母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第三話 疑似家族(5)

「ちょっと、もう、それのろけ?」
「え」 
 話の途中で楓が手をひらひら振ってさえぎった。
「聞いてられないよ。彼、愛華と結婚する気、満々じゃん」
「そんなつもりないし、そんなことじゃないと思う」
 息が苦しくなった。
 喜びではなく、その可能性が少しでもあると言われて、それを期待してしまいそうな自分が怖くなった。
「なーにが、そんなつもりない、なの? 親に紹介するとか、それを進んで男の方がやってくれるとか、もう、全部そろいました、って感じだよね」
「そろったって何が?」
「彼の気持ち、条件みたいなもの?」
 一瞬......本当に、一瞬だけ考えてしまった。
 親に会わせないまま、親を紹介しないまま、結婚することはできないだろうか、と。重病で田舎から出てこれないとか、海外赴任していてしばらくは帰国できないとか......。とにかくなんらかの理由を付けて、会わせずに進めることはできないかと考えてみた。
 楓がまだ話し続けているのに、思わず、小さく首を振ってしまった。
 ありえない。
 いずれにしても、幸多なら絶対、どこかで「親に会いたい、挨拶したい」と言うだろうし、そのためにはどんな手段を使っても、どれだけお金を使ってもいいと言うだろう。
 向こうの親だって、会わせないのは何か「おかしい」と思うに決まってる。
「ちょっと、愛華聞いてるの?」
「あ、ごめん」
「何よ、もう、華やかな結婚生活まで想像しちゃった?」
 笑えない。
 気がついたら、涙ぐんでいた。
「あれ、ごめん、ごめん。どうしたの? 私、なんか変なこと言った?」
「いいの、こちらこそ、ごめん」
 愛華は泣きながら謝る。
 その時、自分が本当はどれだけ彼と一緒にいたいのか、結婚したいのか、わかった。
「無理なんだよ、絶対無理」
「ごめん、ごめん、愛華。もう泣かないで」
 必死になだめる楓に申し訳なくて、愛華は笑って見せた。でも、どうしても涙がこぼれてしまった。

 愛華は、自分の親が今、どこにいるか、何をしているのか、知らない。
 群馬のどこかに住んでいるんだとは思う。
 自分が高校の頃住んでいた高崎の家からは引越したかもしれないけど、たぶん、県外に出ていたり、東京に出てきていたりすることはないだろう。
 そんな気概がある人たちではないからだ。
 母はまだ四十代のはずだが、きっと高崎か前橋あたりの、中心部から少し離れたこ汚い家に住み、どこかのこ汚い飲み屋で働いて、こ汚い男と付き合っている。
 小学生の頃離婚して家を出ていった父は、別の女と作った家庭で、別の女と作った子供と一緒に、やっぱりだらしない生活をしているのだろう。
 母と話したのは、就職が決まった時が最後だ。
 あの時はどうかしていたのだと思う。景気もそこそこよかったことが幸いして、一流大学出ではないけど一部上場企業に就職できた。それがあまりにも嬉しくて、何か変な感動があふれ、「親に感謝」なんて思ってもみなかった感情がわき上がった。
 まあ、それもこれも、自分を妊娠した時堕ろしもせず、母が産んでくれたことのおかげではあるからだ。
 それで、つい電話してしまった。
 もしかしたら、少し自慢したかったのかもしれない。母に褒めて欲しかったのかも。
「そうなの......じゃあ、ちょっとお金貸してくれない?」
 祝いの言葉もそこそこに、母が言った言葉がそれだ。
「え」
「今ちょっと、困ってるのよ。ね、貸してよ。三十万でいいから」
 黙ってしまった愛華をどう思ったのか、母はつづける。
「じゃあ、十万でもいい。五万でもいい。ねえ、くれって言ってるわけじゃないのよ。貸してって言ってるの」
 その時、はっと思い出した。
 愛華が進学のために学校帰りにアルバイトして貯めた金を盗まれた日のことを。
 中学の時、愛華は早朝に新聞を配っていた。その金を貯金したいと母に相談したら、「銀行口座を作ってやる」と言われて、お金を預けたが全部使われていた。
 高校になって、コンビニでアルバイトした時、店長に教えてもらってやっと自分の銀行口座を作った。母は信用できないため、通帳と判子は通学用のバッグに入れて常に持ち歩いていた。それなのに、いつの間にか抜かれていて、全額引き出された。
 さすがに泣きながら抗議したが「家にいる間は子供が稼いだ金は親のものだ。これまで全部与えてきてやったんだから」とせせら笑われた。
 家を出るまで、大切なものはすべて学校の鍵付きロッカーに置くことになる。
 あの時も、母が金を貸せとがなっているスマートフォンをそっと切った。その後、何度もかかってきたので、電話番号を変えた。会社名をちらっと言ってしまったのが今でも気になっている。たぶん、一回言っただけだから母にはすぐに覚えられなかったと思うが、会社まで押しかけて来ないか、社会人一年目はびくびくとおびえながら通った。
 本当に親に苦労した人でなければ、自分の気持ちはわからないと思う。
 そして、そんな人ほど「どんな親でも親は親、親孝行しなければならない」なんて言うのだ。
 結婚で籍が抜かれたのがわかったりなどしたら、親は自分を探し出すかもしれないと思うと、それだけでも身体が震えそうになる。
 母親から、愛情のこもった小包を送ってくれるなんて、いったいどこの星の話かと思う。愛華の母は、ただ愛華から何かを奪うことしか考えてないような人だったから。
 母親からの小包というのがどういうものかは、なんとなく知ってる。
 前に、楓が「もう、実家から送ってくる小包がだっさいの。ダサい下着とか、変に濃い肌色のストッキングとかさあ、絶対に詰めてくるの。おかずとかもいっぱい送ってくるからしばらく家でご飯を食べなくちゃならないし。自炊は面倒だって言ってるのに米まで送って来るしさ」と愚痴っていたのを聞いたのだ。愛華はそれがうらやましくてならなかった。何回か部屋までお邪魔して、お相伴にあずかったくらいだ。
 楓の元に届く小包には、いつも出身の福島特有のパン、クリームボックスが入っていた。彼女はそれが子供の頃から大好きだったらしいが、東京では気軽に買えないので、絶対に入れてくれるそうだ。それから、竹の子ご飯。それもまた彼女の好物で、親戚の山から掘ってきた竹の子を入れたものを送ってくる。わざわざクール宅急便で。
「こんなの、送料の方がかかるのにねえ」
 楓がご飯を頬張りながら、文句を言うのも毎年のことだった。
「その分、お金でも送ってくれればいいのにさ。炭水化物抜いているのに、太っちゃう」
 そんなふうに言いながら、必ずお代わりしているのを愛華は知っている。
 自分の好物を覚えて、送ってきてくれるなんて......。
 きっと母は私の好物さえ、知らないだろう。
 愛華はそんな母親をずっと恥じているし、恐れている。もしも、あの母を幸多やその家族に会わせるくらいなら、死んだ方がましだ。
 いや、むしろそれならまだいい。母はまた自分の大切なものを奪いに来る、彼に危害を及ぼすことだってありうるのだ。それを思うと、恐怖で眠れなくなってしまう。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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