最高のアフタヌーンティーの作り方第一話 私のアフタヌーンティー(5)
「ツーライン?」
涼音(すずね)の説明を聞いていた達也(たつや)の眉間にしわが寄る。
「はい」
険阻な表情に臆しかけたが、涼音はしっかりと頷いた。
「桜山ホテルのラウンジの客層から言うと、クリスマスメニューのほかに、一年を総括するようなメニューがあってもいいのではないかと思うんです」
前回よりもずっとコンパクトな企画書を携え、涼音は週明けの会議に臨んでいた。
今回の企画書は、文字数も減らし、すっきりと読みやすい形にまとめている。客層を集計したグラフや、メニュー案のイメージ写真も付け加えた。前回に比べてずっと読みやすいはずだ。
なにより、ラウンジの常連客である西村京子(にしむらきょうこ)のアドバイスを取り入れたプランは、サポーター社員の呉彗怜(ウースイリン)が言うところの「机上の空論」ではない。
「それ、本気で言ってるの?」
しかし、達也の口調は相変わらず冷たい。
「桜山ホテルのアフタヌーンティーの歴史は、他のホテルよりも長いです。ずっと通い続けて頂いているお客様の中には、クリスマスでも、王道のメニューを食べたいと感じられている方がいらっしゃるかもしれません。たとえば、美術館の企画展と、常設展みたいな感じで......」
「ちょっと待って」
涼音が企画書をめくったところで、達也からストップがかかった。
「美術館なら作品を設置しておけばいいだろうけど、調理の現場はそうはいかない。クリスマスみたいな繁忙期にツーラインを作るなんて、こっちは戦争状態だ」
同意を求めるように、達也はセイボリー担当の秀夫(ひでお)を見やる。
「そうだねぇ......」
秀夫が白いものの混じった眉を寄せた。
「メニュー次第では、なんとかなるかもしれないけどねぇ」
お――。
秀夫の態度が軟化したことに、涼音は前のめりになる。
「クリスマスのスイーツって、割と日持ちするものが多いですよね。シュトーレンとかビッシュドノエルとか......」
「それだけ手間がかかるからね」
ここが粘りどきと畳みかけてみたものの、ぴしゃりと言い返された。
瑠璃(るり)はもっともらしく腕を組んで考え込んでいる――体(てい)を装い、恐らく、というか絶対に今日も眠り込んでいる。
パリピめ......。
土日勤務の後に繁華街に繰り出していられる元気など、あと数年と心得よ。
瑠璃のつるんとした張りのある肌を、涼音は横目でにらみつけた。
「とにかく、ラウンジは美術館じゃないんだから」
達也が肩をすくめる。
「コストの面だってあるんだしさ」
どうやら今回の案は、客を見すぎて、現場を見ずといったところだったのか。
アフタヌーンティーの開発――。香織(かおり)のインタビュー記事を読んだときは、これ以上すてきな仕事はないと思ったのに、実際に携わってみると、本当に難しい。
涼音が黙していると、達也があっさり立ち上がった。
「じゃあ、これで」
まだ仕込みまでには時間があるはずなのに、これ以上涼音の話を聞くつもりはないようだ。
さっさと会議室を出ていく達也の後を、涼音は思わず追いかける。
「飛鳥井(あすかい)さん」
廊下で呼びとめると、大きく溜め息をつかれた。
「なに?」
不機嫌そうな表情に、一瞬ひやりとする。端整な顔立ちなだけに、眉をひそめられると冷たさが際立った。
しかし、今日はこのまま引き下がるわけにはいかない。新メニューのほかに、達也には確認しておきたいことがあった。
「まだ、少し時間がありますよね。ちょっと、お話しできませんか」
バックヤードにはほかのスタッフがいる時間だったので、涼音は達也を配膳室(パントリー)の片隅に誘った。
人気(ひとけ)のないパントリーの棚には、大きな紅茶の缶がいくつも並んでいる。
ダージリン、ニルギリ、ウバ......。中には、達也自身がスイーツに合わせてブレンドした、オリジナルの茶葉もあった。涼音たちラウンジスタッフが常に紅茶を淹れているパントリーには、うっすらと茶葉の香気(アロマ)が漂っている。
「で、なんだよ」
真っ白なパティシエコートに身を包んだ達也が、涼音の前で腕を組んだ。
「この間のこと、恩にでも着せるつもり?」
「違います」
涼音はきっぱりと首を横に振る。
言い方には多少の問題を感じるが、達也が言っていることは調理班としての正直な意見だ。裏で陰口をたたかれるよりは、ずっといい。
だから、涼音も持って回った言い方はせずに、率直に自分の考えをぶつけることにした。
今日確認したいことは、メニューに関することではない。
「飛鳥井さん、難読症(ディスレクシア)ですよね」
単刀直入に告げると、達也の顔からすっと血の気が引いた。
やはり、そうか。
その反応に、涼音は確信を深める。
以前のチーフパティシエはやたらと長い報告書を書かせたがったが、達也はそれを求めない。調理学校を卒業したばかりの若いパティシエたちは、確かにそう言っていた。
〝こんな分厚い企画書、読んでも全然頭に入ってこないよ〟
達也のあの言葉は、恐らく文字通りの意味だったのだ。
「そういうの、隠さないほうがいいですよ」
涼音は上背のある達也を見上げる。
「って言うか、隠す必要なんて、まったくないと思います」
バンケット棟の宴会担当だった時期、兄が置いていった学習障害を持つ子供向けの教材に、幾度か助けられた。こうした教材には、学習障害の子供を持つ親のために、専門家の実践的なアドバイスをまとめた副読本が必ずついていて、それが接客の際にも大いに参考になったのだ。泣きわめいている注意欠陥多動性障害(ADHD)らしき子供にきらきらシールを渡して泣きやませた途端、今度はその子の母親に縋りつかれて泣き出されたこともある。
きっと、只々うるさがる周囲からの視線に、どんなにか追い詰められていたのだろう。
兄の直樹(なおき)は、子供が小さいうちから診断名がつくのがよいことなのか悪いことなのか分からないと言っていたが、それによって対処法を検討できるなら、本人や周囲の負担が少しは軽くなることだってあるはずだ。
端からは分かりづらいディスレクシアなど、その最たる例ではないだろうか。
昨夜、涼音は保護者向けの副読本のディスレクシアの章をじっくりと読んでみた。
そしてその中に、日本語の読み書きには大きな不自由がなくても、英語のスペルをまったく認識できない症例があることを知った。リスニングやスピーキングはできるのに、アルファベットの綴りを単語として認識できないケースがあるのだ。
こうした子供たちが英語を学ぶとき、単語をパソコンの画面上に登録して、音読機能を使いながら学習をするという例が紹介されていた。
そのページを読んだ瞬間、達也が隠そうとしていたノートパソコンの画面が涼音の脳裏に浮かんだ。
達也は慌ててパソコンを閉じたが、そこには「保存しますか?」とメンションが表示された画面がそのまま残っていた。そしてその画面には、達也が予測変換に頼りながら打ち込んだと思われる単語が、ぽろぽろと並んでいた。
英語に関するディスレクシアの実体が認識され始めたのは、英語が小学生から主要教科として位置づけられることが決まった、つい最近のことらしい。同世代の達也は、中学、高校と、相当な苦労をしてきたに違いない。
留学なんて、確かに望めなかっただろう。
「......だから、なんなんだよ」
パントリーに、押し殺したような声が響いた。
達也が切りつけるような眼差しをしていることに、涼音は臆しそうになる。
「私たち、同じチームなんですし、ちゃんと話していただければ、もっと色々なことがスムーズに......」
「なにがだよ!」
突然、達也が大声をあげた。
「俺がディスレクシアだったとして、チームになにか迷惑をかけたことがあったか! 一度でも、満足のいかないジュレやムースやガトーを作ったことがあったかよ!」
「そ、そうじゃないけど......」
あまりの剣幕に、涼音は怯む。
「だったら、余計なお世話じゃないかっ」
そう叫ぶと、達也ががっくりと肩を落とした。
その様子に、涼音は自分が失敗したことを悟る。
「ご、ごめんなさい」
慌てて謝ったが、達也はもう自分のほうを見ようとしなかった。
ああ、また、失敗してしまった――。
途端に涼音は自己嫌悪に襲われる。
熱意のあまり、たまに相手の懐に入りすぎてしまう嫌いがあることを、涼音は自覚していた。
昨夜の京子とは打ち解けることができたが、今回は、眼の前でシャッターを下ろされてしまったようだ。
それでも、自分たちはチームではないか。
バックヤードで脂汗を流していた達也のことを考えると、やっぱりこのままではいけない気がする。
「でも、飛鳥井さん」
「もう、いいよ」
どうしてそんなに気にするのだろう。
余計なお世話だと言われても、そのほうが、むしろ不自然に感じられてしまう。
「どうしたんですかぁ」
そこへ小首を傾げた瑠璃が現れた。
涼音も達也も、互いに言葉を飲み込む。
「なに、いちゃついてるんですかぁ」
「いちゃついてないっ!」
期せずして、声がぴったりと重なった。
「とにかく」
達也が小さく息を吐く。
「俺は障碍者じゃない。仕事に支障はないから」
氷のような一瞥をくれると、達也は速足で厨房へ向かっていった。
またしても、遠ざかる。
私の最高のアフタヌーンティー。
紅茶の芳香が立ち込めるパントリーに、涼音は悄然(しょうぜん)と立ち尽くした。
第二話「俺のアフタヌーンティー」へ続く
Synopsisあらすじ
老舗ホテルで働く涼音は、念願叶って憧れのマーケティング部サービス課、アフタヌーンティーチームに配属された。
初めてアフタヌーンティーの企画を出すことになるのだが?
Profile著者紹介
古内一絵(ふるうち かずえ)
東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。
「マカン・マラン」シリーズが、累計10万部を突破するヒット作になる。他に『銀色のマーメイド』『十六夜荘ノート』(中央公論新社)がある。
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