母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第二話 ママはキャリアウーマン(2)

 莉奈は東京の杉並区に生まれた。
 両親は結婚当初は共働きで、母、松永敬子は出産時に退職した。
「そういう時代だったのよね」と今でも遠い目をして語る。
 莉奈が生まれたすぐ後、二十代後半だった父は激務の部署に配置された。社内の出世コースだったので最初は喜んだが、母の方は一人で子育てをすることになり、育児ノイローゼ寸前になったらしい。
 莉奈が幼稚園に入る頃になると、母はパートタイムで働ける場所を探し始めた。しかし、希望の事務職はどこにもなく、募集があればすぐに独身の若い女性で埋まってしまうのが常だった。その中で母はやっと、廃品回収会社の事務という仕事を見つける。
 完全な男社会で荒っぽい人間も多い業種に、母は泣きながらくらいついた。気の短い出入り業者に怒鳴られても、図々しい客に理不尽なクレームを付けられてもやめることはなかった。次第に社内でも「敬子さんに頼んでおけば大丈夫」「わからないことは敬子さんに聞いて」と言われる存在になったらしい。
 しかし、莉奈出産時に一人で子育てした苦労は、母と父を蝕んでいた。母はいつも嫌みっぽく、父は家庭から逃げていた。
 莉奈が小学校中学年の時、父の浮気が発覚したことが離婚の発端となったが、その前から家族はすでに瓦解していたように思う。
 いろいろもめたけど、母は莉奈とマンションを取り、父が家を出て行った。マンションのローンをこれからも払い続けることが、養育費の代わりとなった。
 母の仕事人間ぶりはそれから拍車がかかった。
 事務だけでなく、自らも廃品の回収の現場に行って仕事を覚えた。廃品回収の仕事では、時に一軒家の中の家具や電化製品、すべてを処分するような仕事もある。そんな時、母は頼まれてもいないのに自主的に室内を掃除した。
 その丁寧な仕事が見込まれて、現場で配った名刺に直接、指名で依頼してくれる人も出てきた。莉奈が高校生になる前には、会社の社長から「独立してみたら?」と勧められ、迷ったあげく、廃品回収、掃除、時には室内の簡単な修繕まで受ける会社を立ち上げた。買い取ったり、夜逃げされたりした物件の室内を整理してもらいたい不動産会社に重宝され、大口のお得意さんがいくつも現れて、会社は少しずつ大きくなっていった。
 今では廃品回収だけでなく、掃除部門を大きくして女性を多く雇い入れ、派遣の室内クリーニング業も始めている。ゆくゆくは料理や育児も取り入れて、家政婦会社を別に立ち上げたいらしい。
 母ががむしゃらに働く裏で、莉奈はずっと鍵っ子だった。
 母が七時前に帰ってくることはほとんどなく、母はそれもまた意地のようにちゃんとした食事を作り続けた。でも、母は頭の半分はいつも仕事のことを考えていて疲れ切っており、食卓に会話はなかった。土日も関係のない仕事で、ひとりぼっちで休日を過ごすことも普通だった。
 自分でもぐれたりしなかったのを褒めてもらいたいと思うくらいだ。几帳面な性格で、成績がそこそこよかったからぐれるような機会がなかっただけで、回りにおかしな友人がいればすぐにでもその道に入っていたと思う。
 塾や習い事は好きなようにしてきたし、お小遣いもちゃんともらっていた。金銭面の不自由を感じたことはない。
 東京のまあまあな私立大に入り、好景気のあおりも受けて大手食品メーカーに就職が決まった。福利厚生が整い、女性にも優しいと評判の企業だった。
 母の喜びようはただごとではなかった。内定が出たことを出先から報告した時には電話口で号泣していた。
「これで、莉奈も一生働き続けられるわね。ママの人生の仕事も半分は終わったようなものよ」
 その後、二人きりでお祝いの食事をした。母が懇意にしている、西麻布のフレンチレストランだった。会社が波に乗ってから使うようになった店だ。席に着くと、シェフが「松永様、いつもありがとうございます」といそいそと挨拶に来た。きっと接待に何度も使っているのだろう。
「ママは、私に、会社を継いで欲しいと思ってないの?」
 この時、ずっと気になっていたことをおそるおそる尋ねると、母はきっぱりと首を振った。
「そういう気持ちもなかったわけじゃないけど、社員にちゃんと給料を払えるか、家賃は滞納しないか、毎月、毎月、ドキドキしているの。娘にこんな苦労はさせられない。大きな会社で働けるならそれに越したことはないわ」
 その席でも、母は時折涙を流し「これでママはいつもで死ねる」と大げさなことを口走っていた。
「何言ってるの、まだ、ぎりぎり四十代じゃん」
 その時は母の言葉に大笑いしたのに......。
 思えば、大樹との結婚くらいから雲行きはあやしくなっていた。
 彼とは、新橋の会社が集まった若手交流会で入社直後に出会った。損保保険会社に勤める同い年の大樹とはすぐに意気投合して、二年後に転勤が決まると同時にプロポーズされた。莉奈は二十四歳だった。
「大樹さんはいい人だけど、早すぎる。彼の方もまだ二十四歳なんだし」
 付き合い当初、紹介した時は喜んでいたのに、結婚を報告すると、母は渋面を作った。
「転勤の間、遠距離恋愛を続けながら、莉奈もこちらでキャリアを積めばいいじゃないの」
 しかし、会社内で、年上の先輩たちを見てきた莉奈は母の言うことにどうしてもうなずけなかった。
 やりがいのある仕事、恵まれた福利厚生のおかげで、逆に婚期を逃してしまった先輩女性社員がたくさんいた。三十五を越えてやっと結婚しても子供を授かれずに不妊治療に通っている人もいた。
「本当に好きな人と結婚できるチャンスは人生に何度もないよ」
 ある四十代独身の先輩は、昼ご飯を食べながらつぶやいていた。
「学生時代や就職当初に付き合っていた男と結婚できずに別れたら、もう二十三、四でしょ。それから数年でまた別の男と付き合えても、結婚しなかったらすぐに三十になるじゃない。真面目に付き合っていたらすぐに三、四年は経つし、ちゃんとした人ほど結婚は遅れたりするのよ」
 一理ある、とうなずかざるを得なかった。
 確かに、今は早いかもしれない。だけど、これを逃したら、次はいつになるのか。
 何より、背が高く、おおらかで優しく、顔もタイプの大樹が大好きだった。
 案の定、彼との結婚に、母は大反対した。最後には認めてくれたけど、仕事を辞めることは猛反対し、大樹を単身赴任させればいいと言い出した。
「いったい何のために、こんなに苦労して、自分の会社を継がせることも諦めて、あなたを大会社に入れたのかわからない」
 それでも、彼についていきたくて押し切った。
 そこで母が出してきた最低条件は、東京で結婚式をきちんとやることというものだった。
 莉奈も大樹も転勤間際だったし、家族の顔合わせの食事会くらいしか考えていなかったのに、「それだけはどうしても妥協できない」と言われた。
「費用は私が持つから、ちゃんとした結婚式をしてほしい」
 しかたなく転勤後、東京のホテルで結婚式を挙げた。打ち合わせに何度も上京することはできず、ほとんどは母が執り行った式だった。親族だけという約束で計画を始めたのに、母の仕事関係者を呼びたいという願いを受けたら、三百人規模の会になったのも予想外だった。
 しかし、まあ、それだけは母の意地だったのかな、と今では少し諦めている。
 女手一つでここまでやってきた、ということを母は仕事仲間や親族に見せたかったのだろうし、何より、自分を裏切った父親に見せつけたかったのだと思う。父と新しい奥さんは会場の隅で小さくなっていた。
 幸い、大樹の両親や祖父母がとても喜んでくれたため、今ではまあ、よい思い出になったかなと納得している。
 本当は心の奥底でずっと思っていた。
 母はすごい。とても努力している。自分を良く育ててくれた。いつもなんでもよくできた母。おしゃれで仕事も家事も完璧だった。
 でも、お母さんみたいには、絶対、なりたくない。
 ぼろぞうきんのように働いて、経済的には豊かだったけれど、莉奈はずっと孤独で一人ぼっちだった。
 強い不満をもらしたことはない。母はいつも「これは莉奈のためだから」と言っていて、それに反抗することもできなかった。
 だけど、本当は、母が働いていたのは自分のためだったのではないか、と思う。
 だいたい、離婚だって、母が働いていなければ防げたかもしれないとさえ考えることもあるのだ。
 私は絶対に、自分の子供に寂しい思いなんかさせない。
 家庭をおそろかにしてまで、働く必要なんてない。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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