モンスターシューター第37回

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 西新宿の十階建てのビルの最上階――赤尾はスマートフォンを握り締めたまま、会長室を檻の中の動物のように歩き回っていた。
 会長室の入るビルの存在を知っているのは怜だけだ。
 怜以外には、「極東芸音協会」の幹部にも教えていなかった。
 ビルは丸ごと赤尾の所有物だったが、ペーパーカンパニーの名義にしているので足がつくことはない。
 怜以外は、誰のことも信用していなかった。
 側近も所詮は他人......金と恐怖で飼い馴らしている犬に過ぎない。
 掌が震えた。
 赤尾は素早くスマートフォンを耳に当てた。
「捕まえたぁ!?」
 通話ボタンを押すなり、赤尾は演出モードの口調で訊ねた。
『すみません......見失ってしまいました......』
 受話口から特殊班のリーダー......阿部の消沈した声が流れてきた。
「はぁっ!? 見失った!? 特殊班は、こういうときのための精鋭部隊でしょうが! なんのために、高い金払って雇ってると思ってるの! 阿部ちゃんっ、耳の穴かっぽじってよ~く聞きなさい! あと五時間以内に怜ちゃんを救出できないと、阿部ちゃんの親兄弟を皆殺しにしちゃうからね! いい!? わかったぁぁぁぁぁぁ!?」
 赤尾はヒステリックな金切り声を、送話口に浴びせた。
 特殊班にかぎらず、赤尾は側近の家族構成、親戚関係、友人関係を詳細に把握していた。
 裏切ったら身内が危険な目にあうという抑止力のためだ。
 もちろん、鞭ばかりではなく飴もある。
 彼らに与えている月の手当は、同年代のサラリーマンの数ヶ月分に相当する。
『申し訳ありません! 警備部部長を、必ず救出します!』
「言葉だけじゃだめだからね! 一時間経っても怜ちゃんの居所掴めなかったら、阿部ちゃんの飼ってるマルプーをピットブルの檻に入れるからね!」
 赤尾は一方的に言うと、電話を切った。
「頼む......頼む......頼む......」
 赤尾は眼を閉じ、絞り出すような声で言った。
 物凄い勢いで記憶が巻き戻った。

『パパっ、もっと速く走って! もっと! もっと!』
 公園で肩車された怜が、赤尾の頭を叩きながらはしゃいだ。 
『これ以上走るとパパ、転んじゃうよ』
 ゆっくりと走りながら、赤尾はおだやかに笑った。
『えー! つまんない! もっと速く走って!』
『わかった! そのかわり、パパが転んで怜の顔が地面にぶつかっておブスになっても知らないぞ~』
 赤尾が悪戯っぽい顔で言うと、駆け足の速度を少しだけ上げた。
『え~、おブスは嫌だよ~』
 そう言いながらも、怜は嬉しそうだった。
『あ~、パパは転んでしまいそうだ~』
 赤尾はわざとふらついた。
 怜がキャーキャーと騒いだ。
『あ! 躓(つまず)いてしまった!』
 赤尾はわざとらしく言うと、身を屈め尻餅をついた。
『パパっ、怖いっ!』
 真剣に怖がる怜を、赤尾は芝生の上に仰向けになりながら抱き留めた。
『速く走れって言ってたくせに、怜は怖がりだな~』
 赤尾は、からかうように言った。
『もう、パパ、大嫌い!』
 怜が泣き笑いの表情で、赤尾の胸を小さな拳で叩いた。 
『ごめん、ごめん、脅かしちゃったね。お詫びに、怜がほしがっていたペットショップのワンちゃんを買ってあげるから』
『え! あのチワワちゃんを買ってくれるの!?』
 怜の瞳が輝いた。
『じゃあ、いまから買いに行こう!』
 赤尾は怜の頭を撫で、立ち上がった。
『赤尾豊斎さんですか?』
 繋ぎの作業着を着た二人の男が、赤尾に声をかけてきた。
『そうだが? 君達は......』
 腹に拳を食らい、赤尾は体をくの字に折った。
 一人が怜を抱え上げ、公園の出口にダッシュした。
『パパ! パパ! パパ!』
 怜が泣き叫び、赤尾に助けを求めた。
『怜を返せ......』
 顎を蹴り上げられ、赤尾は仰向けに倒れた。
 残るもう一人も出口に向かって駆け出した。
 すぐに起き上がり追いかけようとしたが、脳が揺れてまっすぐに走れなかった。
 赤尾の揺れる視界で、二人の乗る黒塗りの車が遠ざかった。
 赤尾はすぐに警察に駆け込んだ。
 数時間後、赤尾の自宅の前に巨大な段ボール箱が置かれていた。
 段ボール箱の中身を見た赤尾の眼球が凍(い)てついた。
 表情を失った赤尾の瞳に映ったのは、手足を切断され変わり果てた怜の姿だった。
 
 赤尾は悲痛な記憶を打ち消すように眼を開けた。
 二十五年経っても、思い出すたびに昨日のことのように胸を抉られた。
 赤尾は警察に娘が無事に帰ってきたことを伝え、被害届を取り下げた。
 警察を排除したのは、犯人と怜がさらわれた理由がわかったからだ。
 犯人――芸能界最大手「ガイアプロダクション」の社長。
 理由――主要タレントの移籍トラブル。
 当時、芸能界はガイアプロの一強独裁状態だった。

モンスターシューター

Synopsisあらすじ

ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。

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