最高のアフタヌーンティーの作り方第一話 私のアフタヌーンティー(3)

 小川にかかる朱塗りの弁慶橋や、盛りの八重桜が闇の中にライトアップされている。木立の中の石灯篭にもぼんやりと明かりが灯り、桜山ホテルの庭園は夜も幻想的だ。
 私服に着替えた涼音(すずね)は、ホテル棟から庭園に出るなり、大きく伸びをした。
「あー、疲れた......」
 この日は、午後から夕刻まで、二時間刻みにぎっしりと予約が詰まっていて、パントリーでもラウンジでも息つく暇がなかった。バータイムのスタッフと交代に更衣室に入ったときは、腕が上がらない程だった。
 それでも、こうして庭園に出て木々や土の香りをかぐと、全身の細胞が甦ってくるのを感じる。都心の超高層ホテルも刺激的ですてきだけれど、広大な日本庭園が持つ癒し効果はやはり絶大だ。
〝パリピ〟の瑠璃(るり)は、今週末も勇んで都会の夜に繰り出していったが、涼音はいつものように庭園内をゆっくり歩いて帰ることにした。
 清流の中、水車がごとごと音をたてながら回っているのを見ると、心が休まる。この沢はビオトープになっていて、あと二か月も経てば、そこかしこにゲンジボタルが舞い飛ぶのだ。
 それにしても......。
 ふと、バックヤードでの達也(たつや)の様子を思い起こし、涼音は首を傾げる。
 今日の達也は本当に変だった。
 収録を終えた達也は、何事もなかったように厨房に戻り、いつも通りにてきぱきと指示を出し、きびきびと仕事をこなしていた。ラウンジも大忙しで、結局、その後はバックヤードで顔を合わせることもなかった。達也は今も厨房で、バータイムのシャンパンやカクテルに合わせたデセールの陣頭指揮を取っているはずだ。
 テレビ収録のプロモーションに、厨房の指揮にと、八面六臂の活躍を見せている達也を思うと、同世代の自分が少し不甲斐なくも感じられる。
 でも、あの画面――。
 ノートパソコンに残っていたワードデータが脳裏に浮かび、涼音は再び首をひねる。達也は一体、なにをしようとしていたのだろう。
 思案しながら歩いていると、井戸の傍のベンチに誰かがいるのが眼に入った。
「西村(にしむら)さん......?」
 満開の八重桜を見上げながらおにぎりを食べているその人の横顔を認め、涼音は思わず口走ってしまう。
 その瞬間、月に一度、必ず一人でアフタヌーンティーを食べにくる、少し地味なOL風の女性が、ぎょっとしたようにこちらを見た。
「あ、ごめんなさい」
 涼音は慌てて頭を下げる。
「私、このホテルのラウンジスタッフの遠山(とおやま)と申します。いつも、アフタヌーンティーをご利用いただいている西村京子(きょうこ)様ですよね?」
 驚かせてしまったことを詫びようとすると、京子が勢いよくベンチから立ち上がった。
「す、すすす......すみません......!」
 反対に深々と頭を下げられてしまい、涼音は戸惑う。
「こ、ここ、こんなところで、こ、こんなの食べてて、ほ、本当にすみません。じ、じじじ、実は今はお給料日前でして、ラウンジにお伺いすることもできず......」
「いいんですよ、いいんですよ」
 ひどく恐縮する京子を、涼音は笑って押しとどめた。
 桜山ホテルの庭園は、基本的に一般開放されている。それぞれの門に守衛はいるが、余程のことがない限り、進入を禁じられることはない。
 ましてや京子は、ラウンジの常連客だ。
「お好きに楽しんでいただいて、まったく問題ございません。私も仕事の終わりには、いつもこうやって散歩してるんですよ」
 そう請け合うと、京子はようやくホッとした顔になった。
「八重も綺麗ですよね」
 京子と並び、涼音も八重桜を見上げる。桜と言えば、はらはらと咲きこぼれる儚げなソメイヨシノが真っ先に思い浮かぶが、枝の先に大きな花をいくつもつける八重桜は、それだけで天然のブーケのようだ。 
 ライトアップされた八重桜は、一層華やかで美しい。
 園内にはセキュリティー用のカメラがあちこちに設置されているので、ある意味、女性が一人で安心して夜桜を楽しむのに、ここはうってつけの場所かもしれない。
「......実は今日、会社のお花見だったんです」
 独り言のように、京子が話し出す。
「私、いつまでたってもそういうにぎやかな集まりに慣れなくて......。結局、途中で、なにも食べずに退席しちゃったんです」
 うつむいたままで京子は続けた。
「どうせ、私がいなくなっても、誰も気づきませんし」
 京子の声に自嘲的な色が滲む。
「でも、一人でこのまま帰るのがなんか味気なくて、お腹も減ってましたし......。コンビニでおにぎりを買ったんですけど、食べる場所も見つからなくて......。それで、気がついたら、ここにきてたんです」
 顔馴染みの守衛に「いらっしゃいませ」と声をかけられ、つい庭園に入ってしまったのだと、京子は少しきまり悪そうに打ち明けた。
「それは、光栄なことです」
 涼音が微笑むと、京子は突然、我に返ったように真っ赤になった。
「ご、ごめんなさい。私、突然、こんな話......!」
「いえ」
 涼音は首を横に振る。
「どうぞ、おかけになってください」
 耳まで赤く染めている京子を促し、自分も隣に腰を掛けた。京子の傍らのトートバッグから、なにかの教本がのぞいている。そう言えば、京子はアフタヌーンティーを食べ終えると、紅茶を飲みながら、いつも制限時間一杯まで熱心に勉強をしているのだった。
「資格とかの勉強をなさってるんですか」
 声をかけると、京子はハッとしたようにトートバッグを引き寄せた。
「実は......」
 京子がおずおずと、バッグから教本を取り出す。
「英語の翻訳検定を受けようと思っていて」
「翻訳? すごいですね!」
「いえいえいえいえいえ」
 尋ねたこちらがきまり悪くなるほど、京子は激しく首を振った。
「全然たいしたことないです。ただの独学ですから。でも、まだ、翻訳なら自分にもできるかな、と思って......。私、会話は、もう、日本語でも全然駄目ですから」
「そんなことないですよ」
「いえ、私って、本当に駄目なんです」
 京子はふと、夜風に揺れる八重桜に眼を据える。
「翻訳検定だって、二級以上じゃないと、転職や仕事には結びつかないんです。そのためには、独学じゃなくて、ちゃんと学校に通ったほうがいいってことは分かってるんですけど。でも、そこまでの踏ん切りをつけられないのが、私の一番駄目なところで......」
 そこまで話すと、京子は口をつぐんだ。
「......ごめんなさい。こんな話、ばっかり」
 再び深くうつむいてしまった京子を、涼音はじっと見つめる。自信が持てないのは、自分だけではないのだなと感じた。
 ティーインストラクターや紅茶アドバイザーの資格があるわけでもなく、あるのは暑苦しいやる気ばかり。達也はもちろん、本当は秀夫や瑠璃からも煙たく思われているのではないかと、時折心細くなる。
 心の奥底にたまった不安がぽろりと口から出てしまうことなんて、誰にだってあるはずだ。特に、こんなふうに艶やかな桜が夜風に騒ぐ晩なら――。
「私も本当は、資格の勉強しなきゃいけないなって思っているんです」
 自ずと涼音も、正直な気持ちを口にし始めていた。
 入社以来、ずっと憧れていたアフタヌーンティーチームに、今年ようやく異動になったこと。けれど、自分を後任に推薦してくれた先輩と比べると、自分はまだまだ役不足であること。
「その先輩は、ティーインストラクターの資格を持っていて、紅茶のソムリエみたいなこともできる人だったんです」
 いつしか京子は顔を上げて、涼音の話を熱心に聞いてくれていた。
「でも、働きながら資格の勉強するのって、結構大変ですよね」
 資格取得のための学校には、夜間コースや、土日に限定した集中コースもあるが、きちんと通うには相応の覚悟と資金が必要になる。ホテル勤務は土日出社が必須だし、正直、激務の後に学校に通う気力は到底生まれそうにない。
「だから、たとえ独学でも、最初の一歩を踏み出している西村さんは、やっぱりすごいと思います」
「そうでしょうか」
 京子はやはり自信なさげに首を傾げる。
「私の場合、通う時間はあっても、それに踏み切る勇気がないだけなんです。新しい環境に足を踏み入れるのが、怖いっていうか......」
 それでも、その表情が、随分落ち着いたものに変わっていた。
「西村さん」
 ふいに思いついて、涼音は切り出してみた。
「もしよろしければ、ご意見をお聞かせいただけないでしょうか」
 自分がサービスするアフタヌーンティーを、いつも心から幸せそうに食べてくれる京子の意見なら、きっとなにかのヒントになるのではないかと涼音は直感する。
「実は、クリスマスアフタヌーンティーの新しいプランが、なかなかまとまらなくて......」
 調理チームを納得させられるプランがどうしても出せないのだと相談すると、京子は少し真剣な顔になった。
 しばし考え込んだ後、おっかなびっくりといった調子でもごもごと話し始める。
「あの......、これは私の個人的な意見で、絶対に少数派だと思うんですけど......」
「はい」
「私的には、あんまり、クリスマスっぽくないほうがいいです」
「え」
 クリスマスアフタヌーンティーなのに、クリスマスっぽくないほうがいい?
 一瞬、涼音の頭が真っ白になった。
「いえ、だから、これ、私の非常に個人的な意見で、まったく参考にならないと思います。大体、私、一人でアフタヌーンティー食べてる超少数派ですし」
 涼音の顔色を読み、京子が再び慌て始める。
「ただ、クリスマスの時期って、どこもかしこもきらきらしてて、ますます一人じゃ入りづらいっていうか、私みたいに地味な客は、メニューを見てるだけで、なんだかスミマセンみたいな気分になっちゃって......。って言うか、へ、変なこと言っちゃって、ほ、本当に、ご、ごごご、ごめんなさい!」
 平謝りに謝る京子をぼんやりと見返しながら、しかし、どこかで微かに納得する自分も感じた。
 確かに、桜山ホテルのラウンジでアフタヌーンティーを楽しんでいるゲストは、都心の高層階に位置する外資系ホテルと比べると、年齢層が高い。恋人同士よりも、母と娘や、高齢の婦人たちが多い。あまりにきらきらした「ザ・クリスマス」といったメニューばかりが用意されていると、特に年配のご夫婦などは居心地が悪くなってしまうかもしれない。
「あの」
 まだ挙動不審に慌てふためいている京子のほうへ、涼音はずいと身を乗り出した。
「それでは、ツーライン用意するというのはいかがでしょう」
「ツーライン......」
「はい」
 涼音は深く頷く。
「クリスマスっぽいメニューのものと、王道のアフタヌーンティーっぽいもので。美術館の特設と常設みたいな感じで......」
 言い終わらないうちに、「いいですね!」と、京子が親指を突き立てた。
 急に自信にあふれた仕草を返され、涼音は思わず噴き出してしまう。気がつくと、二人で肩を揺らして大笑いしていた。
「私、最初は一人でアフタヌーンティーを食べるのも、大変だったんです」
 京子が眼鏡を外し、笑いすぎて滲んだ涙を指先でぬぐう。
「西村さんは、いつもネットサイトでご予約いただいているんですよね」
 涼音の確認に、京子は頷いた。
「私、寝る前にホテルのサイトを見て回るのが好きなんです。泊る予定もないのに、綺麗な写真を見て、ただ憧れてるだけだったんですけど......」
 桜山ホテルが一人でもアフタヌーンティーの予約を受けつけていると知り、つい、クリックボタンを押してしまったのだという。
「画面に〝ご予約が完了しました〟って表示が出たときには、正直言って焦りました。本当は、どこかでキャンセルするつもりだったんです。遠山さんにこんなことお話しするのも、申し訳ないんですけど」
 京子がきまり悪そうに口をすぼめる。
「皆、仲のいいお友達や恋人と一緒なのに、私だけ一人って、やっぱり気が引けるじゃないですか」
 しかし、結局キャンセルすることができず、予約の日がやってきてしまったのだそうだ。
 恐る恐るラウンジを訪ねた京子は、眼に入ってきた光景に拍子抜けした。
「窓側の席で、普通のオジサンが一人でアフタヌーンティーを食べてたんです」
 言葉を選んでしどろもどろしつつ、京子は続ける。
「別にオシャレとかじゃなくて、本当に、普通のオジサンだったんです。失礼な言い方ですけど、服とかも地味なスーツだし、髪も、あの、少し心もとないというか......」
 聞いていて、涼音はピンとくる。
 ソロアフタヌーンティーの鉄人だ。
「でも」
 京子が顔を上げて、涼音を見やる。
「一人で紅茶を飲んでいるその人が、なんだかとっても凛として見えたんです。そのとき、一人でアフタヌーンティーを食べるのは、別におかしなことじゃないんだなって思えたんです」
「もちろんですよ」
 涼音は請け合う。
「お菓子はご褒美ですもの」
「お菓子はご褒美......」
 繰り返す京子に、涼音は強く頷いた。
「私の祖父は、いつもそう言ってました。私、アフタヌーンティーって、最高のご褒美だと思うんです」
 言ってしまってからハッとする。
 京子の頬に、ほんのわずかだが暗い陰(かげ)が差したような気がしたのだ。
 余計なことを言いすぎたのかもしれないと、涼音は内心焦った。同世代の近しさもあって、つい話し込んでしまったが、京子は友人ではなく、あくまでもゲストなのだから――。
「すてきな言葉ですね」
 だが、次の瞬間には、京子は屈託のない表情に戻っていた。
「今日、遠山さんとお話しできてよかったです」 
 陰のない眼差しに、ほっと胸を撫で下ろす。
「こちらこそ、ありがとうございます。相談にまで乗っていただいて」
 涼音は心から頭を下げた。
「また、ぜひ、いらしてください。来月からは新緑をイメージした、グリーンアフタヌーンティーが始まりますし」
「はい、必ず」
 京子がすっかり打ち解けてくれていることに、涼音はなんだか嬉しくなる。
 しかも、小さなヒントまでもらってしまった。
「どうか、ごゆっくりなさっていってくださいね」
 早速帰って考えをまとめようと、涼音は会釈してベンチから立ち上がる。
 艶やかにライトアップされた夜桜の下、京子はいつまでもこちらに向かって手を振っていた。

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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