母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第一話 上京物語(2)

 母は「地元岩手原理主義」の人だ。
 とにかく、盛岡が一番、この街が一番、住みやすくて、人が良くて、優しくて、食べ物がおいしくて、風光明媚で、季候が良くて、広々した家に住める。だいたい、東京なんて新幹線で三時間あればいけるじゃない、と子供の頃からくり返し聞かされてきた。
「東京のようなあんなごちゃごちゃしたところ、なんで住みたいのかわからない」「美羽は地元の学校に行って、お父さんのような人と結婚して、うちの近くに住んでね。ママたちとずっと仲良くしようね」
 気が変になるくらい言われ続けた言葉だ。
 もちろん、美羽だって幼い頃は「うん、ママ大好きだよ。ママとずっと一緒にいたい」と答えていた。
 父は農家の三男坊で、地元の国立大学を出たあと、盛岡で一番古い信金に勤めている。公務員に次いで、いや、公務員と双璧の、地元では人気の「堅い職場」だ。最近は、都銀だって経営が厳しい時代だけど、この地域で最も大きく、手堅い経営を続けて、東日本大震災もくぐり抜けてきた信金にはまったく影響がない。しかも、父はそろそろ役員入りするのがほぼ決まっている。今後大きく業績を落としたところで、なんとか逃げ切れそうだ。
 更に、農家の三男ということで長男や次男の嫁に、冠婚葬祭でこき使われることはあっても、親の介護を押しつけられることはない。
 母は玉の輿に乗った、と周囲にも言われ、自身も自負している。それが、「パパのような人との結婚」というまったくぶれない願いにつながっているのだろう。
 パパみたいな人と結婚するのよ、と母が夕飯を食べながら言うと、父親もまんざらではない顔をしてビールを飲み干していた。それも出入りの酒屋が持ってきてくれた本物のビールでだ。第三のビールなんて、酒屋さんに恥ずかしくて頼めない。酒屋さんは父が信金の担当で融資している店であるため、一度でもそんな注文したら周囲に言いふらされる。そんな街だ。
 結果、美羽は、「岩手が大っ嫌いな女子」に育った。
 人が優しくて、皆、仲良くて、食べ物がおいしくて、品物が安くて、広い家に住めて......その全部が嫌いだ。本当にうんざりする。
 食べ物がおいしい、安いというのは、ちゃんと地元のサークルに入れた人だけが享受できる特権だ。
 いや、安いというのじゃない、ほとんど「無料(ただ)」だ。
 農作物は皆、お互いにただでやりとりされる。美羽たちが住んでいたのは市内だけど、父の実家が農家だし、その親戚も農家だから、少し曲がった野菜や、出荷するためではなく、庭で取れた無農薬の野菜はいくらでももらえる。
 最近は、都会の人たちが移住するというのも流行っているし、役所も奨励しているらしいが、その人たちはこの「サークル」には入れない。
 この地域の人と結婚して、地元民と親戚関係になるのが最低条件。その後、村祭りの手伝いを積極的にやり、子供を地元の幼稚園や学校に入れて、区域の役員を骨身を惜しまずにやりとげて、やっとここでの「一人前」になる。
 ただそれは、ここに生まれれば、なんの努力もなしにもらえる「特権」なのだ。
 そんな街が「優しい」「皆、仲良し」と言えるだろうか。
 美羽にはわからない。
 母親だって昔は夫の実家の村の夏祭りの手伝いにかり出され、「あの人は市内に住んで、旦那が勤め人だから気取ってる、いい気になってる」と陰口どころか、大っぴらに罵倒されて、泣いて帰ってきたこともあった。母はあまり訛りが強い方ではなく、美羽や兄貴もそれに習った。それもまた「気取ってる」と言われる理由の一つだった。言葉一つでも爪弾きにされるのに、なぜ、なんの矛盾も感じずに「優しい人たちばかり」と言えるのか。
 去年の秋頃、美羽が「高校卒業後は東京に行きたい」と言った時、母親は大げさでなく、三ヶ月くらい暗い顔をして夜は泣いた。
 兄は上京して就職していたし、父は美羽と母の争いには絶対に入ってこない。
「お兄ちゃんは東京に行ってるじゃん」
「男の子と女の子は違うの!」
 母の声は叫びに近く、言い終わったあと、ひゅーひゅー、喉が鳴っていた。
「どこが違うの? 今の時代、法律的にもそんな違い、ないと思うよ」
「東京で遊んできた女なんて、地元のちゃんとした家の、ちゃんとした男の人は結婚してくれないわ」
 思わず、笑ってしまった。
「じゃあ、うちの学校の子たち、ほとんど進学して東京に行くから、誰も地元の人とは結婚できないね。地元の男の人は結婚相手いなくて、困ることになるんじゃない?」
「屁理屈、言うんじゃないの」
「ママ、時代錯誤すぎる。今はむしろ、地元しか知らない人の方が世間知らずで敬遠されるよ」
「違うわよ。口ではそう言っていても、男の人は結局、素直ななんにも知らない女が好きなの!」
「なら私、そういう男と結婚したいとは思わない」
「だから、屁理屈言うんじゃないの!」
 お互い、売り言葉に買い言葉で、支離滅裂なことを口走っていた。
 都会の人たちは「今だにそんな家、あるの?」「そこまで反対されるなら、家出してやればいいじゃん」と言うかもしれない。
 実際、美羽の友人達にも、ここまで親に上京を止められる人はまれだ。経済的な問題もないのに。
 だけど、美羽の家では現実だった。
「ママは美羽が心配なのよ。一人暮らしなんかして事故にでもあったら」
 最後は泣き落としにきて、実際、ハンカチで涙を拭いていた。
「じゃあ、お兄ちゃんの家に住むよ」
「章がそんなことを許すはずないじゃない!」
「じゃあ、隣に住む」
「章の部屋がいくらだか知っているの? 簡単にできるわけないでしょ」
 美羽の方も最後の手段に出て、兄に電話した。
「お兄ちゃん、次のお正月に帰ってきたら、お母さんに話して」
「そういうのは、自分でやれよ。俺はもう、東京に出た身なんだから」
 兄はもしかしたら、もう、二度と岩手に戻ってこない気なのかもしれないな、とその時思った。
「お兄ちゃんがちゃんと話してくれないと、私、お兄ちゃんの家に一緒に住むことになるかもよ。ママたち、それなら許してくれそうだもん」
 美羽は少しだけ嘘をついた。
「ふざけんな」
 兄は小さく怒鳴ったが、あり得ない話ではないと思ったらしかった。安月給を理由に、今だに少し仕送りをしてもらっているのを美羽は知っている。でなければ、中目黒の1LDKには住めない。
「だから、私にも上京と一人暮らしを許すように頼んでよ。じゃなかったら、私、家出するからね!」
 兄は小さく舌打ちし、しかたなく、次の正月に両親を説得してくれた。

 町田と別れた後、商店街を出て十分ほど歩いた。角を曲がって、やっとアパートの屋根が見えてきた時には、やっぱりほっとした。
 内見に来た時は町田が運転する軽自動車に乗っていたので気がつかなかったのだが、最後の二、三分が微妙に坂になっている。重いスーツケースを引きずるようにして歩いたら、少し汗が出てきた。
 四つある部屋の二階に上がると、初めての自分の部屋に鍵を差し込んだ。当たり前だけど、かちり、と小さな音がしてドアが開く。
 いい音だな、と思った。それは自由の音だった。
 狭い玄関、でも、ちゃんと脇に靴の棚がある。
 スーツケースをそこに置いたまま、靴を脱いだ。
 一瞬、何をしようかな、と考えた。普通に足を踏み入れようとして、やっぱりやめた。
「わーーー」と言いながら、部屋にダイブした。もちろん、痛くないように、滑る感じで。身体が止まると、水泳みたいに脚と腕をばたばたした。
 これでやっと本当の何かが始まると思った。自分の人生の本当の何かが。

 今日は大学のオリエンテーションがあった。
 授業の取り方や、事務手続きの方法など、さまざまな説明があったあと、何人かの教授が話をした。
 美羽は密かに期待していた。
 できたら、その日、同じクラスの誰かと話をして、友達になりたい、と。
 入学式の日は母親が上京してきて、式の間も後も、誰とも話せなかった。母は周りの学生たちを見て、「服装が派手すぎる」「あの子、ブランドのバッグを持っている」と傍若無人に言うので、まわりに聞こえないかとはらはらし通しだった。さらに、学校の校門の外にたくさんの他大学のサークルの勧誘がいたが、そのほとんどが男子大学生だったため、母は美羽の手をちぎれるほど強く引いて、彼らとは絶対に交流を持たないように早足で歩いた。
 そして、夜、ホテルのレストランで食事をしながら、何度も何度もため息をついた。「あんな学校で美羽はやっていけるのかしら。同級生はキャバクラ嬢みたいな格好しているし、サークル勧誘の男はあんたたちのことを軽い女としか見てない」
「変なこと言わないでよ」
 あたりに同級生がいないだけ、母はさらに辛辣だった。
「とにかく、二年だからね。二年経ったら、絶対にうちに帰ってくるのよ」
「はいはい」
 美羽は適当に返事をしながら、本当は何があっても東京で就職し、絶対に岩手には帰らない、と決めていた。
 あんな大変な思いをして家を出たのだ。もしも帰ったら、次に出るのはきっと親が納得する相手との結婚話だろう。
「......二年というのはあっという間です。来年は就職活動も始まりますし、ぼんやりしていたら、きっと何もできずに卒業してしまいます」
 そういう教授の声がして、顔を上げた。
「皆さんは、何か一つくらいは成し遂げて卒業してください。今から何かしたいことを考えておいてください」
 確かにそうだろうな、と美羽も思う。だから、絶対にこの東京に残りたい。就職するか、親が了承せざるを得ないような大学に編入するかして、絶対私はここに残る。
 オリエンテーションが終わった後、立ち上がる同級生たちを見回して、誰か話せそうな人を探した。
 学生たちは英文科だけでなく、国文科や栄養学科の人も混じっているので、誰に声をかけたらいいのかわからなかった。さらに、皆、すでに友達のようで、「元気?」「どこにいたの? もう、探しちゃったよ」などと言いながらグループになっていった。短大には下からの内部進学者がいて、それは学生の半分ほどの数のはずだけど、それ以上に見えた。また、図らずも母が言ったように、皆、華やかでお金持ちらしく見えた。「キャバクラの女みたい」と言うのは、悔しいけど、少し当たっていた。
「あの、英文科ですか」
 やっと、講堂の出入り口近くで一人で歩いている、ひっつめの髪にチノパンという軽装の女の子を見つけて、ここ数年では一番の勇気を出して話しかけてみた。
「いえ、国文科です」
 彼女はにこりともしないで答えた。
「あ、そうですか、私、英文なんだけど、誰も知っている人がいなくて」
「そうなんだ」
 それでも、一応、話がつながってほっとした。
「どこから来たの?」
「私? 東京だけど......あ」
 彼女は急に顔をほころばして、美羽の後ろに手を振った。
「ごめん、高校時代の友達がいるから」
「あ、すみません」
 彼女はそれきり、美羽の方には目もくれないで、走って行った。「やだー、遅刻するから会えなかったじゃん」という声が背中に聞こえた。
 顔を上げたらもう、講堂にはほとんど人はいなくなっていた。美羽はとぼとぼと一人で駅に向かった。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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