最高のアフタヌーンティーの作り方第二話 俺のアフタヌーンティー(4)
休日明け、達也はいつものようにパティシエコートに身を包み、ケーキ類(アントルメ)の厨房で各スタッフたちの工程を見守っていた。
窓の外の新緑が眩しい。ケヤキやカエデが柔らかな新芽を伸ばし、爽やかなグリーンアフタヌーンティーが一層映える季節になってきた。もう少しすると、桜山ホテルの庭には、ゲンジボタルが飛び始める。
今日は週末だが、いつもに比べ、比較的ゲストが少ない。
皆、もうすぐ到来する蛍シーズンを狙っているのだろう。
「シェフ、お願いします」
スー・シェフの朝子が持ってくる、プティ・フールのチェックを一通り済ませ、達也も仕上げに加わった。フレッシュミントの葉をちぎり、香りを立たせてから、檸檬(シトロン)のジュレの上に一枚ずつ丁寧に載せていく。
フレッシュミント、バーベナ、レモングラス......。
グリーンアフタヌーンティーでは、スイーツにも多くのハーブが使用される。ハーブは新緑の美しさをイメージするのと同時に、これからやってくる梅雨の湿度を乗り切る、薬草としての効果がある。
シーズンごとにメニューを変えるアフタヌーンティーには、季節負けする身体を癒す効能も含まれるべきだと、達也は考えていた。
この日は第一弾の正午に誕生日記念のゲストがいて、プティ・フールの他に、チョコレートのプレートが用意されていた。仕上げを担当するアントルメンティエのスタッフが、ホワイトチョコレートでそこにHAPPY BIRTHDAYとメッセージを書いている。
仕上げの工程に加わりながら、達也は隣の厨房で働いているセイボリー担当の秀夫の様子をそれとなく窺った。
秀夫もまた達也と同様に、サンドイッチやカナッペの仕上がりのチェックをしながら、自らも小エビとホタテをマリネしていた。
仕事は丁寧だが、冒険はしない。
達也の秀夫に対するイメージは、往々にしてそんなところだった。その秀夫が、かつては古典菓子について研究をしていたのだろうか。
昨日、達也はセレクトブックショップで見つけた、須藤秀夫著のウイーン古典菓子について書かれた本を買ってみた。三十年前に出版された本の中で、著者はかなり強い口調で当時のパティシエブームを批判していた。
特に、軽さや柔らかさばかりを追求し、本来の菓子の甘さを敬遠する日本の洋菓子界の流行に、厳しい警鐘を鳴らしていた。
その主張は分からなくはないが、強烈に甘く重たい古典菓子は、健康重視の昨今では受け入れがたいのではないか――。読んでいて、達也はそう思った。
最近では古典菓子の本場のウイーンでさえ、あまりに甘い菓子は受けないと聞いている。
やっぱり、同姓同名の他人だろう。
若いスタッフと談笑まじりに手を動かしている秀夫の様子に、達也はそう結論付けた。誰とでもうまく合わせられる秀夫が、あんなに強い論調を繰り出すとは思えない。
達也もこだわりは強いほうだが、昨夜読んだ本の主張の強引さには、いささか胸やけを起こした。読了後、一方的に喧嘩を売られたような気分が残った。
そろそろ、クリスマスアフタヌーンティーのコンセプトの結論も出さないといけないな――。
意識をプティ・フールに戻しながら、達也は漠然と考える。
やはり今年は、昨年香織が作ったホワイトアフタヌーンティーのアレンジでいくのが一番無難だろう。
張り切っている誰かさんには申し訳ないけれど。
「だから、それは合理的ではないと思う」
配膳室(パントリー)から強い声が飛んできた。
視線をやり、達也はそこにラウンジスタッフの呉彗怜(ウースイリン)と、〝誰かさん〟こと涼音が、少々険悪な様子で向かい合っているのを見た。
「リャンインは、どうしていつも、一人客をそんなに優遇する」
もっとも、険しい表情を浮かべているのは、彗怜だけだった。
「別に優遇しているわけじゃないよ」
予約表を手にした涼音は、穏やかな口調で答えている。
「だったら、一人客を必ず窓側に案内する必要はないでしょう。皆、窓側の席に着きたいんだから」
「でも、一人でくるお客さんは大抵常連さんだもの。常連さんは、やっぱり大事にしたい」
「それ、おかしいよ。一人のゲストが毎シーズンきたとしても、年間数回しかこられないじゃない。だったら、五人とか、十人とかでくるゲストを優先するのが当たり前でしょう」
どうやら、午後の団体客と一人客の席の配置のことで意見が合わないらしい。
そう言えば、中国人ゲストは、アフタヌーンティーも大勢で食べにくる。
「別に、ゲストが私と同じ中国人だから言ってるわけじゃないよ。どちらが売り上げに貢献してるかって言ってるの。貢献しているほうが優遇される。それが当たり前だって話」
理路整然としているだけに、彗怜の口調はきつく響く。
彗怜はサポーター社員と呼ばれる契約スタッフだが、ラウンジ歴は涼音よりずっと長い。
こうなると、涼音にとってはやりにくい相手のはずだ。
「でも、人数が多ければお喋りにも花が咲くけど、一人なら、静かに外の景色を眺めたいと思うでしょう?」
涼音は辛抱強く説得を続ける。
「大勢でも景色は見たいですよ。特に桜山ホテルの日本庭園は有名で、皆、写真を撮りたいと考えてるんだから」
だが、彗怜も負けていない。
常連を大事にしたい涼音と、一見(いちげん)でもいいから、売り上げに貢献してくれる大人数を優遇すべきだと主張する彗怜。どちらの意見も、あながち間違ってはいなかった。
「今日はそんなにゲストも多くないし、両方窓側に案内できるから」
涼音が折衷案的なことを口にする。
「それは、ごまかし。今日はいいかもしれないけど、混雑したときは、どうするの? ちゃんと優先順位を決めておくのもラウンジの仕事でしょ。本当はリャンインこそ、売り上げのこと考えなきゃいけないんだよ。リャンイン、正社員なんだから」
彗怜は肩をすくめると、大股でパントリーを出ていった。
残された涼音は少しだけ悄然としていたが、すぐに気を取り直したように、ポットを温め始めた。
達也はなんとなく手をとめて、その様子を眺めていた。
思えば、ここへ異動してすぐに、ベテランの香織の後釜となった涼音は大変だ。ストレスも大きいだろうに、涼音は会議でもめげることなく、何度も企画書を提出してきた。
達也の頭の片隅に、涼音が書き直してきた企画書が浮かんだ。
イメージ画像やグラフを使い、読字障害のある自分にも分かりやすいように、工夫が凝らされた企画書だった。
ツーライン。
本当は、悪い案ではないと思う。達也自身、ワンシーズンで終わらせてしまうには惜しいと思うレシピがあるのも事実だ。
だが、クリスマスという一大繁忙期にツーラインは――。
「シェフ」
朝子に声をかけられ、達也は我に返った。
「お願いします」
差し出されたのは、誕生日記念用のスイーツだった。杏子のガトー、檸檬のジュレ、グリーンマカロンと一緒に、生クリームで飾られたチョコレートのプレートが載っている。
「あ、すみません!」
了承を出そうとした瞬間、朝子が大きな声をあげた。
「ちょっと、このプレート、HAPPYのPが一つ抜けてるじゃない。しっかりして!」
朝子がアントルメンティエのスタッフを怒鳴りつけるのを見て、達也は思わずひやりとする。
「す、すみませんっ」
慌ててプレートを作り直しているスタッフの姿から、達也は眼をそらした。
朝子が気づいてくれたからよかったものの、そのまま皿をパントリーまで運んでしまっていたらと考えると、額に冷たい汗が滲む。
ひょっとして――。
自分がクリスマスのツーラインを避けるのは、調理スタッフをまとめきれないのではないかという微かな不安が心のどこかにあるからでは。
ふと脳裏をよぎった思いつきに、達也自身が愕然とした。
〝私たち、同じチームなんですし、ちゃんと話していただければ、もっと色々なことがスムーズに......〟
涼音の声が耳朶を打つ。
達也は密かに唇を噛み締めた。
Synopsisあらすじ
老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?
Profile著者紹介
古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。
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