母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第一話 上京物語(4)

 ずきずきする頭を抱えて、美羽は朝の水を飲んだ。
 酒はそんなに強い方じゃないし、一応まだ未成年だったから、最初はソフトドリンクを飲んでいた。でも、「大学生っていうのはもう酒飲んでいいんだよ」というどこの誰だかわからないおじさんの言うことに引っ張られて、つい、ライチソーダを飲んでしまった。味はジュースみたいなのに、ちゃんとアルコールが入っているんだな、と今、思い知らされる。
 あの時、それまで集団の中で相手にされていなかったのに、急に自分に視線が集中して、なんだか嬉しくなってしまった。それが今の頭痛につながっているのだ、と考えると、自分の浅はかさにうんざりする。
 スマートフォンがぶるぶると鳴って、何気なく画面を見ると、母からだった。
「あんた、何やってるのよっ!」
 出るといきなり金切り声だった。
 うんざりして、返事をする気にもならない。
「昨日からずっと電話してるのよ! なんで、電話に出ないのっ。何度も何度も電話したのに」
「......ちょっと、友達と......ご飯食べてたから」
「東京に行っても、門限は十時だって言ってたよね? それを破ったら、こっちに帰ってくる約束だったよね?」
「十時には戻ったよ」
 うそだった。本当は十一時は越えていたと思う。
「じゃあ、なんで、電話に出ないのよ」
「だから、疲れて寝ちゃったの」
「何度も何度も電話したのに」
「ごめんね」
「なんかあったんじゃないでしょうね? ママ、心配で心配で、一晩眠れなかったんだから! どれだけ心配したと思っているの? 本当に、どうしたらいいのかわからなくて......」
 もう、涙声になっている。
「ママ、ずっと後悔してた。やっぱり、東京なんて行かせるんじゃなかった。美羽に何かあったら、それはママのせい。ママとパパが東京に行くのを許したからこうなったんだって、一生自分を許せない」
「だから、大丈夫だって」
「本当に、何かあったんじゃないのね?」
「何かって何よ」
 そう尋ねると、母は口をつぐんでしまう。性的なことはあまり口にしない家だった。
「大丈夫だから、安心してよ」
「次からは絶対に、すぐに電話に出てよ。じゃなくちゃ、こっちに帰らせるからね!」
「わかってる」
「これから毎日電話するから」
「やめてよ......で、なんなのよ」
「え?」
「電話してきたのは、なんか理由があるんでしょ」
「あ」
 母はそれまでの取り乱しが嘘のように、ふっと黙った。
「......あのね、美枝子(みえこ)があなたに会いたいんだって」
「へえ」
「別にいいのよ、お母さんの友達なんて、あなたは会いたくもないよね? 家に行ってご飯を食べるなんて、気詰まりで嫌でしょ。ただ、美枝子の家はあなたの学校の近くだから、時間があったら顔出してって言うから......いいの、本当に行かなくていいんだけど、一応、伝えておこうかと思って」
「別にいいよ」
「え。別にいいって、どういうこと?」
「だから、行ってもいいよ」
「え」
 なんど、「え」って言うんだよ、とうっとうしくもおかしくなる。
 美枝子というのは母の学生時代の友達だ。高校の同級生で、親友だった。どちらかと言うときりっとしたタイプの美人の母とは反対に、美枝子さんはかわいらしい容姿だ。四十八になった今でも、三十代後半にしか見えない。学生時代、二人は地元の双璧の美人だと評判で、告白する男子の数を競っていたらしい。
 高校卒業後母は地元の短大に入ったが、美枝子さんは東京の短大に行って、バブル崩壊のぎりぎり前に航空会社に就職した。今なら客室乗務員、当時ならスチュワーデスというところだろう。そして、東京で大手商社の会社員と結婚した。
 いまだに親交は続いていて、美枝子さんが実家に帰ってくる時は必ず会うし、電話で時々話しているし、LINEもやっているらしい。
 でも、美羽は知っている。「また会いましょうよ、もう、美枝子が遊びに来ると生き返った気がするの。こんな田舎にいて美枝子だけが頼りなんだから。絶対、連絡してよね、じゃあね、さようなら」と、楽しそうに電話を切ったあと、母が深いため息をついているのを。
 いつも、母は美枝子さんとは気を張って話している感じがしていた。
「あなた、美枝子の家に行きたいの?」
「だから、別に行ってあげてもいいよ」
 美枝子おばさんが家に遊びに来た時など、なんどか挨拶したことがあるし、子供の頃は家に遊びに行ったこともある。優しいし、話せるし、母の友達や親族の中では嫌いじゃないおばさんだった。
 それに、今、美枝子さんは美羽の学校の近くのタワマンに住んでいる。夫の給料も悪くないが、その夫の実家からかなり援助をしてもらって買った物件だということだ。千代田区のタワマンからの風景も見てみたい。
「行ってあげてもいいよ、ってことは本当は行きたくないんでしょう。だから、そんな無理をしなくていいのよ」
「じゃあ、どっちでもいいよ」
「どっちでもいいって、どっちよ」
「だから、本当にどっちでもいいんだって」
「わかったわ、美枝子の方には私から上手に断っておくから」
 もう、めんどうくさくなって、母の言葉に反論もせずに電話を切った。何か言ったら、さらに長くなりそうだった。
 歯を磨いていると、昨夜のことが思い出されてきた。
 ざわざわとした空気の中で、美羽はやっぱり、誰とも話せなかった。
 金髪店長が言った通り、ほとんどは三十代くらいのずっと大人のおじさんばっかりで、美羽が沖縄料理店についた時は「わあっ」という声が上がるほど歓迎されたが、それが終わると、ほとんど誰にも話しかけられなかった。美羽は一番端で、もう一度「少しお酒も飲みなよ」と言われるまでずっと黙っていた。
 大学にも、高円寺にも、自分にはどこにも居場所がない気がした。

 数日後、母からまた電話をしてきた。
 幸いこの時美羽はアパートにいて、スマホで動画を見ていた。テレビはまだ買っていないが、上京する時に父が家族で契約するスマホのWi-Fiの容量を上げてくれたので、動画を見ていると時間が潰せた。
 スマホの画面に「ママ」という文字と母と美羽が仲良く顔を寄せ合っている写真が映し出されると、自分の顔なのにうんざりした。
「何よ」
 つい、きつい声が出てしまった。
「そんな言い方ないでしょう」
 しかし、母はどこか声が弱い。
「ちゃんとご飯食べてる? 今夜は何食べたの?」
「......お弁当とか」
 本当は、あまり食欲がなく、適当に余った南部せんべいと安売りの青果店で買ってきたバナナを食べて過ごしたのだけれど、それを言ったら絶対叱られる。
「お弁当なんて、ちゃんと栄養取れてるの? お金かかるんじゃないの」
「......わかってる」
「今度、小包でなんか食べるものを送ってあげるから、ちゃんと自炊して食べなさい。あ、お米も送るからね。お祖父ちゃんのお米、この間またもらったから」
「ありがと」
 お米をもらったところで、炊飯器がないのだが、また、金髪店長のところで探せばいいと思った。
「で、なんなの」
 要件を聞くと、母は一瞬黙った。
「......やっぱりね、行ってもらわないといけないかもしれない」
 めずらしく力のない小声だった。
「どこに?」
「美枝子のところ。なんかね、美枝子が美羽ちゃんにどうしても入学祝いを渡したいんだって。気を遣わないでって言ったんだけど、せっかく東京に来たのだからって」
「じゃあ、行ってもいいよ」
「美枝子のところ、男の子二人でしょ。美羽ちゃんのこと、娘みたいに思っているからって」
「だから、いいって」
「そう? 本当にいくの。......あなたも忙しいのに、ごめんね」
 なぜ、いつもぐいぐい自分の主張を押しつけてくる母が弱気なのかいまいちよくわからないまま、美枝子さんの連絡先を聞き、訪れる前に連絡することを約束した。

 学校の帰りに美枝子さんの家に寄った日は快晴だった。
「こんなふうに見えるんですね」
 美枝子さんの家のタワマンのダイニングから下を見下ろして、美羽ははしゃいだ声を上げてしまった。自分の大学が小さく見える。
「そう、だからね、あそこに美羽ちゃんがいるんだなあ、っていつも思ってたのよ」
 美枝子さんが美羽の後ろに立つ。
「あっちが皇居でしょ、それから東京駅もちょっと見えるわね。向こうが東京タワー」
「すごいなあ」
 美羽は素直に感心してしまう。
「明日、学校で話したら? 大学を上から見たって」
 美枝子さんは笑った。
「......まだ、友達いないから」
「そうなの? 紅茶、こっちで飲みましょ」
 ダイニングテーブルで向かい合わせになってお茶を飲んだ。ダイニングは二十畳ほどあって外からの光が入って、キラキラしている。田舎の家はどこも広いから、広さにはそう驚かない美羽だったけど、東京のこういう場所はきっとすごい高いんだろうな、ということはわかった。
「タワマンなんて、下に降りるまで何十分もかかったりするし、あまりいいことばかりじゃないのよ。蚊やゴキブリが出ないのはいいけど」
「そうなんですか?」
「害虫もここまで上がって来られないからね」
「うちのアパートはすごい出ますよ。この間、でっかいゴキブリ見て、びっくりしちゃった」
「あ、東京のゴキブリって、岩手より大きいよね。私もこっちに来た時は驚いたわ」
 思わず二人で声を上げて笑ってしまう。
「修介君と修一君はまだ帰らないんですか」
「うん、高校と中学でしょ。夕方まで帰ってこないわよ。帰ってきたところで、ご飯を食べる時以外は私のことなんて無視だし」
 美枝子さんは自分の母より少し結婚が遅く、三十代で二人の男の子を産んだ。二人とも受験して慶応幼稚舎から慶応に通っている。きっと大学もそのまま慶応に進むのだろう。
「ね、美羽ちゃん、ざっくばらんに聞いちゃうけど、大学の入学祝い、お金とブランドバッグなら、どっちがいい?」
「え」
 美枝子さんはかわいらしい顔に似合わず、率直な人だ。昔からそうなのかはわからないけれど、なんでもはっきりと聞いてくる。それでも、とっさにこの質問にはうまく答えられなかった。
「そうよね。バッグは見ないとわからないわよね、こっち来て」
 そして、夫婦の寝室に連れて行かれた。大きなダブルベッドに濃い茶色のカバーが掛かっている。
 美枝子さんがベッドの奥の戸を開けると、そこがウォーキングクローゼットになっていた。
「ええと、どこにあったっけ」
 そして、大小のバッグを十ほど抱えて出てきて、ベッドの上に並べた。
「これ。もう使わないやつだから、この中から好きなもの選んで。それかお金、五万円とどっちがいい?」
「ああ」
 そのいくつかは美羽でも、ヴィトンとかディオールとか、フィンディとか、すぐにわかるやつだった。小さなショルダーバッグからちょっとした旅行にも使えそうなボストンバッグまで、大きさも色もいろいろある。
 女子大生にとっては海賊の宝箱より華やかな眺めだった。
「......いいんですか」
「うん。ほとんど、二、三回くらいしか使ってないよ。傷とかもほとんどないと思う。これどう? そんなに新しくないけど、手軽に大学にも持って行けそうでしょ」
 美枝子さんはヴィトンのボストンバッグを持ち上げた。
「あ」
 あまりにもいろんなものがあって、目移りしてしまう。
「いや、ヴィトンはもう、古いかな。こっちのディオール、大きさもちょうどいいし、色もいいでしょ」
 それもまた、ボストンバッグだった。
「これ、黒に見えるけど、紺なの。服に合わせやすいよ。ヴィトンだとちょっとカジュアルだけど、これなら学校でも、ちょっとしたデートとかに持っていっても大丈夫だし」
 結局、その紺のディオールのボストンバッグを選んでいた。
「ありがたいわあ。使わないバッグとかどうしてもたまってしまうし、うちは女の子いないから、バッグになんか無関心でしょ。こういうことしてみたかったの、楽しかった」
 ダイニングに戻って、美枝子さんは満足げに紅茶を飲みながらため息をついた。
「いいわねえ、小百合(さゆり)はお嬢さんがいて」
 母を名前で呼ぶ人はめずらしい。父でさえ「ママ」と呼ぶくらいだ。
「でも、東京に来る時はケンカばっかりでしたよ」
 美羽は自分の隣の椅子に置いてある、バッグをちらっと見ながら言った。これを今日、持って帰れるのかと思うと、気持ちがふわふわした。ブランドものに特別興味があったわけではないが、それでも明日からこれを学校に持って行けるかと思うと嬉しい。
「え、どうして?」
 美枝子さんはその丸い瞳を見開く。
「母は岩手大好きですもん。私が上京するって言ったら怒っちゃって」
「小百合、昔は東京大好きだったのに」
 美枝子さんは笑った。
「え、そうなんですか」
「美羽ちゃんの東京行きは小百合が決めたのかと思ってた。それなら、それを口実に東京に遊びに来れるでしょ」
「そんなわけないですよ。私が東京に行くって言ったら毎日泣いてましたから」
「へえ、人って変わるのねえ。小百合が学生時代は何度も何度も東京に来てたのよ。お金なかったから電車乗り継いだり、深夜バス使ったりして。それで、私たちの合コンに潜り込んで、東京の男を捕まえようとして必死になってたの。結婚して東京に住みたくてたまらなかったのよ。でも、ぜんぜんうまくいかなくて、しかたなく地元の男と結婚したのよね」
 あはははははは、という高笑いは、魔女の声に聞こえた。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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