最高のアフタヌーンティーの作り方第四話 彼たちのアフタヌーンティー(2)

 そのとき、バックヤードの扉がノックされた。
「失礼します」
 挨拶と同時に部屋に入ってきたのが、当の涼音だったことに、達也は柄にもなく焦ってしまう。
「あ」
 達也が開いているページに気づき、涼音の口から声が漏れた。
「やられたな」
 無意識のうちにそう告げてしまい、達也は一層慌てた。
 親しかった同僚から不意打ちを食らわされる気持ちは誰よりも知っているはずなのに、無神経な物言いをしてしまった。
 気をつけているつもりでも、ついこういうところに地金が出る。 
〝冷たい〟〝人の気持ちを考えてない〟〝思いやりがない〟
 だから、これまでつき合ってきた女性たちからも、最終的には異口同音に責められることになったのだ。全員、向こうから近づいてきた女たちだったけれど。
「やられちゃいました」
 だが涼音はあっけらかんとそう言って、肩をすくめた。
「でも、クリスマスプディングは、別に私の専売特許じゃないですから。元々彼女から、火を灯して食べるようなイベント性の強いデザートは、ここのラウンジより、外資系ホテルのラウンジのほうが合ってるって、アドバイスされてたんです」
 手にしていた紙袋を丸めながら、涼音が笑みを浮かべる。
 随分と、物分かりのよいことだ。
 達也の心に、一瞬、黒い影が差した。涼音の真っ直ぐな健全さは、ときに人を苛つかせる。
 特に自分のように、屈託を抱えている人間にとっては――。
「寛大なんだな」
 さすがは、社内接客コンテスト第一位。
 前向きで、明るくて、ご立派でいらっしゃる。
 明らかに皮肉の混じった達也の言葉に、涼音は黙って首を横に振った。
「......私、ずっと気づかずにいましたから」
 しばし考え込んでから、涼音はおもむろに視線を上げた。
「呉さんが何度も正社員登用試験を受けてたのって、飛鳥井さん、ご存じでしたか?」
「い、いや」
 現場はとにかく回ればいい。
 それが、桜山ホテルのシェフ・パティシエに抜擢されて以来、達也が一貫して取っているスタンスだった。コンビを組むセイボリーの秀夫や、スー・シェフの朝子をはじめとする調理スタッフとも一定の距離を置いているのだ。長年一緒に働いていても、ラウンジスタッフのことなど深く考えたこともない。
「調理班は、元々そういうのないですものね」
 納得したように、涼音は頷く。
 ラウンジスタッフの大半がサポーター社員で占められているのに対し、調理班のスタッフはそのほとんどが正社員だ。
「私、そういうことに無頓着に、彼女に頼っちゃってたんです。考えてみたら、そもそもおかしいですよね。正社員が契約社員に頼るなんて」
 うつむきかけた涼音を、達也は思わず遮る。
「でも、そういう構図を作ってるのは会社だろ」 
 それは別段、桜山ホテルに限った話ではない。バブル景気がはじけて以降、ほとんどの企業がアウトソーシングの名のもとに、派遣会社や契約社員の下支えに頼っている。
 達也とて、一度定年退職したシニアスタッフの秀夫がどういう雇用条件でセイボリー班のチーフを務めているのかを詳しく知っているわけではない。
「そうかもしれないけど......」
 涼音がつらそうに眉根を寄せた。
「私、この前、呉さんに会ったんです」
 そこで、呉彗怜から問いただされたのだそうだ。
 随分一生懸命アフタヌーンティーの開発に取り組んでいるけれど、育休明けの園田香織が戻ってきたら、あっさりその立場を受け渡すつもりかと。
「自分でも、どうなんだろうって、考えちゃいました」
 眉を下げたまま、涼音が少し情けない笑みを浮かべる。
「なんか、嫌ですね。椅子取りゲームしてるみたいで」
 その感覚は、達也にも覚えがあった。
 音楽が流れている間は比較的仲良く一緒に回っているのに、とまった途端、あさましく自分の椅子を確保しようとする。
 グレーゾーンという言葉と共に突き飛ばされて、座りたかった椅子を一つ失ったことは事実だった。
「だけど、もう一つ、分かったことがあるんです」
 言葉を返せない達也に、涼音が澄んだ眼差しを向ける。
「椅子を奪われたのに、呉さんは私を助けてくれてたんだなって」
 中国語も教えてくれたし、適切なアドバイスもくれたし......と、涼音は指を折って数え始めた。
〝リャンインは、どうしていつも、一人客をそんなに優遇する〟
〝別に優遇しているわけじゃないよ〟
〝だったら、一人客を必ず窓側に案内する必要はないでしょう。皆、窓側の席に着きたいんだから〟
 いつだったか、団体客と一人客の席の配置のことで、涼音と彗怜が言い合っていたことが脳裏に浮かぶ。
 常連を大事にしたい涼音と、一見でもいいから、売り上げに貢献してくれる大人数を優遇すべきだと主張する彗怜。
 どちらの意見も間違っていないと感じたことを、達也は覚えている。
 あの後二人はてきぱきと連携して、効率的に窓側席を回していた。意見が対立しても、どちらかがどちらかの足を引っ張ったりはしていなかった。
「私、いっつも自分のいいように考えて、なかなか人の気持ちに気づけないから......」
「そんなことないだろう」
 涼音の寂しげな言葉を、達也は再び遮った。
 遠山涼音は洞察力に長けている。ラウンジの顧客のこともよく見ている。それは事実だ。
「ありますよ。飛鳥井さんにだって、余計なこと言っちゃったし」
「あれは、俺が......」
 言いかけて、達也は口をつぐむ。
 俺が、なんなのだ?
「あ、でも、なにか不都合なことがあったら、いつでも言ってくださいね」
 達也の戸惑いには気づかぬ様子で、涼音が続けた。
 恐らく、ブノワ・ゴーラン氏の来日企画のことを気にかけているのだろう。こちらに向けられる眼差しに、気遣いと、それと同じだけの遠慮が滲んでいた。
 表れ方はまったく違うけれど、ひょっとすると、遠山涼音と自分は、同じようなことで悩んでいるのではないか――。ふと、達也はそんなことを考えた。
「それに、私、決めたんです」
 色々なことを吹っ切るように、涼音が顔を上げる。
「これからは、自分に都合のいい面じゃなくて、できるだけ、物事の美しい面を見るように心がけようって」
 涼音の大きな瞳に決意を思わせる色が浮かんだ。
「物事の美しい面」
「あ、私が言ったんじゃないですよ。祖父の言葉です」
 繰り返した達也に、涼音が急にしどろもどろになって頬を赤くする。
「祖父が言うと響くんですけど、私が言うとなんか変ですね......」
 しかし達也はもう、それをただ〝ご立派〟だとは思わなかった。涼音は悩んだ末に、そうした答えにたどり着いたのだろう。
 そんな考え方も、あるんだな――。
 どれだけ努力をしたところで、結局のところ、人は自分の目線でしか物事を量れない。しかし言い換えるなら、この世の中のすべての事物をどうとらえるかは、すべて本人次第ということになる。
 カリスマ性のあるシェフ・パティシエの下で精力的に働いていた外資系ホテル時代にだって、いいことはたくさんあったはずなのだ。
 国際コンテストで数日パリに滞在することができた。そのコンテストで、上位入賞を果たした......。
 良いことを思い出しているはずなのに、必ずそこへ黒雲のように苦い記憶が纏いついていることに、達也は苦笑する。よく、思い切りの悪い人間を〝女が腐ったよう〟と形容するが、それは押しなべて男のことだ。
 同僚の放った一言にいつまでも拘泥している達也の眼に、涼音の決意は眩しかった。
「お邪魔してすみません。そろそろラウンジに戻ります」
 丸めた紙袋をダストボックスに入れて、涼音が軽く頭を下げる。アップにまとめられた髪に簪のように落ち葉がついていることに、達也は気がついた。
「外で食べてたの?」
「はい」
 なんでもないように、涼音が頷く。
 今年は紅葉が遅く、現在、庭園にはなにも見るものがないはずだ。
「なかなか季節らしくならないですけど、イチョウがようやく黄色くなり始めてますし、早咲きの椿も咲き始めてるんですよ」
 達也の思いをよそに、涼音が嬉しそうに微笑む。外気に当たっていたせいか、その頬が薔薇色に染まっている。
 この人は元々、美しいものを探せる眼を持っているんだ――。
 そう思った瞬間、達也は椅子から立ち上がっていた。自然と手を伸ばし、涼音の髪についた落ち葉を払う。まだ青いカエデの葉が、ひらりとテーブルの上に落ちた。 
「あ、すみません......」
 振り仰いだ涼音の顔が意外なほど近くにあり、達也はどきりと鼓動を速まらせる。
「失礼しまーす」
 突如ノックもなく、いきなりドアがあいた。
 デコレーション用のキャンドルを手に現れた瑠璃の姿に、達也は慌てて涼音の傍から離れる。
「なに、いちゃついてるんですかぁ」
 フランス人形然とした瑠璃が、あざとさ満点の表情で小首を傾げてみせた。
「いちゃついてないっ」
 達也と涼音の声が、ぴったりと重なった。

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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