モンスターシューター第8回
「無邪気で生意気で、お前はちっとも変わらねえな」
記憶の扉を閉め、冴木は杏樹に言った。
「無邪気はともかく、社長に生意気なんて言われたくないわ」
杏樹が肩を竦めた。
「減らず口ばかり叩きやがって。お前なんて、雇わなきゃよかったぜ」
冴木は吐き捨てた。
もちろん、本音ではなかった。
あんな過去がありながら、冴木の前で杏樹が暗い顔を見せたことはなかった。
女性にとっては、忘れられない出来事のはずだ。
一人のときは、きっと冴木の知らない顔で過ごす夜もあるに違いない。
弱味を見せずに、強く明るく振る舞う杏樹を冴木は高く評価していた。
性格面だけでなく、杏樹は仕事面でも優秀だった。
今日のような男のターゲットを嵌めるときには、本当に頼りになる存在だった。
「それにしてもさ、あの国民的女優の浅木千穂が女性用風俗を頼んでいたなんて驚きだね」
杏樹が、切れ長の目を見開いた。
冴木は答えずに、一週間前に記憶を巻き戻した。
『「プリンスサービス」? なんだ、それは?』
冴木は、「MST」に飛び込みで依頼にきた「ライオネスプロ」の久慈社長に訊ねた。
『芸能人御用達の、女性用高級風俗デリバリーサービス店です。芸能人は一般人と違って顔が知られているので、人目につくところで下手なまねはできません。それが女性タレントとなればなおさらです。だから、ウチ以外の芸能事務所もプリンスサービスを利用しているところが多いんです』
『ほかの芸能事務所でも、被害は出てるのか?』
『いえ、今回が初めてです......』
久慈が、肩を落としため息を吐いた。
『あんた、プリンスなんとかの社長に恨みでも買ってんのか?』
冴木は訊ねた。
『恨みを買うなんて、とんでもない。ウチとプリンスサービスの関係は至って良好です』
『じゃあ、どうしてあんたのところの大事なタレントを嵌めるようなまねをするんだ?』
だいたいの見当はついていたが、冴木は質問を重ねた。
『恐らく、千穂を手に入れるために極東芸音協会が「真相出版」を使って描いた絵図だと思います』
極東芸音協会というワードに、冴木は拳を握り締めた。
『詳しく説明してみろ』
冴木が知りたいのは浅木千穂がなぜ嵌められたかではなく、誰が嵌めたかだ。
『真相出版は極東芸音協会の資本が入っている子会社です。真相出版で取り上げるゴシップ記事のほとんどは、極東芸音協会の意向に従わないプロダクションの所属タレントのものです。今回のようにタレントを嵌めたり、ありもしないスキャンダルを捏造したりして、徹底的に追い詰めます。過去に極東芸音協会と敵対して潰されたプロダクションは枚挙にいとまがありません』
誰よりも知っていた。
従わない者にたいして、手段を選ばずに跪かせようとする赤尾豊斎のやりかたを......最後まで跪かない者を容赦なく潰すやりかたを。
『プリンスサービスと極東芸音協会の関係は?』
冴木は質問を続けた。
『プリンスサービスは真相出版の子会社です。因みに、千穂を移籍させようとしている「ウェルカムプロ」は、真相出版と同じ極東芸音協会の子会社です』
『つまり、極東芸音協会が子会社の真相出版とウェルカムプロを操って、ドル箱女優を嵌める絵を描いて引き抜こうってわけだな?』
『そういうことです』
『ところで、あんた、極東芸音協会のボスを知ってんのか? 今回の黒幕だろ?』
冴木は、知らないふりをして訊ねた。
『もちろんです。赤尾豊斎会長です。といっても、お会いしたことはありませんがね。泣く子も黙る芸能界のキングメーカーですが、表舞台にまったく出ない方なので実在してないんじゃないかと実(まこと)しやかに言われています。いまや赤尾会長は、ツチノコや口裂け女と同じで都市伝説並みの存在ですよ』
久慈が、冗談とも本気ともつかない口調で言った。
『都市伝説なんかじゃねえ』
思わず冴木は呟いた。
『え?』
久慈が怪訝な顔で冴木を見た。
『なんでもねえ。とにかく、依頼は受けた。あんたはしばらく、どこかに身を隠してろ。そうだな、海外出張ってことにでもしろや』
『あ、ありがとうございます。でも、私がいないと千穂がまずいことになるんじゃないですか?』
『海外出張から戻ってきたら、契約に応じると言っておけ。奴らも、目的は浅木千穂を潰すことじゃなくて手に入れることだろ? だったら、あんたが戻ってくるまでは下手なまねはしねえはずだ』
「人の話、聞いてる?」
杏樹の不満げな声が、冴木を現実に引き戻した。
「あ? なんだっけ?」
「だから、国民的女優の浅木千穂が女性用風俗を頼んでいたなんて驚きって言ったの!」
「芸能人のうんこは、バラの香りでもすると思ったか?」
冴木は素っ気ない口調で言った。
「ほんっとに、レディの前でデリカシーのない人ね。まあ、社長みたいな野蛮な男には芸能界なんて無縁の世界だけどさ~」
杏樹が、からかうように言った。
十数年前に、冴木がテレビをつければ見ない日はないほどの俳優だったと知ったら、どんな顔をするだろう。
冴木は、過った考えをすぐに打ち消した。
三原(みはら)北斗は、あのとき魂とともに死んだ。
Synopsisあらすじ
ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。
Profile著者紹介
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。
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