母親からの小包はなぜこんなにダサいのか第五話 北の国から(5)

 二人の北海道旅行を決行できたのは、結局、それから四ヶ月後の九月半ばだった。
 夏前にはお互いにまとまった休みが取れず、八月はハイシーズン過ぎて飛行機もホテルもどこも高く、やっと落ち着いてきたのがそのあたりだったのだ。それでも、拓也の実家からの家賃収入がなかったら、なかなか行けなかったに違いない金額だった。
 一悶着あったが、旅行代は拓也が出すことをなんとか奈瑞菜に納得させた。「僕の両親のことを調べに行くのだから」と何度も説得した。彼女には現地の食事代を出してもらうことで落ち着いた。
 羽田から札幌に飛び、さらにそこから根室中標津便に乗り換えた。
 空港でレンタカーを借りて、羅臼町まで運転した。二人とも、運転免許を持っていたこともこの旅で新たに気がついたことだった。
「羅臼とはアイヌ語の『ラウシ』が転化したもの。意味は獣の骨のあるところ、だって。いいねえ、かっこいい」
 飛行機の中でも、車の中でも奈瑞菜ははしゃぎっぱなしだった。
 朝十時に羽田から飛行機に乗って、羅臼町のホテルに着いたのは三時を過ぎていた。「どうしよう」
 拓也は通されたホテルの部屋から外を見ながらつぶやいた。
 案内されたのは海側の部屋で、そこからは寒々とした北の海と厚い雲が見えた。
 思っていた以上に暗くなった空を見ていたら、今から面識のない人の家に行くのは無作法な気がした。
「でも、ここには二泊しかしないんだよ。明日一日会えなかったら、明後日には飛行機に乗って帰らないといけない」
「こんな時間に行って、警戒されないだろうか」
「だって、まだ四時前だよ! 空は暗いけど、大丈夫だって。それに拓也一人なら警戒されるかもしれないけど、私がいるんだし」
「え」
 振り返ると、彼女はすでにバッグを持って立っていた。
「私、割とお年寄りとしゃべるの、得意だよ。お店とかでも接客するし、感じいいし」
 思わず、笑ってしまった。
「じゃあ行こうか」
 本当は怖じけずいていた。一年に一度小包を送ってくれる人に会って、「あなたは誰ですか?」「僕のお祖母ちゃんですか?」と尋ねることに。
 念のため、フロントで住所を見せたら「海沿いですね」とスーツを着た中年のホテルマンは教えてくれた。
「ホテルの前の道をずーっと行って海に突き当たったら左に曲がってください」
 今度は奈瑞菜が運転してくれた。槇恵子の家の住所をカーナビに入れると、当たり前のように「案内を開始します」と機械の声が告げた。
 今まで、想像するだけの住所が急に現実になったような気がした。
 カーナビを使うまでもなく、ホテルの人に言われた通りに行くと、十分ほどで槇恵子の家の近くまで来てしまった。
「住所によるとこのあたりだけどねえ」
 羅臼の中心街から離れ、土産物屋や民宿などの施設がだんだんになくなって、木造平屋建ての家が並び始めていた。
「北海道は車の行き来が少ないから運転が楽でいいね」
 奈瑞菜はそんなことを言いながら、ハンドルを右に切って、槇恵子の家の前に車を止めた。
 正直、思っていたような「家」とは違っていた。
 ちゃんと掃除はされているけど、屋根が低い木造住宅はずいぶん古びていて、広島でも東京でもあまり見ない形だった。拓也は少し躊躇してしまった。
「さあ、行こう」 
 奈瑞菜は拓也の手を握って引っ張るように家の前に行った。引き戸の玄関を覆うようにガラスの囲いが付いている。寒さや雪から守るためだろうか。「槇」という表札が見えるところまで来ると奈瑞菜は手を離し、さあ、と言うように拓也の背中を押した。
 拓也は意を決して、囲いに手をかけて開け、引き戸の脇に付いている、ブザーを鳴らした。
 おそるおそる鳴らしたのに、まったく、答えがない。
 しかたなく、もう一度鳴らす。家の中は静まりかえっていた。
「......いないのかな?」
「もう一度鳴らしてみなよ」
 そう言うと同時に奈瑞菜は手を伸ばして、ブーブーブーと続けざまにブザーを押した。
 まったく反応がなかった。
 拓也は思いきって、引き戸を叩いた。がちゃがちゃとも、がしゃがしゃともつかない音が響いた。
「槇さん、槇さん、いらっしゃいませんか」
 すると、やっと、遠くの方で「はあい」という声が聞こえたような気がした。
 思わず、二人で顔を見合わせてしまった。
「槇さーん! いらっしゃいませんか」
 もう一度呼びかける。
「はあい」
 今度ははっきりと声が返ってきた。
「ちょっと待ってねえ」
 そして、がらがらと玄関が開いた。
 こぢんまりとした、八十過ぎくらいの老婆が目をしばたかせなら出てきた。ジャージにどてらを羽織っている。
「はい? どちら様ですか?」
 不審そうな表情で、二人を見上げた。
「槇恵子さんですかっ!」
 まるで怒鳴るような声が出てしまった。
 老婆はしばらくじっと拓也の顔を見て、振り返った。
「恵子さあん! お客さん!」
 え、ということはこの人は槇恵子さんじゃないのか、拓也と奈瑞菜はまた顔を見合わせる。
「はあい」
 奥から出てきた人は、年の頃は拓也の父か母と同じような人だった。色白で丸い顔、ショートの髪はふわふわとパーマをかけていて、セーターにスラックスを身につけている。
「どなたでしょう?」
 拓也たちは三回目の顔を見合わせた。

 拓也が名乗ってから訪問の理由を話すと、彼女は小声で「ちょっと外に出ましょう」と言った。
「ばあちゃん、出てくるよ。先に休んでて」
 老女に言い聞かせるようにすると、素直にうなずいて奥に入っていった。
 恵子はコートを羽織り、自分の軽自動車に二人を乗せて走り出した。
「ごめんなさいね。ばあちゃんも明日は早いからね」
「あ、あの、こちらこそ、すみません。急に訪ねて。実は何度かお電話したんですが」
「このあたりはね、今は昆布漁の真っ最中なの。朝は三時か四時から陸揚げされた昆布を洗って干して......一日中外で働いて、今くらいの時間から寝てしまうの。目が覚めないように、電話の音も切っているんだわ」
 だから、これまで電話しても出なかったのか、とやっとわかった。
 彼女が連れて行ってくれたのは、おしゃれな海辺のカフェだった。外国人の女性がやっている。移住してきた人なのだろうか。
「こういうところの方が話しやすいから」
 席に案内されると、恵子は小さな声でつぶやいた。
 頼んだコーヒーが運ばれ、奈瑞菜を紹介すると、拓也は口火を切った。
「あの......改めて、ですけど、毎年、昆布を送ってくださってありがとうございました。あの、それで、僕らあの、旅行をして、あの」
 実際の槇恵子を目の前にすると、自分の祖母であるという予想は軽く裏切られてしまった。いったい、自分がなんのためにここに来たのか、それを恵子になんと伝えたら納得してもらえるのか、わからなくなっていた。
「私が言ったんです」
 急に、奈瑞菜が口を挟んだ。
「拓也さんから、毎年昆布を送ってくれる人がいる、って。じゃあ、親戚なんじゃないの? せっかくだから北海道に会いに行ってみようよ、って。私、北海道に来たことないから来てみたくて」
 ね? と奈瑞菜が拓也に声をかける。
「あ、そうです。あのすみません、実は」
 奈瑞菜のおかげでやっと自然に話せるようになった。
「もしかして、恵子さんが僕のお父さんのお母さん......お祖母ちゃんじゃないかと思ってたんです。離婚して北海道に住んでいるのかなって。だけど、違うってもうわかりましたけど......」
「そうでしたか」
 恵子は伏し目がちにうなずいた。
「すみません。それで、槇さんが父のどういうお知り合いなのか......聞きたくて。父の親戚や......僕の親戚はもうほとんどいないので。もしかしたら、親戚だったらいいな、と」
「......そうですよねえ。なんだか、ごめんなさいね。私がちゃんと手紙に書けばよかったんだけど」
「いいえ」
「慎也さんはね......うちにアルバイトに来てくれていた方なんですよ」
「アルバイト?」
「ええ。先ほども言ったように、うちは昆布漁をやっているでしょ。今は義父も私の夫も死んで、他の家が採ってきた昆布の加工を手伝っているんですけど、昔はうちも舟を持って漁をしていたんです。昆布漁って結構重労働で、家族だけではできなかったものだから、何人もの学生さんに手伝ってもらったの。住み込みで夏の間だけとかね。それで来てくれたのが慎也さん。だから昆布をお送りしてたの」
「そうだったんですか」
 なんだ、それだけの関係だったのか、と拓也は拍子抜けした。
「ごめんなさいね」
 拓也のがっかりした気持ちが伝わったのだろう。恵子は謝った。
「いいえ」
 それから、会話ははずまなかった。
 今どこで働いてるのか、羅臼にはいつまでいるのか、といった話をしただけでコーヒーを飲み終わると、自然に三人は席を立った。
「あの」
 店を出たところで、急に奈瑞菜が口を開いた。
「あの、アルバイトには何人くらいの人が来てたんですか、今までに」
 恵子は軽自動車の方に歩きながら答えた。
「アルバイト? そうねえ、毎年、数人の人が来てくれて、うちの人が死ぬまでだから、なんだかんだで、百人くらいの人が来たかしら」
「その人たち全員に昆布を送っているんですか」
 恵子が一瞬、虚をつかれたように黙り、「そうでもないわねえ」とやっとつぶやいた。
「あれだけの昆布をたくさんの人に送るのは大変ですよねえ」
「......まあ、うちで作っているものだから」
「何人くらいに送っているんですか」
「......何人かだわねえ、数えたこともないけど」
「拓也君のお父さんの他には?」
「何人かかしら」
「何人ですか」
「まあ、数人ね」
 そこで、店の駐車場の軽自動車について、三人は自動車に乗り込んだ。
 ここに来た時には運転席に恵子、助手席に拓也、後ろの席に奈瑞菜が乗ったのだが、今度は奈瑞菜が自分から助手席のドアを開けて隣に乗り込んだ。
「どうして、拓也君のお父さんとかだけなんですか」
 車が走り出すと、奈瑞菜はまた尋ねた。
「そうねえ、拓也君のお父さんは最初の頃に来てくれた人だし、なんとなく印象が強くて......」
 奈瑞菜があまりにも次々と尋ねるので、恵子が怒り出すのではないかと拓也ははらはらした。
 けれど、意外にというか、不思議なくらいにというか、恵子は冷静で、困惑しながらも奈瑞菜の質問に答えていた。
「なんとなく、あんな高価なものを三十年近く送ってくれてたんですか」
「まあ、うちで作ったものだし」
 恵子はまた同じ言葉をくり返した。
「それじゃあ、アルバイトに何年も来てくれる人もいるんですか」
「そうね、大変な仕事でいっぺんで嫌になってしまう人もいるけど、学生時代、何度も来てくれる方もいたね。このあたりが気に入ってくれて......。そういう人はアルバイトが終わっても、時々、ご家族で遊びに来てくれたり」
「拓也君も来たりしたの?」
 奈瑞菜が急に後ろを振り返って言った。
「ううん。一度も」
 奈瑞菜はまた前を向いた。
「拓也君のお父さんも何度も来たんですか」
「え」
 恵子はまた、しばらく黙っていた。拓也は思わず、少し身を乗り出すようにして、彼女の横顔を見つめた。
「......慎也さんは一度だけしか来なかったわね」
「じゃあ、どうして、拓也君の家に昆布を送ってたのか......」
 最後の言葉は質問ではなく、つぶやきのようなものだった。恵子は答えることはなく、それはいつまでも車内にただよった。
 奈瑞菜もそれ以上、詰めることはしなかった。

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか

Synopsisあらすじ

吉川美羽は、進学を機に東京で念願の一人暮らしをはじめる。だがそれは、母親の大反対を振り切ってのものだった。
頼れる知人も、また友人も上手く作れない中で届いた母からの小包。そこに入っていたものとは……?

Profile著者紹介

原田ひ香(はらだ ひか)
1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。
著書に『三千円の使いかた』、『口福のレシピ』などがある。

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