、早かったかしらね。もう少し経ってから、やればよかったかも。それを、私が勝手に......」
 本当は、拓也もそう思っていた。彼女が考えているほど、大きな感傷があるわけではないが、片付けをしながらもうしばらく考えてからでもよかったのではないか、と......。
「いえ」
 それでも、強く否定した。少し大きな声を出しすぎて逆に本心が透けて見えてしまいそうで心配になった。
「いいんです。家が無くなるわけでもありませんし、もちろん、そのうち売るかもしれませんが、今は残っています。いつかは片付けるんですから、早い方がいいんです」
 それでも、藤井のおばさんは、ごめんね、と小声でつぶやいてずっと顔をふせていた。
 あとは、業者に来てもらって、売ったり処分したりするものを見てもらえるところまで片付くと、おばさんは家の中を箒で掃き始めた。
「......そういえば、この間は昆布、ありがとうね」
 クリーニングが入るのだから掃除はいらないと言っても、おばさんはどうしてもそれをしないと気が済まないようだった。
「僕には必要のないものですし......こちらこそ、いろいろ送っていただいて、ありがとうございました」
「あの昆布の値打ちに比べたら、さもないことよ」
「ちょっとお尋ねしたいんですが、差出人の方のこと、藤井さんは知ってますか? 父や母から何か聞いてます? 毎年、昆布を送ってくれる、槇恵子さんて人ですが」
 すると、これまでほとんどよどみなくしゃべっていた藤井のおばさんがすぐに答えず、箒を使っていた身を起こして腰を伸ばした。何気ない動作だったけど、拓也には、おばさんが返事を困っているようにも、返事を考えているようにも見えた。
「......拓也君も、知らないの? あの槇さんという方のこと」
「ええ。生前、父からも聞いたことなくて。と言うか、前は気にもしていなかったので」
「そうなの。拓也君にも話してなかったのね、慎也さん」
「母から何か聞いていましたか」
 すると、今度は逆に、おばさんは下を向いてまた掃きだした。
「......わからないんだって言ってた」
 そして、ぽつんと言った。
「尚美さんにね、一度だけ、昆布をいただいた時に『こんな立派な昆布、毎年送ってくださるの、どなたなの?』ってつい聞いちゃったの。そしたら、『それが私にもわからないの』って。昔、お世話になった人だって慎也さんは言うだけなんだって。尚美さんもちょっと気にしてたみたい」
「そうですか」
「ご親戚じゃないの? って言ったんだけど、違うみたいって」
「僕、もしかして、父の母......祖母なんじゃないかって思ったんです。父が昔、別れた」
「うーん。でも、だったらそう言うんじゃない?」
 そうだ、この槇さんの話になると、いつもその疑問が浮かび上がる。
 もしも、親戚ならなぜそれを隠すのか。親戚でないなら、いったい、どういう関係なのか。
「あと、もう一つ、わからないことがあって」
 拓也は思わず、ずっと不思議に思っていたことを口にした。
「相手の槇さんという人、何度電話しても、電話に出ないんです。昼も夜も、朝も。電話は鳴っているのに、誰も出ない。でも、手紙の返事は来る」
「電話番号が変わったのかしら」
「でも、ここ何年も同じ番号です」
「そうねえ」
 結局、なんの謎も解けないまま、故郷を後にすることになった。
 帰りの広島駅までは、おじさんが車を運転してくれて送ってくれた。改札口まで見送ると言って聞かないおばさんが手を振りながら言った。
「拓也君、これからはうちのことを実家だと思って帰って来てね。家の管理のこともあるし、絶対に関係は切れないんだからね」
 拓也はそれをありがたく思いながら、そして、借家の管理というものがどのくらいかかるのかもよくわからないまま......でも、このあたりに帰ってくるのは、きっとずっと先になるんじゃないかと思った。


 東京に帰ってきての大きな変化は、一ヶ月に五万円近い家賃が振り込まれるようになったことだ。
 それまで手取りで二十万を切るくらいだった給料に、五万は大きい。
 早く死んだ父と母が残してくれたおかげということもあり、拓也は二人の生前以上に、彼らのことを考えるようになった。それは、槇さんも同様だ。
 同僚と騒いでいても、ふっと両親、そして、北海道のその人を思っていた。
 そういう小さな変化は拓也の一番近くにいる、奈瑞菜にも伝わっていたようだった。 四月の最終週の土曜日の夜、板橋駅前の居酒屋に行って、二人で飲み食いした後、数千円の勘定を「僕が払うよ」と出すと急に彼女が押し黙った。
 そこから、彼の部屋に帰るまで、一言も話さなかった。
「何? いったいどうしたの?」
 部屋に入って、ヒーターを付けたところで、拓也はたまらずに聞いた。
「なんだよ、僕、なんか悪いことした?」
「......最近、拓也、よくお金出してくれるよね」
 年が明けたくらいから、彼女は名前で呼ぶようになっていた。
「はあ? そんなこと? おごってやって文句言われるとは思わなかったよ」
 また、彼女の面倒なところ発動だ、と思った。
 確かに、急に収入が増えて、ちょっとした場面で「僕が払う」と言うところは増えたかもしれない。
「それはありがたいことだけど」
「だけど何? おごられるの、いやだった?」
「せっかく、お父さんとお母さんが残してくれた家を使ってお金が入っているのに、少しずつ、なんとなく使ってしまうの、悪いんじゃないかと思って」
 確かに、そう言われると、拓也も考えざるを得ない。
 両親も苦労してあの家を建てた。そして、今、それで自分が潤っている。
「......貯金もしようと思ってるよ」
「それならいいけど、それこそ、まとめて大切なことに使った方がいいんじゃないかな」
「大切なこと?」
「そう」
「例えば?」
「北海道の、あの人を探しに行くとか......」
「ああ」
 思わず、声が出た。
 確かに、北海道の羅臼と聞いただけで、とんでもなく遠くて電話か手紙で問い合わせるくらいのことしか考えてなかった。
 でも、確かに尋ねて行くことができたら、いろんなことがはっきりする。
「羅臼っていいところらしいよ。もう流氷の季節じゃないけど、自然がきれいで、動物がたくさん見られるって。世界遺産だし」
 奈瑞菜がスマートフォンでYouTubeの羅臼観光の動画を見せてくれた。
「本当にきれいなところだなあ」
「私、北海道に行ったことないんだ」
「わかった」
 そろそろ二人で旅行に行ってみたいと思っていたところだった。北海道というのは考えていたよりもずっと遠いが、そういう理由があれば、一石二鳥かもしれない。
「行ってみようか」
「やった!」
 小さく両手を挙げる奈瑞菜を見ていると、面倒くささのみじんもない。やはり本質は、優しくて素直な人だ、と思った。
「だけど、それまでは外食はちょっと控えよう」
「うん。ぜんぜん、大丈夫だよ」
「六月か七月......八月かなあ」
「八月はハイシーズンだから高いかもよ」
「少し調べてみようね」
 奈瑞菜はもうネットを検索し始めていた。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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