最高のアフタヌーンティーの作り方第三話 彼女たちのアフタヌーンティー(3)

 九月も半ばを過ぎると、ようやく残暑が影を潜め、過ごしやすい季節になってきた。
 プティ・フールの詰め合わせを手に、涼音は瑠璃と共に、香織が暮らす高級住宅街として有名な街の駅に降り立った。
 カフェやレストランでお茶や食事をすることはあっても、直接家に招かれるのはこれが初めてだ。この日のため、涼音は苦心惨憺して、自分と瑠璃の休日が合うようにシフトを組んだ。もっとも、香織に会うことを打ち明けると、サポーター社員のほとんどが融通を利かせてくれた。普段不愛想な達也までが、オータムアフタヌーンティーのプティ・フールを見繕って持たせてくれたほどだ。すべては香織の人徳によるものだろう。
 教えてもらった住所をスマートフォンの地図アプリに入力すると、駅から歩いて八分という表示が出た。
 平日にもかかわらず、駅前は若い女性たちでにぎわっている。
 桜並木の続く緑道には、おしゃれなブティックやスイーツ店が軒を連ね、ここにもたくさんの女性客がいた。
「さすが、この辺りに住む奥様方は、働く必要もないんですかねぇ」
 プードルを散歩させている若奥様風の女性を横目に、瑠璃が呟く。
 今日の瑠璃はグレーのパーカーを頭からすっぽりとかぶり、ほとんどすっぴんだった。曰く、ラウンジやパーティーでは〝盛りに盛っている〟ので、婚活以外の休日はできるだけ素肌で過ごすようにしているのだそうだ。とはいえ、二十代半ばの瑠璃の肌は、素顔でも澄んでいて張りがある。
「やっぱ、女の人生って、男次第なんですかねぇ」
「どうかな」
 溜め息まじりの瑠璃に、涼音は首を傾げた。
 平日の昼間に、ショッピングをしたり、犬を散歩させたりしている女性たちの様子は確かに優雅に見えたが、それが何日も続けば、いずれは飽きてしまうのではないかと涼音には思われた。
「男次第の人生なんて、きっと退屈だよ」
「そうっすね。それに、今は大企業でも簡単にリストラとかしますもんね。当てにできるものなんて、なんもないってことで」
 ラウンジでのフランス人形のような姿からは程遠い、ヒップホッパーのようないでたちの瑠璃が軽やかにステップを踏んでみせる。
「今がハッピーなら、文句ないっすぅ。私、明日地球が滅びてもいいように、毎日全力で生きてますからねぇ」
「そ、それは、すごいね」
 瑠璃の割り切りに半ば臆しながら、涼音はかつて暗渠だったという緑道を歩いた。やがて店舗の数が減り、周囲は静かな住宅街へ変わっていった。
 どこを見ても、庭付きの瀟洒な一軒家が続いている。スマートフォンのアプリによれば、香織の家はすぐ近くだ。表札を確かめながら、涼音は香織の幸せそうな日々に思いを馳せた。
 商社勤めの夫は、優しくて理解のある人だと言っていた。近くに住むお姑さんとの関係も良好だと聞いている。
 こういう恵まれた環境で暮らす人こそが、ティーインストラクターや、紅茶アドバイザーの資格を取ることができるのだろうか。香織自身、元々横浜の有名なミッション系女子大を卒業したお嬢様だ。
 下町の町工場(まちこうば)で育った自分とは、あまりに違いすぎる......。
 ふいに気持ちがへこみそうになり、涼音は大きく首を横に振った。
 資格の取得には、職場からの援助だって望めるのだ。やる気さえあれば、育ちや暮らしている環境なんて関係ない。事実、香織は後任に自分を選んでくれたのだから。
「あ、スズさん、ここですよぉ」
 瑠璃が「園田」と書かれた表札を指さした。
 広い駐車場を兼ね添えた庭では、ほころび始めた金木犀の小花がほのかな芳香を漂わせている。この家で、香織は待望の末に恵まれた赤ちゃんと、毎日満ち足りた日々を送っているに違いない。
 羨望に近い感慨を抱きながら、涼音は門の呼び鈴を押した。
「いらっしゃい、待ってたのよぉー」
 だが、よろめくようにして玄関に現れた香織の姿に、涼音も瑠璃も一瞬言葉を呑み込んだ。
 化粧けのない顔は青白く、眼の下にははっきりと隈が浮いている。
 いつも綺麗に結い上げられていた明るくカラーリングされた髪は、ゴムで無造作に一つにまとめられているだけで、生え際に白髪混じりの地毛が出ていた。もう半年近く、美容院にいっていない証拠だった。
 同じすっぴんでも、二十代の瑠璃と四十代の香織では、残酷なほどに、その見え方に歴然とした差がある。
 襟ぐりの伸びたトレーナーに、ジャージのズボン。着ている服も、以前の香織からは想像ができない大雑把さだ。
「さ、入って、入って。散らかってるけど」
 それが謙遜や言葉の綾でないことを、リビングに入った瞬間実感する。このところ天気が悪かったせいもあるのだろうが、あちこちに部屋干しの洗濯物がぶら下がり、テーブルやソファの上には、なにかの書類が山積みになっていた。
「ごめんね、本当に。お掃除ロボが仕事してくれてるから、埃だけはないと思うんだけど」
 香織が書類の山をどかしてくれた場所に、涼音と瑠璃はおずおずと腰掛ける。
「今日、春樹ちゃんは......?」
「お義母(かあ)さんの家で預かってもらってる。あの子、夜型だから、昼は大丈夫だと思ったのに、大変だったの。寝てるところを見計らってうちに戻ろうとしたら、まるでセンサーでもついてるみたいに大泣きするんだもの」
 香織がハーッと深い息をついた。その顔つきは、存外に険しい。とても、赤ちゃんと満ち足りた日々を送っているようには見えない。
「赤ちゃんにも、夜型とかあるんですかぁ」
 瑠璃が眼を丸くする。
「大抵の赤ちゃんは夜型みたい。昼は比較的寝てるんだけど、夜は、数時間おきに眼を覚まして、大泣きするの。授乳だったり、オムツだったり、理由が分かるのはまだましなほうで、意味不明の大泣きが一番多いかな......」
 ソファに身を投げ出すようにして座った香織は、完全に疲れ切っている様子だった。
 こんな中、訪ねてきてしまって本当によかったのだろうかと、涼音は俄然不安になってくる。傍らの瑠璃も同じ思いなのか、珍しく神妙な表情を浮かべている。
 産後の母親が大変だとは聞いていたが、正直、これほどだとは思わなかった。それに、聡明で人当たりがよく、なにをするにも卒のない香織なら、理解のある旦那さんと、お姑さんの力を借りて、初めての子育てでも安々とこなしているに違いないと思い込んでいた。
 ところが、今の香織は頬がこけ、顔つきまでがすっかり変わってしまっている。
「あの、香織さん。なんか、すみません。お忙しい中、押しかけちゃって......」
「そんなことない!」
 涼音が言いかけるなり、香織が叫ぶような声をあげた。 
「私、今日をずっと楽しみにしてたの。本当は、もっと早く二人に会いたかった。でも、最初のうちは二時間おきに授乳しなきゃいけないような状態で、さすがに無理だったから。これでも随分、我慢したのよ」
 一気にまくしたてた後、香織はぎゅっと両手を組んだ。
「この半年近く、私、夫と母と義母以外とは、ほとんど誰ともまともに会話してなかったの。どこかに出かけようにも、オムツの替えとか、粉ミルクとか、湯冷ましとか持たなきゃいけないから、キャンプ並みの大荷物になっちゃうし。買い物や健診にいくだけで手いっぱいで、おちおち散歩にもいけないし。子供がいつ大泣きするか分からないから、カフェで一息なんて絶対無理だし......」
 ぶつぶつ呟くうちに、組んだ手がわなわなと震え出す。
「あ、あの、香織さん、大丈夫ですか」
 いささか圧倒されながらも涼音が声をかけると、香織はテーブルの上にずいと身を乗り出した。
「それに、ママ友ができないの」
「ママ友......?」
 涼音は瑠璃と顔を見合わせた。

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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