最高のアフタヌーンティーの作り方第四話 彼たちのアフタヌーンティー(3)

 その晩、達也が自宅のマンションのソファで本を読んでいると、テーブルの上のスマートフォンが震えた。
 液晶に実家のナンバーが浮かんでいる。
「もしもし」
 本を手にしたまま、もう片方の手でスマートフォンを耳に当てた。
「達也、元気にしてるの?」
 母の声が耳元に響く。どうせ年末年始の件だろうと、達也は本に視線を落としたままソファに寄りかかった。
 ホテルで仕事を始めてから、盆も年末年始も、基本的に実家に帰ることはできない。サービス業は、人が休む時期こそが繁忙期だ。自分が作った焼き菓子を送ることが、もう何年も達也の里帰りになっていた。そのことについて、母は時折、ひとしきり文句を言わずにはいられなくなるのだ。
 ところが、今回は少し様子が違っていた。友人の観光農園の林檎の収穫を手伝った際、父が梯子から落ちて肋骨を折ったらしい。
「大丈夫なの?」
 達也は読みかけの本をテーブルに伏せて身を起こした。
「痛がってはいるけど、結構元気よ。骨折って、結局、自然にくっつくまで待つしかないんだって」
 母の声の調子が明るいことに、達也は幾分安堵する。幸い、他に打った箇所はないらしい。
「本当は今年のクリスマスこそ、お父さんと一緒に、達也のホテルに泊まりにいこうかと思ってたんだけどね」
「別に、俺のホテルじゃないけど」
「あら、あんたのホテルみたいなものでしょう? ホテルの名前で検索すると、達也の写真が一杯出てくるわよ」
 それは広報課にいいように使われているだけのことだったが、母に内幕を説明する気にはなれなかった。
「もっと普通のときでよければ、俺が社割で部屋を取るけど」
 達也が言うと、母の声が一段と高くなる。
「でも、お母さんは、クリスマスアフタヌーンティーが食べてみたいのよ」
 そのとき、電話の向こうで父の怒鳴り声が響いた。
「あ、お父さんが、また文句言ってる」
 母の声に不満の色が混じる。
「昨日、お父さんにあんたのホテルのアフタヌーンティーのホームページを見せたら、びっくりしちゃってね。お茶とお菓子に四千円だの五千円だのって、一体どういうことだって、ずっと文句言ってんのよ」
「ああ......」
 それは、容易に見当がつく。故郷の田舎町でそれだけの料金を出せば、相当豪勢な寿司やステーキにありつける。
〝いくら東京でもぼりすぎだろう〟
 背後で騒いでいる父の声がここまで届く。
〝ただの茶と三段の皿にのっけただけの菓子に、そんな金を払う人間が、東京にはそんなにいるのか?〟
「うるさいなぁ。大声出すと骨折に響くでしょ。大体、ただの茶と菓子って言うけど、お父さんが喜んで飲んでる酎ハイだって、ただのアルコールと水じゃないの」
 電話口で返している母の言い草に、達也は噴き出しそうになった。
 だが、達也が大学に進学しないことに最後まで難色を示していた父は、今でも一人息子が〝菓子職人〟になったことを、心底納得しているわけではないのだろう。
 もっとも、達也が手に職をつける道を選んだ最初のきっかけは、あっさりとリストラ解雇された父の姿を見ていたからだったのだが。
「クリスマスシーズンに部屋が取れるかどうかは分からないけど、アフタヌーンティーなら、俺がいつでもご馳走するよ」
「あら、達也がご馳走してくれるなら、お母さん、一人でいこうかな。日帰りできない距離でもないし」
 母の声が俄然色めき立った。
〝どうせなら、もっといいものをご馳走しろ〟と、父がなおも騒いでいる。
〝それなら俺もいくぞ。築地の寿司とか、浅草の牛鍋とか、銀座の天麩羅とかなら......〟
「もう、お父さん、さっきからうるさいなぁ!」
 最後は父と母の言い合いになった。
 クリスマスアフタヌーンティーでも、築地の寿司でも、浅草の牛鍋でも、銀座の天麩羅でも、なんでも好きなものをご馳走すると約束して、達也は通話を切った。
 あの様子なら、父の骨折も、それほど心配することはなさそうだ。
 しかし、同じ値段なら、もっといいものが食べられると言った父の言葉は、ほとんどの男性にとっての本音だろうと達也は考える。
 甘党の男性は決して珍しくないが、彼らがホテルアフタヌーンティーを選ぶかと言えば、それはまた別の問題だ。ラウンジのゲストも、圧倒的に女性が多い。もちろん、夫婦やカップルのゲストもいるが、ほとんどの男性客は、女性客の付き添いに見える。
 ソロアフタヌーンティーの鉄人なんかは、例外中の例外だ。
 製菓の仕事を選んだことを、後悔したことは一度もない。それでも、父をはじめとする多くの男性にとっての〝菓子〟のイメージが、取るに足らないものであることくらいは簡単に想像できた。
 桜山ホテルはまだ価格を抑えているほうだが、外資系ホテルのアフタヌーンティーには、七千円を超えるものだってざらにある。父なら値段を見ただけで、間違いなく怒声をあげるだろう。
 アフタヌーンティーって、本当になんなんだろうな。
 しっかりとした食事でもない。お酒を楽しむものでもない。乾杯用のシャンパンがつくものもあるが、主役はあくまでもお茶とお菓子だ。
 達也はテーブルの上の本を手に取った。
 読みかけのページを開くと、黒い頭飾り(ヘッドドレス)をかぶった、一人の女性の肖像画が現れる。
 第七代ベッドフォード公爵夫人、アンナ・マリア――。
〝ときは十九世紀、大英帝国最盛期のビクトリア時代。アフタヌーンティーは、一人の貴婦人の空腹から始まったんです〟
 講談師さながらの弁舌を振るっていた、涼音の姿が目蓋の裏に浮かんだ。
 常連客の西村(にしむら)京子(きょうこ)が、〝女子会〟の女性ゲストたちから一人でアフタヌーンティーを食べていることを寄ってたかって揶揄されていたとき、すかさず涼音が間に入り、今ではイギリスの社交の場にまでなっているアフタヌーンティーが、その実、一人の貴族女性が自分のベッドルームで人目を忍んで〝間食〟を楽しんだことから始まったのだと説明した。
〝だから、アフタヌーンティーは、決して社交だけのものではありません。お一人でじっくり楽しんでいただくこともまた、アフタヌーンティーの本来の在り方なんです〟
 どちらのゲストの顔も潰すことがないよう、涼音は見事に説明をしてみせた。
 あのとき達也は、ラウンジの雰囲気を悪くした〝女子会〟の女性たちを、全員追い返してしまうつもりでいた。涼音がいなければ、五人分のアフタヌーンティーを無駄にするところだった。
 涼音の蘊蓄話が忘れられず、遅ればせながら、達也はアフタヌーンティーの歴史を改めて紐解いている。これまでバッキンガム宮殿やイギリス各地のメニューや配合(ルセット)を研究することはあっても、その歴史については、それほど詳しく調べたことがなかったのだ。
 ロンドンから北西へ車を約一時間走らせたベッドフォードシャー州に、アンナ・マリアが暮らした館、ウォーバンアビーは今なお存在し、現在はギャラリーやティールームを併設したミュージアムになっているらしい。
 写真で紹介されているウォーバンアビーは、サファリ・パークまでを含む壮大な敷地内に佇む、白亜の瀟洒な館だ。
 こんな豪奢な館で暮らしながら、一日中コルセットをつけていなければならなかった貴婦人たちは、朝食以降、夜遅くに始まるディナーまでなにも口にすることができなかったという。その空腹に耐えきれず、アンナ・マリアはベッドルームに隠れて紅茶とお菓子を楽しんだ。
 やがてそこに親しい女友達を招くようになると、〝秘密のお茶会〟は瞬く間に女性貴族たちの間に広がった。それが、最終的には英国を代表する社交の場、アフタヌーンティーへと発展していったのだ。
 黒いヘッドドレスをかぶった色白のアンナ・マリアは優しげだが、聡明そうな眼差しをしている。
 裁縫の得意だったアンナ・マリアは、〝秘密のお茶会〟を開くときに、自らデザインしたティーガウンを纏って現れた。日本の着物からインスピレーションを得たと伝えられるそのガウンは、当時の貴族社会では考えられない奇抜なものだったが、コルセットに苦しめられていた女性たちの間で、爆発的な人気を呼んだ。
 アンナ・マリアのアフタヌーンティーは、空腹からだけではなく、窮屈なコルセットからも女性たちを解放したのだった。
 そうした独創性と利発さを兼ね備えていたためか、アンナ・マリアはビクトリア女王にことのほか寵愛された。肖像画のアンナ・マリアは、ふっくらとした腕にビクトリア女王の肖像画の入った金の腕輪をしている。アンナ・マリアが〝秘密のお茶会〟で使用したティーポットも、女王が直々に彼女へ贈ったものだった。
 しかしそれゆえに嫉妬を買い、後にアンナ・マリアは女王の側近から外されることになる。
 こうしたエピソードまでが、なんとも今日(こんにち)的だ。
〝なんか、嫌ですね。椅子取りゲームしてるみたいで〟
 バックヤードでの涼音の言葉が甦り、達也は一つ息をつく。
 常連だった京子と〝女子会〟の五人組も、同じ職場で働く同僚だったようだ。五人組は元々一見客だったが、あの出来事以降、京子もラウンジを訪れなくなった。
 せっかく、クリスマスは常連用のメニューを用意したのにな......。
 女性たちが始めた〝秘密のお茶会〟は、解放であると同時に、噂や秘かな策略を呼ぶものだったのかも分からない。
 心底幸せそうにルバーブのタルトレットを頬張っていた京子の様子を思い出し、達也は少々複雑な気分になる。
 しかし、そう考えると、アフタヌーンティーは昔も今も、良くも悪くも、やはり女性たちのものなのか。
 アンナ・マリアが夫の弟に寄せた書簡によれば、ハンガリーの王子を招いた午後五時のお茶会でも、男性ゲストは主賓のエステルハージ王子ただ一人だったらしい。
 だとすれば――。
 達也はアンナ・マリアの肖像画のページを閉じ、本棚からもう一冊の本を取り出した。
 ウイーン古典菓子について書かれた本だ。
 本の中で、著者は、若い女性の嗜好に合わせて、軽さや柔らかさばかりを追求した昨今の洋菓子を厳しく批判している。
〝甘いものが人を幸せにする〟という曖昧なファンタジーは、伝統的な菓子が持つ本当の魅力を見えにくくさせている。しっとり、ふわふわ、甘さ控えめだけを追求する日本の所謂〝洋菓子〟は、ヨーロッパの伝統菓子とは似て非なるものだ、と。
 確かに「太陽の沈まない帝国」とまで言われたオーストリア、ハプスブルク王朝の華麗な文化を背景に生まれたウイーン菓子には、独特の奥深さがある。ウイーン菓子の代表でもあるザッハトルテの作り方を初めて知ったときは衝撃だった。それまではチョコレートでコーティングされているというくらいの知識しかなかったが、実際には砂糖のシロップとチョコレートを一〇八度まで煮詰め、砂糖を再結晶化させることで表面を固めて艶を出すのだ。表面のチョコレートはしっかり固まっているが、口に入れた瞬間、シロップの結晶がシャリシャリと崩れ落ち、すうっと溶ける。こんな高度な技術が、一八〇〇年代のウイーンに既にあったというのが驚きだ。
 カフェ発祥の地として知られ、そのカフェ文化がユネスコの文化遺産にも登録されているウイーンでは、二百年以上前の菓子のレシピを忠実に守り続け、伝統を受け継ぎ、変わらないことを身上としている。それ自体、立派なことだと達也も思う。
 昨今の女性グルメリポーターがスイーツを食べたときに連発する、ふわふわだとか、とろとろだとかいったキーワードに辟易とする気持ちもよく分かる。けれど、この著者の主張はもっと過激だ。
 読み方によっては、「伝統的な古典菓子は女子供のためのものではない」とさえ読めてしまう。
 著者は須藤秀夫。
 プロフィールを確認しながら、達也は眉間にしわを寄せる。
 もしこの著者が、同姓同名の他人ではなく、本当にセイボリー担当のシェフ、秀夫だとしたら、女性ゲストを圧倒的なターゲットとしているアフタヌーンティーを、本当はどう思っているのだろう。
 もちろん、自分も秀夫も曖昧なものを作っているとは思わないが、ホテルアフタヌーンティーは、ある意味では、非日常を演出するファンタジーだ。
 しかし、達也よりも先に涼音の意見に耳を傾けようとしていた秀夫と、本の中の固陋(ころう)で頑なな著者のイメージは、どうにも重ならない。
 ただ――。
 達也自身、この本の著者の主張に全面的に賛成しているわけではないのだが、読み進めていくうちに、自ずともう一つの感慨を抱かずにいられなかった。
 この著者は知っている。
 ウイーンの街に古くからあるカフェコンディトライ――カフェ併設の製菓店――、アルザス、ブルターニュ。ブルゴーニュ......フランス各地に伝わる伝統菓子。
 約一年半をヨーロッパの製菓店の厨房で過ごし、すべてを自分の眼で見て、体験している。
〝留学経験がなくても、素晴らしいシェフやパティシエは大勢いる。今や製菓の技術は日本のほうが上と言っても過言ではないんだし......〟
 専門学校時代の恩師、高橋(たかはし)直(なお)治(はる)はそう言った。
 達也とて、その意見に異存はない。
 海外スタッフとの共同作業も、外資系ホテルの厨房で経験した。
 だから、ブノワ・ゴーラン氏を迎えることにも、なんら引け目を感じるようなことはない。
 それなのに、胸の奥にわだかまっているこの感情はなんなのだろう。
 いつの間にかじっと考え込んでいる自分に気づき、ハッと我に返る。
「さて、風呂でも入るかな......」
 わざと声に出して呟き、達也は本を棚に戻した。

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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