最高のアフタヌーンティーの作り方第四話 彼たちのアフタヌーンティー(4)

 十二月に入ると、すべてが一気に加速した。
 先月までは気温も二十度に達する日が続き、冬どころか、秋らしくさえなかったのが、晴れ間のある日中でも急劇に冷え込むようになった。
 ラウンジのクリスマスアフタヌーンティーは、土日ともなるとフル回転状態が続き、息つく暇がない。今になって、ツーラインを後悔しているスタッフもいるようだった。
 加えて、年末にはブノワ・ゴーラン来日イベントもある。
 クリスマスと年末年始は、ホテル勤めにとっては地獄の季節だ。十二月は誰にとってもせわしない時期だが、ほとんどの人にとって、それは年末年始の休みまでのことだろう。ところが、ホテルはその時期に最大の繁忙期を迎える。
 これまでつき合ってきた女性たちと長続きしなかったのは、クリスマスはもちろん、初詣にも一度も一緒に出かけられなかったことも関係があるのかもしれない。
 まあ、俺の場合、それだけじゃなかっただろうけどな......。
 戦場のような厨房で指揮を執りながら、達也はぼんやり考える。
〝ケーキと結婚しろ〟
 別れ際にそう詰(なじ)った女性の顔が既に朦朧としている自分自身に呆れてしまう。だから、最近は恋愛のことはほとんど頭になくなった。
 そう思った瞬間、配膳室(パントリー)で紅茶を淹れている涼音の姿が視界に入り、思わず顔を背ける。
 場合かよ――。
 涼音を見ていると、調子がくるう。
 正反対のようで、でもどこかが似ているようで、自分でも気持ちを持て余す。
 その思いの正体がなんなのかを見定める余裕もなく、達也は達也で、涼音は涼音で、今年最後の月を迎えた華やかなラウンジの舞台裏を駆け回っていた。
 午後六時のラストオーダーの仕上げをすべて確認すると、達也はようやく息をついた。
 軽く休憩をとったら、お次はバンケット棟のミーティングルームで、ブノワ・ゴーラン氏とコラボするイヤーエンドイベントの最終打ち合わせだ。秀夫の姿を探したが、既に厨房にはいなかった。もうバンケット棟へ出向いたのだろうか。
 コーヒーを片手に、達也もバックヤードへ向かう。
 忙しさのせいもあるのだろうが、最近、秀夫は少し変だ。先日のミーティングで、イヤーエンドアフタヌーンティーに使用する柚子の産地について意見を求めたときも、心ここにあらずといった感じだった。
〝飛鳥井君のほうで使いやすいものを選んでもらえれば、こちらは合わせられるから......〟
 返事を促すと、ごまかすようにそんなことを言っていた。
 アフタヌーンティーの主役はスイーツと割り切っているせいか、以前から秀夫は達也の意見を優先してくれる。
 でも――。
 もしあの本の作者が本当に秀夫本人なら、それは割り切りではなく、きっとあきらめだ。
 もっと悪い言葉で言えば、投げ遣り、か。
〝ザッハトルテに柚子のジャムを合わせてみようと思うんですよ〟
 だからあのとき、達也は試すつもりでそんなアイディアを出してみた。
 本来ザッハトルテは、スポンジ生地(ジェノワーズ)の間に酸味の強いアプリコットジャムを挟む。それが伝統的な配合(ルセット)だ。ウイーン古典菓子に忠実なあの本の著者なら、「そんなものはザッハトルテではない」と激昂するだろう。
〝いいと思うよ。チョコレートと柑橘の組み合わせは鉄板だし〟
 けれど秀夫は、気の抜けた表情で頷いただけだった。
 やっぱり、別人かね......。
 達也はノックをして、バックヤードの扉をあける。
 バックヤードでは、当の秀夫が、ゲストファイルを手にしたラウンジスタッフの瑠璃とテーブルをはさんでなにやら話し込んでいた。
 珍しい組み合わせに、達也は眼を丸くする。
「ああ、飛鳥井君。そろそろミーティングの時間かな?」
 秀夫が慌てたように振り返った。
「いや、まだ少し余裕がありますよ」
 邪魔をしないほうがいいのだろうかと、達也はドアノブを握ったまま戸惑いの滲んだ声を出す。
「飛鳥井さん、お疲れ様でぇーす」
 瑠璃に視線で席に座るように促され、そのまま立ち去るわけにもいかなくなった。
 半ば遠慮しながら、コーヒーを手にテーブルの一番端の椅子に腰を下ろす。
「飛鳥井君、実はね......」
 改まった様子で、秀夫が切り出した。
「須藤さんが、年末に奥さんと娘さんをラウンジに招待したいんですってぇー」
 秀夫の言葉を待たずに、瑠璃が万歳をしてみせる。
「いや、娘はともかく、奥さんのほうは、エクスワイフなんだけどね」
 エクスワイフ――?
 達也は一瞬きょとんとしたが、別れた妻のことを言っているのだと気づく。秀夫が熟年離婚していることを、頭の片隅に思い出した。ただし、調理班でコンビは組んでいても、秀夫とそうした個人的な話をしたことは一度もない。
「もちろん、平日にするつもりだけれど、申し訳ないね。こんな繁忙期に......。どうせなら、ミシュランシェフとコラボするイヤーエンドアフタヌーンティーを食べてみたいと、娘が言うものだから」
 秀夫が眉根を寄せた。
「いえ」
 達也はすかさず首を横に振る。
〝でも、お母さんは、クリスマスアフタヌーンティーが食べてみたいのよ〟
 そう言えば、達也の母も、先月似たようなことを言っていた。
 なんでも好きなものをご馳走すると約束したけれど、あれ以来、母から連絡はない。結局あちらも年末の忙しさにかまけて、それどころではなくなったのだろう。
 東京の都心と茨城の田舎町には、やはり、まだ距離がある。
「週の前半であれば、多少の余裕はありますよ。月曜か火曜の早い時間なら、最終週でもなんとか窓際のいいお席にご案内できますぅ」
 ファイルをめくりながら、瑠璃が小首を傾げた。
「瑠璃ちゃん、ありがとう。早速、娘に連絡してみるよ」 
 調理服のポケットから二つ折りのガラケーを取り出し、秀夫がせかせかと席を立つ。
「それじゃ、飛鳥井君。後程、バンケット棟で」
「あ、はい......」
 慌ただしくバックヤードを出ていく秀夫の後ろ姿を、達也は曖昧に頷きながら見送った。
 秀夫の様子がいつもと違っていたのは、どうやらこのことが原因だったらしい。
「須藤さん、このホテルにきて結構長いはずなのに、初めてご家族を招待するんですって」
 瑠璃の声に、達也は我に返る。
「あ、元ご家族か......って言っても、娘さんは娘さんだもんね。やっぱり、ご家族だよね」
 一人で問答している瑠璃に、思い切って問いかけてみた。
「須藤さんって、ここにくる前はどこにいたんだ?」

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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