最高のアフタヌーンティーの作り方第四話 彼たちのアフタヌーンティー(5)
「シニアスタッフになる前はバンケット棟のフレンチレストランでシェフをしていたって、香織さんから聞いたことありますけど、それ以前のことは、私も知りません......って、飛鳥井さん!」
瑠璃がエクステ睫毛に縁どられた眼を大きく見開く。
「同じ調理班なのに、なんで知らないんですかぁ? 私より、ずっと長く一緒に働いてるじゃないですかぁ」
責められて、達也は口ごもった。
「いや、その、そういうこと、話す機会がなかったから......」
達也が距離を置いていたこともあるが、秀夫もまた、自らの経歴を詳しく語ったことはこれまでになかった。
頭の中に、「ウイーン古典菓子」の本の表紙が浮かぶ。
「それより、飛鳥井さん」
瑠璃が瞳を輝かせて、身を乗り出してきた。
「ツーライン、評判いいですよ!」
ラウンジスタッフは、いち早くゲストの反応を受け取る。新企画の感触が良好のようで、達也もその報告には一応の安堵を覚えた。
「調理班の皆さんは大変でしょうけど、ドリンクはもちろん、アフタヌーンティーまで、二つのうちから選べるっていうのが、特別感あるみたいですねー」
歌うように瑠璃が続ける。
「さっすが、アフタヌーンティー大好きなスズさんの発案ですよねぇ」
「今シーズン限りにしてほしいけどな。おかげでこっちはくたくただ」
思わせぶりな視線を寄こす瑠璃を、達也はぴしゃりと遮った。
「またまたぁ」
わざと不愉快な声を出したのだが、瑠璃はまったく意に介する様子がない。
「本当は、飛鳥井さんだって、スズさんのこと認めてるくせにぃ。ちゃんと言葉にしないと、伝わらないですよぉ。スズさんって、ゲストのニーズには敏感ですけど、そういうところは鈍いですから」
「あのね......」
達也は溜め息を漏らす。
「俺たち、別にそういうんじゃないから」
「〝俺たち〟とか言っちゃってる時点で、既にアウトですよ~」
段々、本気で鬱陶しくなってきた。
「でも、選択肢があるって、すてきなことじゃないですか」
達也の本気の不機嫌を察したのか、瑠璃がアフタヌーンティーに話題を戻す。今どきのギャルっぽい雰囲気を漂わせていても、その実、瑠璃はきちんと空気を読んでいる。
この子は、見かけよりもずっと頭がいい。
「SNS受けもいいんですよ。二種類並べて、比較してるインスタとかもありますしぃ」
瑠璃はデスクに備えられているパソコンに向かった。元々、公式サイトの更新と、予約サイトの口コミへの返信を書き込みにきていたのだろう。
「そうそう、インスタって言えば、最近、ちょっと気になるアカウントを見つけちゃったんですよぉ」
画像投稿サイトのアカウントを検索した瑠璃が、ノートパソコンのディスプレイの向きを、達也にも見えるように反転させた。
「これって、うちのホテルの庭園の椿や、アフタヌーンティーですよねぇ」
紅、白、薄桃色、絞り染めのように、紅白が交じったもの――。ほころび始めた椿の写真がいくつも並んでいる。
〝イチョウがようやく黄色くなり始めてますし、早咲きの椿も咲き始めてるんですよ〟
先日の涼音の声が耳に甦り、達也も興味を惹かれて覗き込んだ。
「太神楽(だいかぐら)、菊(きく)更紗(さらさ)、白侘(しろわび)助(すけ)、紅侘(べにわび)助(すけ)、ですって。椿って、こんなにいろんな名前があるんですねぇ」
瑠璃が感嘆の声を漏らす。
一重咲き、八重咲き、お猪口のような形のもの、ラッパに似たもの、牡丹を思わせるもの。
形状も様々だ。
「そんなに〝映え〟を狙ってる感じはしないのに、なんか、品があって、お洒落なアカウントですよねぇ」
椿の花の写真に続くアフタヌーンティーの写真も、華やかな三段スタンドを収めているものではなかった。
しかし、そこに並んでいるのが、特に力を入れて作ったスイーツばかりなことに、達也は少々驚く。一見地味なシュトーレンも、美しく切り取られていた。
「ほとんどのシーズンのアフタヌーンティーが並んでるってことは、ラウンジの常連さんですよねぇ」
「ソロアフタヌーンティーの鉄人じゃないのか」
達也の脳裏に、すっと背筋を伸ばして紅茶のカップを傾けている鉄人の姿が浮かぶ。
「私も一瞬、そう思ったんですよぉ」
瑠璃が長い睫毛をぱちぱちと瞬(しばたた)かせた。
「でも、他の写真が、あのオジサンの日常に思えなくてぇ」
スクロールされた画面に映っているのは、シルクフラワーのアクセサリーや、レース編みの小物だった。
「この人、自分語りしてないんで確かではないですけどぉ、きっと、これ、お手製ですよ。アカウント名も女性っぽい名前ですしぃ」
「うーん......」
確かに、あのちょっと冴えないオッサンが、こんな繊細なアクセサリーを作っているところは、想像ができなかった。
「でも、これだけセンスのあるアカウント見ちゃうと、公式も頑張んなきゃって思っちゃいますよ。よっしゃあ、燃えてきたぁーっ」
ディスプレイをもとの位置に戻し、瑠璃が腕まくりする。
「ツーラインアフタヌーンティーの〝ここがお薦め〟ポッドキャストとかやってみようかな。飛鳥井さん、参加されますぅ?」
「勘弁してくれよ」
達也は肩をすくめた。
「そんなのやってるの、二十代の若い子だけだろ。うちのラウンジの客層に合うのかよ」
「ところがですねぇ。ツーラインアフタヌーンティー、実は若い世代に、結構受けてるんですよぉ」
得意げな表情で、瑠璃がゲストファイルを引き寄せる。
「ほら、見てくださいよ。昨年に比べて、若い世代からの予約が増えてます。特に二十代のゲストが爆増ですぅ」
「へえ、意外だな」
瑠璃が開いたページに、達也も視線をやった。
そもそも涼音がツーラインを考案したのは、常連や年齢層の高いゲストの要望に応えようとしたことがきっかけだったはずだ。
「私は分かりますよ」
ラウンジスタッフの中で唯一の二十代となった瑠璃が、へらりとした笑みを浮かべる。
「だって、選択肢のない世代ですから」
その一言に、達也は微かに息を呑んだ。
達也は昭和生まれだが、九十年代後半に生まれた瑠璃にとって、世界は不安定で一層窮屈なのかも分からない。
「まあ、クリスマスアフタヌーンティーはともかくとして、選択肢があったところで、ヘタレの我々としては、たいして選べないかもしれませんけどねぇ」
猛烈な勢いでキーボードを打ちながら、瑠璃が続ける。
「パリピとか、コミュ障とか、陽キャとか、陰キャとかって、カテゴライズするもの、そうやってキャラづけして自分を護ってるだけですから。〝私はこうなんで、それ以外は無理でーす〟〝分かってくださーい〟って、端(はな)から周囲に言い訳してるんです」
「そういうものかね」
コーヒーを一口飲み、達也は息をついた。朝から働き通しで、ランチも厨房で立ったまま食べたので、こうして腰を落ち着けるのは今日初めてだ。
「そっすよ」
ディスプレイを見つめたまま、瑠璃が淡々と頷く。
「そのほうが、色々手間が省けますから」
手間――。
瑠璃が口にした言葉の意味を、達也はぼんやり考えた。
たとえば。
自分に読字障害(ディスレクシア)があることをオープンにしてしまえば、物理的な手間は随分と省けるだろう。
しかし、人の心はもっと複雑だ。
〝配慮〟に傷つくことだってある。
「手間かけたくないから、恋愛もバイト探しも転職もアプリ頼りですしね。ときめきは、〝推し〟で補充すれば充分だし」
達也の屈託をよそに、「話変わりますけどぉ」と、瑠璃が続けた。
「うちは両親がバブル世代なんで、やたら九十年代の映画のDVDがあるんですけど、あの時代のハリウッド大作って、人類滅亡ものばっかりですよ。『アルマゲドン』とか、『ディープ・インパクト』とか。『インデペンデンス・デイ』とか。地球、どんだけ巨大隕石落ちてきて、どんだけ宇宙人から狙われてるんだって話ですよ」
「ハリウッド大作なんて、大概そんなもんだろうな」
達也は苦笑する。
「でも、そういうのを娯楽として楽しめるのって、余裕がある証拠ですよ。別に巨大隕石が落っこちてこなくても、凶悪な宇宙人が大挙して攻めてこなくても、明日どうなるかなんて、誰にも分かんないじゃないですか」
不景気、金融危機、震災、水害......。
確かに瑠璃が生きてきた時間は、そんなことの繰り返しばかりだったかもしれない。そこに選択肢などどこにもなかったことを、子供の頃から嫌というほど見てきたのだろう。
「だから、盛るんですよ。顔も、日常も、盛り盛りに」
あっけらかんとした瑠璃の声が、二人だけのバックヤードに響く。
「でないと、楽しくないじゃないですかぁ。余裕と選択肢がない代わりに、我々は常に最短をいくんです」
瑠璃がディスプレイ越しに顔を上げた。
「これが素顔じゃないことくらい重々自覚してますけどぉ、まあ、これが私の最短ルートな訳でしてぇ」
完璧なメイクを施した顔を、瑠璃は自分で指さす。
「飛鳥井さんだって、〝そういうんじゃない〟とか言ってる場合じゃないと思いますよぉ」
茫然と見返す達也の前で、瑠璃はあざといまでに可愛らしい笑みを浮かべてみせた。
「要するに、自分に照れてる暇なんて、どこにもないってことです」
Synopsisあらすじ
老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?
Profile著者紹介
古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。
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