最高のアフタヌーンティーの作り方第三話 彼女たちのアフタヌーンティー(2)

 その晩、涼音は自分の部屋のベッドの上で、西洋菓子の資料を読んでいた。クリスマスアフタヌーンティーが落ち着いたら、次は早くも年明けのプランを考えなければならない。
 例年ならば、二月はバレンタインデーをイメージしたチョコレートアフタヌーンティー。その後は、不動の人気メニュー、桜アフタヌーンティーが続く。だが、桜の季節の前に、なにかもう一つ特色のあるプランを提案できないかと、調理班の達也と秀夫から打診があった。
 やっと涼音に対しても、調理班が本気で声をかけてくれるようになった。ようやく涼音は彼らにとって、香織の「穴埋め」だけの存在ではなくなってきたようだ。秀夫は元々柔軟に対応してくれていたが、ずっとかたくなだった達也の態度もほんの少しほどけてきた気がする。なんとかして、その期待に応えたい。
 そう思って毎晩熱心に資料を読んでいるのだが、果たして本当にこれが正解なのだろうかという疑念も湧く。西洋菓子に関する知識なら、シェフ・パティシエである達也のほうがよっぽど造詣が深い。
 もしかしたら、マーケティングを担当する自分に求められているのは、こういうことではないのかもしれない。
 だとしたら、どういう発想で臨めばよいのだろう。
 最高のアフタヌーンティー――。正しい答えは決して一つではない。だからこそ、悩ましい。
 涼音は小さく息を吐いて、分厚い資料を閉じた。
 窓の外からは、車の走行音に混じって虫の鳴き声が響いてくる。夜になってもうんざりするほど蒸し暑いが、季節は確実に秋に向かっているようだ。
 澄んだ響きに耳を澄ませながら、ふと鈴虫の鳴き声と江戸風鈴の周波数がほぼ同じだという逸話を思い返す。
 リーンリーンと響く鈴虫の声は、涼音にとっても特別なものだ。秋生まれの涼音は、この涼やかな音色から名づけられた。家族皆で考えたというが、大好きな祖父、滋の着想が発端だったらしい。
 そう言えば、私、来月にはついに三十になるんだよな......。
「三十路かぁ」
 思わず声に出して呟いてしまう。
 改めて考えると、なんだかゾッとする。二十代と三十代では、化粧のノリも、疲労の抜け方も、なにもかもが違うと聞く。
 だが、アフタヌーンティーチームのマーケティング担当としての自分のキャリアは、まだ始まったばっかりだ。調理班の二人との信頼関係も、これから一層深めていかなければならない。
 しっかりしなくちゃ。
 気合を入れたつもりが、無意識のうちに二の腕を掻いていた。よく見れば、ぷくりと腫れている。いつの間にか、藪蚊に食われていたらしい。
「かっこわる......」
 涼音は一人で赤くなる。
〝外でランチなんて食べてるからですよぉ〟
 眼の前で、瑠璃に笑われた気がした。もうすぐ三十路になるというのに、これでは夏休みの小学生なみだ。
 でも、私は折々の季節を感じられるあの庭が好き。
「季節、か」
 ぽりぽりと二の腕を掻きながら、涼音は頭に浮かんだ言葉を繰り返す。
 旬の食材の他に、季節を感じられるもの。その季節にこそ、感慨を寄せるなにか。
 クリスマスやバレンタインデーなどのアニバーサリー以外で、一体どんなことが季節に結びつくだろう。
 思いを巡らせていると、サイドテーブルの上のスマートフォンが震えた。
「あ......!」
 スマートフォンを手にした涼音の顔が輝く。随分と久方ぶりに、香織からメッセージが着信していた。
 四月の半ばに、香織は無事、元気な男の子を出産した。春樹(はるき)君と名付けられた男の子は、新生児のうちから髪がふさふさしていて、メッセージに添付されていた写真を見た涼音も瑠璃も驚いた。瑠璃の見立てによれば、「将来イケメン間違いなし」だそうだ。
 涼音は瑠璃と連名で、出産祝いに今治タオルのおくるみを送り、香織やその家族にも喜んでもらえたようだった。
 今は育児休暇に入っている香織から、ようやく周辺が落ち着いてきたので、もう少し涼しくなったら、瑠璃と一緒に遊びにこないかという誘いがきている。
 彗怜の突然の退社に喪失感を覚えていた涼音は、しばらくぶりに心が躍るのを感じた。
 話したいことも、相談したいことも山ほどある。
 香織は、涼音が桜山ホテルに入るきっかけとなった憧れの先輩であると同時に、自分の後任として涼音を抜擢してくれた恩人だ。
〝絶対伺います!〟
 涼音は勇んで返信を送る。このまま夏が終わるのは、なんとも寂しい気がしていたが、にわかに秋の到来が楽しみになってきた。

最高のアフタヌーンティーの作り方

Synopsisあらすじ

老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?

Profile著者紹介

古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。

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