母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第三話 疑似家族(6)
しかし、楓が言ったことは本当になった。
クリスマスの二週間前の土曜日、幸多の誘いで、家の近所の、恵比寿のイタリアンの店でランチを食べた。
二千円くらいのランチセットで、決して安くはない。でも、ドリンクをスパークリングワインや赤白のワインから選べるし、夜なら一万近くするコースがその値段で食べられることもあって、時々、使っていた。
だから、油断していたんだと思う。
顔見知りの店主は一番奥の、ついたてと観葉植物で隠れた席に案内してくれた。
普通の休日ランチの延長で少しいいご飯を食べて、お互いに一週間の仕事の愚痴を言い合った。このところ、師走で忙しい毎日が続いている。相手の会社の同僚や上司のことは何度も話しているのでよく知っているため「○○さんがまたつまんないことで怒ってさ」と言えば、「ああ、いかにもあの人の言いそうなことだね」などと、話が通じる。
気も合うし、価値観も合う間だけに許される会話だった。
そんなやり取りの後、デザートが運ばれてきたところで幸多がほんの少し顔を引き締めた。
「今度のクリスマスなんだけどさ」
「あ」
二人で迎える、初めてのクリスマスだ。愛華も多少、意識はしていた。
年末で忙しいが、その日は上司たちも家族と過ごしたいので、たぶん時間通りに帰れるはず。特に、高級なレストランでご飯を食べられなくても、鶏でも焼いて、おいしいワインとケーキでちょっとした特別な夜を過ごしたいと思っていた。
「二十四日は、またここで食事しない?」
「えー、ここで? 夜は結構高いよ」
「いや、僕はむしろ銀座とかのもっと大きなレストランでもいいかと思ってたけど、あんまり気が張る店より、気楽に楽しくご飯を食べられる方がいいかなって」
「うちでなんか作ろうと思ってたけど......まあ、それもいいかもね」
「あとさ」
幸多は少し上目遣いになる。
「よかったら、二十五日はうちの実家に行かない?」
愛華が口を開く前に、幸多は早口で説明した。
曰く、お正月幸多の両親はほとんど毎年、父方の親と温泉旅行に行くことになっていて東京を空ける。だから、自分たちも就職してからはそれぞれ過ごすことになっていた。その代わり、二十五日のクリスマスに家族水入らずで集まるんだ。
要は二十四日は互いの友達や恋人と過ごし、二十五日に家族全員で集まるらしい。
「まあ、うちもキリスト教徒とかではないけど、最近は毎年そんなふうになっているんだ。兄も奥さんと子供を連れてくるし、弟も今年は彼女を連れてくる」
「だから、あなたも、ってこと?」
「いや、そうじゃないけど......あのね」
幸多はテーブルの上で愛華の手を軽く取った。
「僕は愛華と結婚したいと思ってるし、本気だ。この間、実家に行った時も、父さんたちにそう言った。二人もぜひ愛華と会いたいって言ってる」
「あの」
愛華が口を開こうとすると、彼はそれを押しとどめた。
「待って。それはできないって言うんだろ? 前みたいに。じゃあ聞くけど、愛華は僕のこと、どう思ってるの? 本気じゃないの? 嫌ならはっきり言って欲しい。もちろん、付き合うだけでもいい。だけど、あまりにもお互いの気持ちや、これからの人生の方向性が違っているなら......つらいから」
「......私は、なんと言うか」
どう言ったらいいんだろう。
「愛華はまったく、僕と結婚する気はない? 僕はそんなに駄目な男? どう思ってるの? 正直に言って欲しい」
何を伝えたらいいんだろう。
結婚相手として、彼ほどの人がいるだろうか。
優しくて、頼りがいがあり、いつも穏やかだ。
玉に瑕なのは、人が良すぎて先輩の頼みや誘いを断れなくて、飲み過ぎたり、働き過ぎたりすること。そのくらいだ。
暴力を振るったり、大声で怒鳴ったりすることもない。
愛華がこれまで故郷で見てきた、「母の」男たちとはまるで違う。
「......私だって、結婚したいよ」
愛する男に手を握られて、しぼりだすような声が出てしまった。
そして、口に出したとたん、愛華は後悔した。でも、目の前の男――愛華がずっと好きでたまらない人は、ぱあっと顔を輝かした。
「良かったー、本当によかった。今までこんなこと、誰にも言ったことがないからさ。本当にどうなるかと思った、って言うか、他の人に言ってたら大変か」
舞い上がっているのか、幸多は何度も「よかった、よかった」とつぶやいた。
愛華はその顔を見て、笑いながら泣いてしまった。だが――。
「うちの家族とばっかりじゃ申し訳ないよね。愛華の親にも話して許してもらわないとね。僕もぜひ会いたいし。クリスマスまでにお会いするのはさすがにむずかしいけど、電話......LINE電話かなんかで一度ご挨拶したいな」
それを聞いたとたん、涙は引っ込んだ。
「群馬のありんこ」こと都築さんとは、更に頻繁にLINEを交わす仲になっていた。
発端は、愛華が何気なく送ったメールだ。
――東京は今日は台風の影響で大雨です。都築さんも台風にはお気をつけください。発送は雨や風が収まってからでかまいませんので。
――お気遣いありがとうございます。こちらも朝は少し降っていましたが、今は大丈夫です。夜くらいから来るのかもしれませんね。うちも、娘が東京に住んでいますので、ちょっと心配です。
――都築さんのお嬢さんも東京ですか! ちょっと親しみを感じます。お一人暮らしでは心配でしょうね。
――はい。以前は心配で心配で、娘に早くこちらに帰ってこいとばかり言っていましたが、こうして、通販の仕事をするようになってから、石井さんのような、娘と同年代の方もたくさん東京で働いているのだな、と知って、ずいぶん気が楽になりました。これも、新しく通販を始めたおかげだと思っています。私の視野も広くなったようです。
――あー、なるほど、そういうこともあるのですね。私、二十八ですが、お嬢さんもそうですか。
――やっぱり、同じくらいですね。石井さんのハンドルネームが「LOVE27」なのでそのくらいかな、と勝手に思っていたんです。娘は二十九になります。
――ハンドルネームは去年作ったもので、今は二十八になりました。
それからちょこちょこ個人的な会話をするようになり、都築めぐみさんが五十六歳の主婦で、夫は役所勤めの兼業農家、娘は二十九で東京の墨田区に住んでおり、金融関係の仕事をしているということもわかった。息子はまだ高校生、夫の母も同居し今は四人で住んでいるらしい。
一度だけ、「都築さんのような方が、私のお母さんだったらいいのに」とつい書いてしまったこともあった。
――隣の芝生は青い、ですね!(笑)娘にはいつも、お母さんは古い、ダサい、と言われています。
と、そつない返事が来た。
幸多にプロポーズされた翌日、愛華は深夜そっと起き出すと、都築めぐみにLINEを書いた。
――突然、おかしなことを言い出してごめんなさい。本当に、変なことをお願いすると思います。もしご迷惑なら、遠慮なく断ってください。
最初のメッセージの送信ボタンを押すと、それはシュウッというようなかすかな音と共に流れていった。愛華は息を吐き出す。
これで、もう、引き返すことはできない。
既読は付かなかった。畑仕事や介護に忙しいめぐみはたぶん、早めに寝ているはずだ。
――私は以前にもお話しした通り、今、付き合っている人がいます。彼は真剣に結婚を考えていてくれて、私も、彼のことを好きなのですが、
そこまで書いてすべてを読み返し、続きを書いた。
――昨日、彼に結婚を申し込まれました。そして、彼に、私の親に会いたい、挨拶がしたい、と言われたんです。普通なら、とても嬉しいことだと思うのですが、私は本当に困ってしまいました。なぜかというと、私の親は都築さんと同じ群馬なのですが、都築さんとはまったく違っていて、とても彼に会わせられるような人ではないのです。
そこでまた、一度、メッセージを切って送った。やっぱり、こちらも既読は付かなかった。
――昔、私はいわゆる虐待を受けて育ちました。両親は小学生の頃離婚し、母と暮らしていたのですが、小さな時にはよくぶたれましたし、それ以外は言葉による虐待です。それから、母はギャンブルや酒にはまっていて、私は自分の進学のために貯めていたお金を何度も盗まれました。逃げるようにして、東京に出てきたんです。それからほとんど実家とは連絡を取っていません。
――そんな人をとても彼に紹介できません。彼の親にも......。でも、私は付き合い始めた頃、彼に「親は群馬に住んでいて、農家をやっている。時々、小包を送ってくれる」と言ってしまいました。そして、都築さんが送ってくれる小包を、実家からのものだと言って、彼に見せていました。
――それで、お願いなのですが、できましたら、私の親として、彼とLINEのテレビ電話でお話していただけないでしょうか。ほんのちょっとだけでいいんです。そして、お祖母ちゃんの身体の調子が悪いから、会うことはできないけどよろしく、とか、言っていただけないでしょうか。
――それがむずかしいようでしたら、手紙でもかまいません。私が文面を考えて送りますので、それを都築さんの筆で書き直して、こちらに送り返してくれることはできませんでしょうか。本当にすみません。こんなことをお願いして。こんなことを言うのは失礼かもしれないのですが、できるだけお礼はさせていただきます。迷惑料として、十万円くらいならお支払いできます。いかがでしょうか。
――ご不快な思いをさせてしまって、本当にすみません。よろしくお願いします。長文、駄文、失礼いたしました。
書き終わると、外は明るくなっていた。
Synopsisあらすじ
吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?
Profile著者紹介
原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。
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