最高のアフタヌーンティーの作り方第四話 彼たちのアフタヌーンティー(6)

 翌週、ブノワ・ゴーランが、桜山ホテルにやってきた。
 氏の来日を歓迎するように、庭園の木々が色とりどりに染まっている。
 イロハモミジの赤。ケヤキの朱。イチョウの黄色――。
 バンケット棟のレストランホールから見渡す硝子越しの風景は、まるで金襴緞子のようだ。
 今や東京の紅葉の見ごろは、十二月半ばまでずれ込んでいるらしい。
 達也はバンケット棟のフレンチレストランのパティシエたちと一緒に、ゴーラン氏がマンハッタンの厨房から持ってきたクロカンブッシュのパーツの組み立てを手伝っていた。
 時刻は午後四時になろうとしている。レストランのディナータイムが始まる前に、設営を終わらせなければならない。ラウンジは忙しい時間だが、厨房の指揮はスー・シェフの朝子に任せてきた。
 ホールには、いくつもコンテナが運び込まれている。ゴーランの指示に従い、バンケット棟のレストランのスタッフが慎重にパーツを取り出していた。
 シューを高く積み上げれば積み上げるほど、天に近づき幸福になれる。
 そんな言い伝えを持つお菓子だけに、運ばれてきたパーツを組み立てると、ゆうに二メートルを超す高さになった。
 土台となるシューをこれだけ焼くのは大変な作業だったろう。
 時折窓の外の紅葉に見惚れながら、始終、穏やかな笑みをたたえて指揮を執っているゴーランの横顔を、達也はさりげなく眺めた。
 四十半ばでミシュランの二つ星を獲得したゴーランは、マンハッタンのフレンチレストランを経営するほか、南仏に果樹園を併設したパティスリーを構える優秀な実業家でもある。
 ゴーランが栽培から手をかけた果実で作るコンフィチュールは、ヨーロッパでも人気のブランドだ。今回、シューの合間に飾られたマカロンにも、糖度の高いコンフィチュールがたっぷりと挟まれているらしい。
 それにしても本当に見事な細工だ。
 パーツを組み立てながら、達也は感嘆を禁じ得なかった。
 クロカンブッシュを彩る薔薇の飴細工は、咲き始めから満開まで一つ一つ形が異なり、息を呑む精巧さだった。
 ほとんど芸術品と言っていい技巧を凝らした細工だが、日本のウエディングケーキのように造花を飾ったりはせず、あくまで食材のみで構成しているのが、いかにも美食の国フランスの菓子らしい。
 日本の純白のウエディングケーキは、実のところ、フランスの祝い事に欠かせない、このクロカンブッシュの影響を受けていない。
 日本で主流のウエディングケーキの源流は、アフタヌーンティー同様、十九世紀のイギリスビクトリア時代に遡ると言われている。あのアンナ・マリアを寵愛したビクトリア女王の第一王女の結婚式に、初めて二メートル近い三段重ねの巨大ケーキが登場し、これが世界的なニュースになった。
 それがなぜか太平洋戦争後の日本に伝わり、一世を風靡したというのが、現代まで伝わる日本式ウエディングケーキの来歴だ。
 ビクトリア時代の三段重ねのケーキにはそれぞれ用途があり、一番下は宴席に参加した人たちが新郎新婦と共にその場で食べ、二段めは宴席にこられなかった人たちへ配られ、一番上は新郎新婦が持ち帰り、第一子が誕生したときに改めて食べたと伝えられている。
 要するに、一番上のケーキが腐る前に、第一子を誕生させろということなのだろう。
 専門学校時代の恩師、直治からこの話を聞かされたとき、随分なプレッシャーだと思ったことを覚えている。
 ウエディングケーキのトップ部分が日持ちのする飴細工だったとしても、正直、気分のいいものではない。
「サンクス!」
 ゴーランの発声に、考え事にふけりながら手を動かしていた達也は現実に引き戻された。
 すべてのパーツが組み立てられ、堂々たるクロカンブッシュが完成している。すかさず広報課のカメラ班がやってきて、盛んに写真を撮り始めた。
 達也も数歩離れて、年末のレストランホールを飾る三つのクロカンブッシュを眺めてみる。
 高い天井の下、薔薇をモチーフにしたゴーランの華麗なクロカンブッシュを中心に、左に達也の雪の結晶をモチーフとしたもの、右に松竹梅をモチーフにしたバンケット棟のシェフ・パティシエのものがずらりと立ち並ぶ。なかなかに壮観な眺めだった。
「それでは、各シェフ、ご自分のクロカンブッシュの前に立っていただけますか」
 広報課の女性の指示に従い、達也はゴーランの左隣に立つ。
 写真を撮られながらも、何度か背後のクロカンブッシュに眼をやった。ライトを浴びて、三つのクロカンブッシュの飴細工が美しく輝いている。
 達也の雪の結晶も、バンケット棟のシェフ・パティシエの松竹梅も、技術的には決してゴーランに引けを取っていない。
 でも、なんだろう。
 やはり、どこかが中央に立つ薔薇のクロカンブッシュとは違う。良し悪しの問題ではない。
 それは、多分、感性としか言いようのないものだ。
「食文化」という言葉がある。どんな単純な料理でも、その背後には、その国や地方の歴史、風土、文化が潜んでいる。菓子もまた然り。
 日本人が、西洋人と同じ感性で西洋菓子を作ることは、やはりできないのかもしれない。
 ましてや、自分は――。
「飛鳥井さん、笑ってください」
 広報課の女性の囁き声で我に返る。知らないうちに、相当険しい表情を浮かべていたらしい。
 眉間のしわを解き、達也はカメラのレンズに顔を向けた。
 ふと視線を感じ、隣を意識する。
 傍らのゴーランが、こちらをじっと見た気がした。

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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