北条氏康 巨星墜落篇第六回
九
「面(おもて)を上げよ」
氏政が言うと、平伏していた風間慎吾と小源太が顔を上げる。
慎吾は風間党の棟梁だが、もう五十九歳になる。病がちで、若い頃のように旅することもできなくなっており、まだ棟梁の立場にいるものの、実質的には、長男の小源太が風間党を取り仕切っている。
小源太は三十二歳である。
氏政の横には氏康がいる。そばに康光も控えている。
氏康は、まだ小田原城にいる。
本当なら、とうに葛西城に向けて出陣しているはずだが、慎重に敵方の動きを見極めているのだ。
上野には長尾景虎がいて、それを西上野で越年を決めた武田信玄が牽制している。
里見義堯(よしたか)・義弘父子は葛西城と対峙する位置にある国府台城にいて、虎視眈々と葛西城攻めの機会を窺っている。北条方から寝返った太田康資を味方にしたことで、里見軍の士気は大いに上がっている。
武蔵の岩付城には太田資正がいる。
氏康は資正の動向も注視している。
里見軍に力添えするために長尾景虎が南下を始めれば、必ずや資正も動くはずである。
氏康が依然として小田原城から動かないのは、挟み撃ちにされることを警戒しているせいである。
「話すがよい」
氏政が促すと、小源太が顔を上げる。
「岩付でございますが、去年の収穫が、かなり悪かったようなのです......」
飢饉が発生したため年貢の徴収もままならず、とても戦ができる状況ではないため、資正は里見義弘に米の援助を要請したという。領民を飢餓から救い、資正が出陣するには、かなりの米が必要であった。
この要請を快諾し、直ちに義弘は米を買い集めようとしたが、岩付だけでなく、他の土地でも不作だったため米価が高騰しており、思うように米を手に入れることができなかった。
資正は落胆した。要請した量より、はるかに少ない米が岩付に送られただけなので、それを領民に分け与えれば、戦に持っていく米がなくなってしまう。
思案した揚げ句、資正は米を領民に分け与えないことを決めた。飢餓を放置したのである。
そのため岩付で不穏な動きが起こり、百姓は一揆を、豪族たちは反乱を起こしそうな気配になった。それを察した資正は、米を抱え、兵を率いて、さっさと岩付から国府台に向かったという。
「ふんっ、ついに領民にも捨てられたか。いい気味ですな」
氏政が氏康の顔を見る。
「だからこそ、死に物狂いなのであろうよ。後がないのだから」
氏康はうなずくと、明日出陣する、と告げる。
「え、明日でございますか。さすがに支度が間に合わぬと存じますが」
氏政が戸惑う。
「支度など何もいらぬ。兵糧は三日分でよい。いや、馬にくくりつけられるだけでよい。兵糧を運ぶ人足も連れて行かぬ」
氏康は断固とした態度である。
「それは、つまり、長い戦にはならぬ、ということでしょうか?」
康光が遠慮がちに訊く。
「葛西に着いたら、すぐ戦を始める。そして、すぐに決着を付ける。戦を長引かせれば、こちらの負けだ。長尾に背後を衝かれる」
「しかし、それは武田殿が......」
「そんなことを期待してはならぬ。甘い期待をすれば、長尾が武蔵に入り、武田が動かなかったときに仰天することになろうぞ」
「え、まさか、そんなことは......」
「ひとつ教えておこう。家や国を失うかもしれないという大切なときには、他人を当てにしてはならぬ。己の力だけを信じるのだ。常に最悪の事態に備えよ。葛西に兵を出し、里見との戦をひと月も続ければ、長尾に背後を攻められて、わしらは負ける。それを防ぐには、里見を一日か二日で負かさねばならぬ。そうすれば、たとえ長尾に背後を衝かれても、挟み撃ちにされることはない。逆に、わしらと武田殿が長尾を挟み撃ちにできる」
「なるほど、常に最悪の事態を考えるわけですな」
氏政が感心した顔でうなずく。
「このたびの戦、勝敗を決するのは速さである。時間をかけぬことである。そのために小田原から葛西まで昼夜兼行で駆けなければならぬ。足軽が遅れるようなら置き去りにして、騎馬武者だけで向かうのだ。足軽は後から追いつけばよい。江戸城と葛西城に早馬を出せ。江戸城を空にして葛西城に向かうように命じよ。葛西城には、よくよく敵の動きを見極め、すぐに戦を始められる支度をしておくように伝えるのだ。われらも大急ぎで支度をするぞ」
氏康が立ち上がる。その顔には強い決意がはっきりと表れている。
十
長尾景虎と里見義弘が北条軍を挟み撃ちにする計画を立案したのは太田資正だと言われている。
葛西城に氏康を誘(おび)き寄せ、里見義弘が戦を長引かせて、長尾景虎が氏康の背後を衝く。動転して江戸城に逃げ戻ろうとする氏康を、岩付から出撃した資正が壊滅させる......そんな筋書きであった。
見事な構想力に裏打ちされた雄大な作戦である。
これほど大がかりな作戦の立案は、太原雪斎(たいげんせっさい)が河越城を囮(おとり)にして北条氏の滅亡を企図して以来であろう。十八年前のことである。
北条氏は滅亡の瀬戸際に追い込まれ、氏康自身、敗北を覚悟した。乾坤一擲、世に名高い河越の夜襲が成功し、一万足らずの北条軍が八万を超える敵軍を打ち破った。
そのときの苦しみを氏康は忘れていない。
だからこそ、氏康は葛西城が危機に瀕していることを知りながらも、なかなか小田原城から腰を上げなかったのだ。迂闊に動けば、十八年前の悪夢が再来しかねないからだ。
だが、何もしなければ葛西城が落ち、里見軍が武蔵に入る。葛西城の次には江戸城が危うくなる。
氏康としては、動くに動けない状況ではあるものの、何もしないわけにはいかないという苦しい時間だったのである。
氏康は、ふたつの幸運に恵まれた。
裏返せば、資正にとってのふたつの不運である。
ひとつは、とうに甲斐に帰国しているはずの武田信玄が西上野から動かず、長尾景虎を強く牽制していることである。
景虎が葛西城に向けて南下を始めれば、信玄は、その背後を衝くであろう。
長尾軍は八千、武田軍は二万である。
戦における景虎の強さを考えれば、それだけの兵力差があっても長尾軍が不利とは言えないが、そう簡単に武田軍に勝つこともできないであろう。腰を据えて、信玄と戦うことになるが、それでは氏康を挟み撃ちにすることはできない。
今現在、長尾軍に動きはない。
景虎は不気味な沈黙を守っている。
もうひとつは岩付の不作である。領内で飢饉が発生するほど、事態は深刻だった。
里見義弘の援助で、何とか兵糧米だけは確保することができたが、領民に分け与える余裕はない。
それを承知で、資正は出陣を決めた。
飢餓から目を背け、領民を捨てたわけである。
これが後々、岩付における資正の立場を非常に悪くすることになる。
資正の出陣は苦渋の選択であった。
計画通りならば、まだ資正の出番ではない。
葛西城から江戸城に逃げ戻る氏康を待ち伏せするつもりなのだから、まずは里見義弘や長尾景虎が氏康と戦い、氏康を敗走させなければならない。
資正は三千くらいの兵で待ち伏せしようと考えていた。岩付の兵力をすべて投入して、何としても氏康の首を取る覚悟だったのである。
だが、氏康は動かず、信玄に牽制されている景虎も動くことができず、里見義弘は痺れを切らして、まだか、まだかと景虎の南下を執拗に要求する。
里見義弘を宥めるために、そして、岩付に残れば兵糧米がなくなってしまうという切実な事情に迫られての出陣である。計画が大きく狂ったため、資正が国府台城に率いて行くことができたのは一千五百ほどの兵に過ぎない。予定の半分だ。
北条氏から里見氏に寝返った太田康資も、事前の根回しが不十分だったために、それほどの兵を引き連れているわけではない。
岩付太田氏の資正、江戸太田氏の康資、この二人の兵力は合わせて二千そこそこで、これを知った里見義弘は大いに落胆した。
里見軍は、義弘の旗本を中核とし、それ以外に里見忠弘、里見弘次、正木時茂、正木時忠、真理谷信高(まりやつのぶたか)など、総勢六千である。
この六千に、太田一族を加えて一万くらいにしたいというのが義弘の目論見だった。一万の軍勢で氏康と対峙し、戦いを長引かせているうちに長尾景虎が北条軍の背後を衝く......それが必勝の作戦だった。
にもかかわらず、太田一族の兵力は期待した数の半分に過ぎず、頼みとする景虎は上野から動く気配がない。
太田資正にとっても、里見義弘にとっても誤算続きで、当初の計画が大きく狂ってしまったわけだが、違う見方をすれば、小田原で辛抱強く情勢の変化を見守ったことが、結果的に氏康に有利な流れを生じさせたとも言える。
里見軍の来襲を知って、氏康が大慌てで松山城から真っ直ぐ葛西城に向かっていたら、恐らく資正や義弘の術中にはまっていたであろう。
氏康の慎重さと我慢強さが自分に有利な流れを呼び寄せたわけであり、それこそ、この十八年で氏康が政治家としても武将としても大きく成長した証であった。
十一
一月五日、氏康は小田原から出陣した。
氏政だけでなく、氏照、氏邦も同道した。
道々、軍勢は増え続け、葛西城に着いたときには二万を超える大軍になっていた。まさに北条氏の総力を挙げて里見氏と対決する覚悟だったわけである。
氏康が葛西城に着くと、直ちに軍議が開かれた。
中央に大きな絵図面が広げられ、遠山綱景が里見軍の配置を説明する。
葛西城と国府台城の間には太日(ふとい)川(後の江戸川)が流れている。
国府台城は太日川に面した城である。
八千もの大軍を収容できる規模ではないので、城の北側の天神山や大坂に分散して陣を敷いている。
守りを固めてはいるものの、向こうから攻め寄せてくる気配はないという。
「ふんっ、時間稼ぎをするつもりなのだ。長尾が来るのを待っているのでありましょうな」
北条綱成(つなしげ)が顔を顰(しか)める。
「そんなことは許さぬ。すぐに攻めるぞ。そのために小田原から大急ぎでやって来たのだからな」
氏政が言う。
「この川をどこで渡ればよいのだ?」
綱成が訊く。
「渡るとすれば、ここしかござらぬ。からめきの瀬と呼ばれております」
富永直勝が大坂の近くを指し示す。
そこには川の中程に砂州がある。
からめきの瀬というのは、現在の矢切の渡しのことである。現在とはかなり地形が違っており、当時はもっと川幅が狭く、水量も少なかった。深さにしても、馬に乗って渡るとき、馬の腹が濡れない程度であったという。
そういう説明を直勝がすると、
「なるほど、たとえ向こう岸で敵が待ち構えているとしても、それくらいの浅瀬であれば、野原を突っ切るのと大して変わらぬのう」
綱成が大きくうなずく。
「よしよし、では、わしが先陣を賜り......」
「お待ち下され」
遠山綱景が膝を乗り出して、大きな声を発する。
「地黄八幡(じきはちまん)殿にお願いする。このたびの先陣、どうか、わしにお譲り願いたい。この通りでござる」
綱景が白髪頭を深々と下げる。
「どうか」
横に坐る嫡男の隼人佑(はやとのすけ)も綱景に倣う。
「それがしも伏してお願いしたい。遠山殿の気持ちはよくわかり申す。なにとぞ、わしと遠山殿に先陣をお譲り下され」
富永直勝の目には涙が滲んでいる。
「......」
二人のただならぬ様子に、さすがの綱成も言葉を失う。
普段なら、決して先陣を譲らないが、綱景と直勝がこれほど強引に先陣を願う理由がわかるのだ。
綱景の娘は、敵に寝返った太田康資に嫁いでいる。
すなわち、綱景と康資は義理とは言え、親子の間柄である。それほど強い間柄でありながら、綱景は康資の謀反にまったく気が付かず、みすみす、康資とその兵を敵軍に寝返らせてしまった。その責任を重く感じているのだ。
本来なら、責任感が強い綱景は、腹を切って氏康に詫びたかもしれないが、戦が近いので、その戦で全力を尽くすことで氏康に償おうと考えたのであろう。だから、先陣を願い出た。
富永直勝も康資の謀反に責任を感じている。
江戸城には城代が三人置かれる習わしだが、かつて直勝は本丸の城代、綱景は二の丸の城代、康資は三の丸の城代を務めたことがある。三人は親しく交際し、綱景と康資は親子になったし、直勝も康資に目をかけ、わが子のようにかわいがった。
綱景も直勝も康資を心から信頼していただけに、康資の謀反の衝撃は大きかったし、責任も痛感しているのである。
「どうか、お願いいたします」
綱景と直勝が氏康を見つめて、嘆願を繰り返す。
本当なら、御屋形さまである氏政に願うべきだろうが、隠居の身とはいえ、すべての実権を氏康が握っていることを二人は知っているし、子供の頃から親しく接してきた氏康であれば、きっと自分たちの気持ちをわかってくれるだろうと期待している。
「......」
氏康は、すぐには返事をせず、厳しい顔で黙りこくっている。
できることなら、この願いを退けたい。
先陣を綱成に命じたいのである。
理由は単純で、綱成が最も勇猛で、戦上手だからである。
ただの猪突猛進の猛将というのではない。
火の出るように激しく敵を攻め立てるが、恐ろしいほどに鼻が利き、敵が考えていることを容易に見抜くという天性の才能がある。
その点、綱成は長尾景虎に似たところがある。
里見軍は戦を長引かせるために、いろいろな罠を拵(こしら)え、策を練っているに違いない、と氏康は危惧している。
綱成ならば、その罠にはまることはないだろうし、敵の策謀も見抜くであろうが、遠山綱景や富永直勝では心許ない。二人とも勇猛ではあるが、さほど戦上手ではないからである。
が......。
二人の忠誠心を、氏康は、誰よりもよく知っている。この場で二人の願いを退ければ、
(軍議の後に腹を切るだろう)
と察せられるのである。
やがて、氏康は、
「よかろう。汝ら二人に先陣を任せる」
と命じた。
「ありがたき幸せにございまする」
「必ずや、敵を蹴散らしてご覧に入れまする」
綱景と直勝が声を震わせて、お礼を述べる。
「......」
綱成が小首を傾(かし)げて、むっつりと黙り込んでいる。
何か言いたげな顔だが、この場では何も言うつもりはないようである。
Synopsisあらすじ
一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!
Profile著者紹介
1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。
「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。
〈北条サーガTHE WEB〉
http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/
Newest issue最新話
- 第十四回2025.03.19