母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第二話 ママはキャリアウーマン(5)

 札幌駅前のホテルから拾った母と、大通り公園、時計台、クラーク博士像など、ごく一般的な観光地を回った。
 最初は「やっぱり、涼しいわねえ。生き返った気持ち」と機嫌の良かった母が、「札幌って意外と何もないのね」と言い出すのに、時間はかからなかった。
 機嫌が悪いというほどではないのだが、なんとなくつまらなそうにしている。
 それでも、遅めの昼食を回転寿司の「トリトン」でとると、「回転寿司でこのお値段でこの味はさすが北海道」と喜んでくれた。
 母の機嫌に心が一喜一憂してしまう自分が情けないと思いながら、どうしようもなかった。
「午後は円山動物園に行く? ホッキョクグマが泳いでいるを観られるらしいよ」
「......まあ、動物園なんてどこにでもあるけど、他に行くところがないならいいわよ」
 少し嫌みっぽい言葉も、親子だから許されると思っているのかな、と聞き流した。
 動物園を見て回り、夜は会社帰りの大樹と合流して、ジンギスカンの店に行った。
 大樹と顔を合わせるのは、結婚式以来になる。
「ここは、同じ羊肉でも、冷凍じゃなくて生肉だから臭みもなくて、おいしいらしいんですよ」
 店は大樹が会社の人に紹介してもらった場所だった。そう暑くないはずなのに、鼻の頭に汗をかいて説明している。やはり、義母の前では緊張せずにいられないのだろう。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 
 母はもともと肉が大好きだし、ラムはフレンチでもよく頼む好物だった。
「本当に臭みがないわね。それに、お値段が安い。今日の回転寿司も安くておいしかった」
「時にはあんまりおいしくない店もあるけど、ちゃんと店を選べばいいところがあるんです」
 おいしくないというのは、最初に入ったイタリアンのことだろうか、と思いながら莉奈は箸を動かした。
 母は「こっちの方がいいわ」生ラムの厚切りを頼み、タレでなく塩で食べ始めた。赤ワインもがぶがぶ飲み、どんどん上機嫌になっていった。莉奈も内心ほっとしていた。
 これで大丈夫、母の札幌旅行は大成功だ、と思ったその時――。
「......大樹さんは、莉奈が働くことには反対なの?」
 頼んだメニューはほぼ終わって、最後のデザートとコーヒーを待ってる時に、母が急に言い出した。
「え」
 義理の母親に、切り口上でそんなことを言われたら誰だってまごつくだろう。
「いえ、僕は別にそんなこと......」
 大樹が言いかけたところを、母が喰い気味に返した。
「私はね、たとえ、女性でも、母親でも、人は仕事を持つべきだと考えているんです。その理由はさまざまありますが、人が女性であれ、男性であれ、なんでお金を儲けるか、ということはその人のアイデンティティでもあると思いますし、それがなければ、妻が外とつながる道というものが絶たれてしまい、家にこもって過ごすことになりますよね? つまり、仕事が人間の顔の一つですし、常々、莉奈にも教えてきました。歳をとったり、身体に問題があったり、育児の一時期はしかたがないとしても、人は仕事をして、なんらかの金銭を受け取ることが必要だと思っています」
 これではまるで、女性の働き方講座の講師か何かのようだ。しかし、母は家族の食事中にこんな話しをしている滑稽さをまったく感じていないらしい。
「いえ、でも、僕も......」
 大樹は戸惑いながら、母の話に割って入ろうとしたが、それはあっさりと拒否された。
「大樹さん、私に最後まで言わせてください。それにこれは、大樹さんのためでもあると思うんです。大樹さんの会社は大会社だと思うけど、それだって、今の時代、この先何があるかわかりません。大樹さんがご病気になるかもしれないし、事故にあわれるかもしれない。会社自体がだめになるかもしれません。もちろん、不幸にも、うちの家庭のように大樹さんが浮気して、そして」
「ママ、やめてよ、失礼でしょ」
 莉奈も黙っていられなかった。
「やめてよ、ご飯の最中に、それに大樹は......」
「ああ、ごめんなさい。でも、人間の一生なんて、何があるかわからない。それが言いたかったの。莉奈だってよくわかっているはずじゃない。そんな時、女性の方が少しでも働いていれば、男の人だって助かるでしょう? 私はなんでもいいから、莉奈に仕事を持っていて欲しいの。もちろん、今後、莉奈も出産や育児をひかえているし、その時は私もぜひヘルプやアシストしたいと思っているの。我が社にも、家政婦部門を作るし、それは今私が話したみたいな、女性にもずっと仕事を持ってもらいたいという理念の元、少しでも助けたいという気持ちからできているのね。クリーニング部門から家政婦部門を作って、さらに将来的には、ベビーシッターや保育園も作りたいと計画しています」
 まるで母の会社の宣伝のようだ。こちらは、銀行や信金に融資を頼む時に話し慣れているのか、さらによどみがなかった。
 母はそれから十分近く、自分の会社の新事業について話した後、莉奈や大樹が黙ってしまったことに気づいたらしかった。
「あっと、ごめんなさい。それはうちの会社の話しだった。だから、こちらに転勤になって、最初は莉奈も慣れなくて大変だろうけど、いずれは仕事を始めることを大樹さんには許可して欲しいの。っていうか、妻が働くのを夫に許可してもらうっていうのもおかしな話しなんだけど」
「だから、ママ、そういうことじゃなくて」
「何が違うって言うの? 大樹さんと結婚する時、莉奈、仕事やめちゃったじゃない? 一緒に転勤するために。ママ、すごく悲しかった。せっかく、あんないい企業に就職して、やっとママ安心できたのに......せめて、こちらで仕事をさせてほしいわ。そのくらい許してくれてもいいと思う」
「いえ、ですから、僕は莉奈が働くことはまったく反対していません」
 大樹はやっと口を挟むことができた。
「は?」
「反対なんて、ぜんぜんしていませんよ。働いても、働かなくても、どちらでもよくて、莉奈には好きなようにしろと......」
「いえ、だから、それがずるいって言ってるのよ」
 母がまた、反論する。
「大樹さんのお母様、専業主婦でしょう。だから、大樹さんはわからないかもしれないけど、言葉ではそう言っても、本当は心の中で莉奈に専業主婦でいて欲しいと思ってる。それが言葉の端々に出て、莉奈も仕事を探せないんだと思うの。そうじゃなきゃ、莉奈は仕事がしたいはずだし、それが必要だってわかっているはず。だって、私がそう育てたんだし、そういう私の背中を見て育ったんだから」
 言葉を切って、莉奈の方を見た。
「こちらに来てから、私、ずっと仕事を探すように言っているのに、莉奈はそれをはぐらかしてばかり。きっと、大樹さんに気を遣っているはずよ」
「違うの、ママ。大樹さんが仕事に反対しているっていうのは絶対違うの。むしろ、何度か勧めてくれているんだから」
「そうなの? じゃ、なぜ......」
 まったく、理由がわからないようだった。
「私なの、私が嫌なの。仕事するのが嫌なの」
「え、どうして?」
 心底驚いたように、声を上げた。
「莉奈、どうしちゃったの? 就職決まった時、あんなに喜んでいたじゃない? 会社だって毎日、楽しそうに通っていたじゃない? ママ、また、莉奈にちゃんとした仕事を探して欲しいのよ。ここでは無理かもしれないけど、少しずつでも続けていないと仕事のカンみたいなものが鈍ってしまうし、パートでもいいから仕事をして......」
「だから、嫌なの! 仕事をしたくないの。私は家が好き。おうちにいて、おうちをちゃんとしているのが好きなの」
「ママだって、家は好きよ。だから、仕事もして、家事もちゃんとやってあなたを育てたじゃない。あなたにもできる」
「ううん。できないし、したくない。ママは仕事もして、家事もして完璧だったと思うけど、いつもイライラしてて、家にもいなくて、私とは話しもろくにしなかったじゃない」
「そりゃ、大変だったのよ。私はいつもあなたのために頑張ってたの。会社を大きくしたのもいずれはあなたのために......」
「そう、いつも、私のために、私のためにって言ってさ。本当は自分のためでしょ? ママには感謝してるけど、私はママみたいにはなりたくない。仕事人間にもなりたくない。ママはママ、私は私。私の人生に入ってこないで!」
 母は息を呑んだ。莉奈の言葉がまったく理解できないようにしばらくかたまった後、大きなため息をついた。その後は下をむいてそそくさとデザートの北海道牛乳を使ったアイスクリームを食べ、コーヒーを飲んで、ホテルに送っていくまで一言も口を利かなかった。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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