最高のアフタヌーンティーの作り方第四話 彼たちのアフタヌーンティー(9)

 翌週、秀夫の元妻と娘がラウンジにやってきた。
 秀夫の元の奥さんは、少しアンナ・マリアに似た、色白でふっくらとした優しそうな女性だ。同世代と思われる娘は、マニッシュなパンツスーツを着こなす、なかなかのキャリアウーマンタイプだった。
 窓の外では、風が吹くたびに、はらはらと紅葉が舞い散っている。その美しい光景に、母と娘は幸せそうな笑みを浮かべた。
 メニュー紹介を秀夫に任せ、達也はパントリーからラウンジの様子を眺めていた。
 最初こそぎこちなかったが、やがて、秀夫は久しぶりに再会するらしい二人と、和やかに言葉を交わし始めた。
 近くのテーブルでは、ソロアフタヌーンティーの鉄人と、涼音がなにやら話し込んでいる。
 まだ時間の早いラウンジは比較的空いていて、冬のたわやかな日差しが大きな窓越しにラウンジ一杯に差し込んでいた。
「お疲れ様でぇす」
 トレイを手に戻ってきた瑠璃に、達也は好奇心に駆られて尋ねてみる。
「鉄人、今日はなにを飲んでるんだ?」
「一杯めはヌワラエリアですぅ」
 渋い。
 だが、スリランカの高地で獲れる深い香りが特徴のヌワラエリアは、ブノワ・ゴーランの柚子のコンフィチュールをたっぷり挟んだマカロンにぴったりだろう。
 もちろん、特製ザッハトルテにも。
「本当ですか?」
 涼音が小さな声をあげて、嬉しそうに頬を染めた。
 一体、なにを話しているのだろう。
 思わず、二人の様子に注視してしまう。
 ソロアフタヌーンティーの鉄人が、胸ポケットから取り出したものに、達也はハッと息を呑んだ。
 鉄人が涼音に手渡したのは、菫のシルクフラワーだった。
 その瞬間、バックヤードで、瑠璃に見せられたインスタグラムの画像が甦る。
 やっぱり、あのインスタグラムのアカウントのユーザーは、ソロアフタヌーンティーの鉄人だったのだ。
 そう悟った瞬間、達也の眼からぱらりと鱗が落ちる。
 考えてみれば、そうではないか。
 製菓に魅せられる男がいるように、それが職業であろうとなかろうと、シルクフラワーやレースの小物を作ることに喜びを見出し、アフタヌーンティーをこよなく愛する男だっているだろう。そこに性差を求めるほうがどうかしている。
 この世には、大の男も、腐った女もどこにもいない。自分たちは皆、それぞれの仕事に従事し、それぞれの日々の中にささやかな喜びを見出そうとしている人間だ。
 太神楽、菊更紗、白侘助、紅侘助......。
 咲き始めた椿の花を、一つ一つ、慈しむように眺め、達也が精魂込めて作ったアントルメを美しく並べたのは、男のものでも女のものでもなく、〝クリスタ〟というアカウント名を持つ、あの人自身の眼差しなのだ。
 そしてそれは、「物事の美しい面を見るように心がけたい」と語った涼音の思いともどこか重なる。
 そのとき、ふと不思議なことが起きた。
 談笑する二人の姿が、切り取られたように目蓋の裏に浮かぶ。 
 でも、そこは、ホテルのラウンジではない。
 パティスリーに併設された小さなカフェ。そこで、涼音が紅茶をサーブしながら、アフタヌーンティーの鉄人や、西村京子と楽しげに言葉を交わしている。
 その様子を、達也は厨房から眺めている。
 ショーケースには、素朴な焼き菓子からモダンなアントルメまでが、宝石のように美しく並べられている。
 きっとそこは――。
「めっちゃ仲良さそうじゃないですかぁ」
 傍らの瑠璃があげた声に、達也はハッと我に返った。
 途端に、既視感(デジャビュ)は口に含んだ砂糖菓子のようにさらさらと消えていく。
「どうして、別れたんですかねぇ」
 瑠璃が不思議そうに首を傾げた。
 見れば、秀夫たちが楽しそうに談笑している。
「最短ルートもいいけどさ」
 今日も完璧なフランス人形と化している瑠璃に、達也は声をかけた。
「回り道にも意味はあるってことだよ」 
 瞬間、つけ睫毛に縁どられた眼を瑠璃が大きく見張る。 
 その瑠璃をパントリーに残し、達也は厨房へと足を向けた。
 近いうちに、自分も両親をラウンジに呼ぼう。
 これが、自分が一生をかけて取り組むつもりの仕事だと、父に見せたい気分になっていた。
 大きな窓の外、紅葉がひらひらと舞い踊る。やがてすべての葉が落ちて、庭園は冬の装いへと変わっていくのだろう。滞っているように見えて、季節は確実にめぐっていく。
 すべてはうつろい、なに一つ、昨日と同じものはない。
 ただ一つ確かなことは、たとえ巨大隕石が落ちてこなくても、凶悪な宇宙人が大挙して押し寄せてこなくても、我々は皆、いずれ必ず〝自分〟という世界から、なにも持たずに消えていく。
 その終わりの瞬間は、遅かれ早かれ、誰にとっても唐突なものだろう。
〝自分に照れてる暇なんて、どこにもない〟
〝タツヤ・アスカイ。僕は、君を覚えている〟
〝偏見を持ってるのは、僕自身だったのかもしれない――〟
 瑠璃の、ゴーランの、そして秀夫の言葉が、ないまぜになって、達也の胸に落ちてくる。
 今後、自分がどうするのかはまだ分からない。
 ただ、この先に進むためには、眼をそらし続けてきたものと、一度きちんと向き合う必要があるだろう。
 そう。
 もう自分も、いつまでも自身に臆しているわけにはいかないのだ。
「山崎さん」
 厨房に入るなり、達也はスー・シェフの朝子に声をかけた。
「一段落したら、調理班を集めてもらえないかな」
「はい」
 不思議そうに見返してくる朝子に、達也はゆっくりと告げた。
「僕について、皆に話さなければいけないことがあるんだ」


※第四話「彼たちのアフタヌーンティー」了

※この作品は、書き下ろしの最終話「私たちのアフタヌーンティー」を加え、四月二十日に、単行本として発売される予定です。「最高のアフタヌーンティー」の行方をお楽しみに。

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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