最高のアフタヌーンティーの作り方第二話 俺のアフタヌーンティー(5)

 それから午後三時までは、厨房、ラウンジ共に一番忙しい時間帯だった。
 次々仕上がってくるプティ・フールを一つ一つチェックするだけで、時間はあっという間に過ぎていく。達也も、もうそれ以上、余計なことを考えている余裕はなかった。
「シェフ、後はこちらでなんとかできますので、そろそろ休憩に入ってください」
 スー・シェフの朝子が声をかけてくる。
 掛け時計を見ると、もう四時近くになっていた。
 達也は時折夢中になりすぎて、休憩を取るのを忘れてしまう。しかし、それでは他のスタッフも休めないのだと、先日朝子からそれとなく抗議をされたばかりだった。
「じゃ、後はよろしく」
 朝子に頷き返し、達也は仕上げのパートから離れた。
 バックヤードへ向かう途中、配膳室(パントリー)を通りかかり、達也はふとラウンジへ視線をやった。
 お、ソロアフタヌーンティーの鉄人――。
 窓側の席で、一人でアフタヌーンティーを楽しんでいる中年男性の姿が眼に入り、自然と足がとまる。
 大きな窓の向こうの新緑を背景に、すっと背筋を伸ばしてティーカップを指先でつまんでいる姿は、冴えない容貌に反して妙に様になっていた。
 本当に不思議なオッサンだ。
 混雑するラウンジを嫌ってか、ゴールデンウイークや人気の蛍シーズンは外しているが、季節ごとに必ず一人でラウンジに現れる。そして、制限時間一杯、思う存分、アフタヌーンティーを堪能していくのだ。
 近くの席で、やはり一人でテーブルについている、度の強い眼鏡をかけた地味な女性にも見覚えがあった。彼女もよく一人でラウンジを訪れる常連客だ。
 静かに窓の外を眺めている彼らの奥では、中国人の家族らしい団体客が、スマートフォンをかざして、にぎやかに写真を撮り合っていた。小さな子供から、祖父母らしい年配者まで。中国人の家族は、本当に仲が良い。日本では、家族旅行など絶対に参加しないであろう反抗期真っ盛りの十代の少年少女までが同行していることには、毎回、新鮮な驚きを覚える。
 華僑として海外で生活する親族も多い中国人にとって、家族というのは本当に特別なものなのかもしれないと、達也は想像した。
 ほとんどアフタヌーンティーを食べ終えた彼らに、呉彗怜(ウースイリン)が母国語でにこやかに話しかけている。
「飛鳥井シェフ、お疲れ様ですぅ」
 そこへ、空になったグラスやポットをトレイに載せた林(はやし)瑠璃(るり)がやってきた。
「今から休憩ですかぁ?」
「あ、ああ......」
「今日はもう、ピークは越えましたもんね。週末にしては割と楽でしたぁ。後は五人の女子会っぽい人たちがきたら、予約はおしまいですよ。鉄人も、いいとき狙ってきますよねぇ、さっすがぁ」
 瑠璃は小首を傾げて「てへっ」と笑ってみせる。
 そのいささかあざとさが漂うフランス人形のような姿を見ながら、達也はつい、好奇心に駆られて聞いてみた。
「鉄人、今日はなにを飲んでるんだ?」
「一杯めがアイスの炭酸入りグリーンティーで、二杯目からはダージリンのセカンドフラッシュですぅ」
 完璧――。
 達也は胸の中で親指を立てる。
 まさしく今回のグリーンアフタヌーンティーに合わせてもらいたい、お薦めの選択だった。
 アフタヌーンティーにアイスティーは邪道と考える向きもあるようだけれど、達也に言わせれば、決してそんなことはない。気温と湿度が上がるこの季節には、むしろ、一杯めは冷たい飲み物で口をさっぱりさせてから温かい紅茶を飲むほうが、より本来の茶葉の味を楽しめる。
 しかも夏摘みのセカンドフラッシュは、爽やかな味わいの春摘みのファーストフラッシュに比べ、熟した果実のようなマスカテルフレーバーが特徴だ。マスカテルフレーバーは、よくマスカットの香りに例えられるが、実際にはもっと濃厚で重い。巨峰の皮を噛んだときの渋みにも似ている。喉の渇きをいやした後に、スコーンやプティ・フールと共に、じっくりと味わってもらうのにふさわしい。
 達也はもう一度、ソロアフタヌーンティーの鉄人の様子を窺った。
 鉄人はスコーンを横水平にナイフで切り、切り口の上にあらかじめ皿に取ってある杏子ジャムとクロテッドクリームを塗っていた。
 前回、クレア・ボイルとバラエティー番組に出たときにも話題になったが、アフタヌーンティーの本場イギリスでも、ジャム・ファーストか、クリーム・ファーストかでは様々な論争があるらしい。 
 焼き立てのスコーンの余熱でクリームが溶け出すのを防ぐために、一旦はジャム・ファーストというルールができたものの、そこへクリームの産地のデヴォンの人たちが噛みついた。
 溶ける分など気にせず、先にたっぷりクリームを載せる。それこそが伝統的なスコーンの食べ方だと。
 事実、クロテッドクリームのしみ込んだスコーンは、しっとりとした食感と表面のカリッとした香ばしさが相まって、特別な美味しさになる。
 ところが、同じくクリームの産地であるコーンウォールの人たちが、おおいに異論を唱えた。
 デヴォンのクリームは色が悪いから、上にジャムを載せてごまかしているだけ。コーンウォールの黄金色のクリームなら、堂々と一番上に載せられる。クロテッドクリームの正統は、コーンウォールにありと。
 この論争は、ときにデヴォンVSコーンウォールとも譬えられるそうだが、要は「好みの問題」だと、クレアは笑っていた。
 ちなみに、ソロアフタヌーンティーの鉄人は、ジャム・ファースト派のようだった。
 近くの席の眼鏡の女性のテーブルの上には、ポットが載っていない。
「メガネっ子さんは、いきなりのカフェオレですぅ」
 達也の視線に気づいた瑠璃が、屈託なく言い放つ。
 はい、邪道――。
 だが、それもまたよしだろう。
 本来、コースメニューであるアフタヌーンティーの食べ方は、セイボリー、スコーン、スイーツと厳然と決まっていて、後戻りはマナー違反とされる。
 だが眼鏡の女性は、そうした順番もまったく無視して、真っ先に特製菓子(スペシャリテ)のルバーブのタルトレットにスプーンを入れていた。
 一口食べた瞬間、心底幸せそうな顔つきになる。
 いま彼女の口の中では、バニラビーンズが効いたリッチなカスタードクリームと、甘酸っぱいルバーブのコンポートが絶妙に混じり合っているのだろう。
「美味しそぉおお」
 瑠璃が羨ましそうに溜め息をつきながら、洗い場にトレイを下げにいく。
 作法よりなにより、達也にとっては、それが一番だった。あんなに美味しそうに食べてもらえるなら、邪道もマナー違反も関係ない。
 鉄人の玄人肌の選択にも唸らされるが、眼鏡の女性が心からアフタヌーンティーを楽しんでくれていることもまた、純粋に嬉しかった。
 そのとき、ラウンジの入り口が、急ににぎやかになった。
 彗怜が見送る中国人家族たちと入れ違いに、華やかに装った五人の若い女性たちが涼音に伴われてやってくる。どうやら彼女たちが、瑠璃の言っていた本日最後の予約客らしい。
「今すぐ、窓側のお席をご用意致しますね」
 大分空(す)き始めたラウンジの入り口の席に女性たちを一旦案内し、涼音は彗怜と連携して窓側のテーブルを片付け始めた。午前中、客席の案内のことで揉めていた二人だが、今はてきぱきと協力し合い、人気のある窓側席を効率的に回している。
 スー・シェフの朝子とも今一つ打ち解けられない達也は、息の合った二人の様子から、そっと視線を外した。
「あれ、もしかして西村?」
 達也がバックヤードへ足を向けかけたとき、入口の席に着こうとしていた女性の一人が、ラウンジに響くような声をあげた。
 その瞬間、窓側の席でアフタヌーンティーを楽しんでいた眼鏡の女性が、びくりと肩をすくませる。
「やだ、やっぱ、西村じゃん」
「本当だ。あんなところに西村がいる」
 席についていた女性たちまで、どやどやと立ち上がった。どうやら、眼鏡の女性と彼女たちは、知り合いのようだった。
 しかし――。
「ちょっと、西村ぁ。あんた、まさか一人でアフタヌーンティー食べてんの?」
「え、嘘でしょう? どれだけ友達いないの」
 女性たちの声に嘲笑が交じる。
「アフタヌーンティーって社交だよね」
「一人って、ありえないんですけど」
 ラウンジが空いているのをいいことに、彼女たちは傍若無人に声を張り上げた。
「なに、ぼっちでこんなところにきてるわけ?」
 すぐ傍にも一人でアフタヌーンティーを食べているオジサンがいるのだが、まるで眼中にない様子で、彼女たちは眼鏡の女性に近づいていった。
「なんなら、うちらの女子会に合流しなよ」
 ラウンジを突っ切ってやってきた女性たちに囲まれて、眼鏡の女性は完全にうつむいてしまう。
「ねえ、なんとか言いなって。せっかく誘ってるのに」
「この間、会社のお花見のときも、この人、途中でバックレちゃったんだよ」
「あれじゃ、まるで私たちが苛めてるみたいじゃん」
 コーラルピンクの口紅を塗った、ひときわ派手な茶髪の女性の背後で、「ま、誰も気づいてなかったけどね」と、他の女性たちが意地悪く微笑み合った。
「仲良くしようよ。同じ虐げられし非正規組なんだし。分かるよ。たまにはこれくらいの贅沢しないと、ストレスたまるばっかりだもんね」
 くだけた調子を装いつつ、女性たちは高圧的に眼鏡の女性を見下ろしている。
「でも、ぼっちでアフタヌーンティーって、暗すぎるよ。うちら、まだ二十代なのにさ」
「それに、非正規組は、ちゃんと一枚岩にならないとね」
「あんたが〝お勉強〟とやらのために残業しないから、そのしわ寄せがこっちにきてることも、この際、話し合いたいし」
「そうだよ。アフタヌーンティーは社交なんだし、いい機会だよ」
 眼鏡の女性が手にした銀のスプーンが微かに震え始めているのが、ここからでも分かる。
 これは、さすがにまずい。
 幸福そうにスペシャリテを頬張っていた眼鏡の女性が見る見るうちに蒼褪めていくことに、達也は我知らず小さな怒りを覚えた。
 気づいたときには、ラウンジに向かって足を踏み出していた。ほかの客に迷惑だと、彼女たちを追い返すつもりだった。五人分のアフタヌーンティーがキャンセルになるけれど、それはシェフ・パティシエの自分が責任を負えばいいと咄嗟に考えた。
 調理を担当した現場の雰囲気は悪くなるだろうが、こんな状況を断じて見過ごすわけにはいかない。
 ところが、達也の動きを遮るように、先んじて動いた影があった。ホテルのシンボルカラーである、桜色のスカーフが眼の前をかすめる。
 涼音だ。
 ちらりと達也を振り返った大きな瞳が、「任せてほしい」と告げていた。
〝大丈夫です〟
 瞬間、自分を真っ直ぐに見つめて語りかけてきた涼音の様子が、達也の脳裏に浮かんだ。
「お客様、お待ちください」
 落ち着いた声が、客のまばらなラウンジに響く。
 眼鏡の女性をかばうかの如く、涼音は五人の女性の前に立ちはだかった。

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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