モンスターシューター第30回
百八十センチ前後、八十キロ前後......冴木は見当をつけた。
迷彩服越しでも、傭兵男が鋼の筋肉を纏っているだろうことがわかった。
両腕をL字に曲げて側頭部の横に上げた右半身の構え......傭兵男には、まったく隙がなかった。
対峙しただけで、傭兵男の力量が伝わってきた。
冴木を見据える氷のように冷たい瞳は、多くの命を奪ってきただろうことを物語っていた。
冴木も傭兵男を見据えた。
針で突けば爆発しそうな張り詰めた空気が、二人の間に漂っていた。
なかなか、踏み出すことができなかった。
不用意な攻撃は命取りになる。
ただ向かい合っているだけなのに、息が上がった。
十四人と戦ったダメージが、ジワジワと冴木の体力を削っていた。
傭兵男が一人目であっても、冴木の勝率は五分かそれ以下であろう強敵だ。
一つだけはっきりしているのは、時間が経つほどに冴木が不利になるということだ。
先に動かなければ勝ち目はない。
打投極......いつか訪れるだろうこういうときのために、ボクシング、キックボクシング、柔道、柔術を習得してきた。
それぞれ、プロと互角以上に渡り合えるだけの水準に達していた。
だが、傭兵男が得意としているフィールドは、ルールに守られた格闘技ではなく殺し合いだ。
肚を決めた。
冴木は右足で踏み込み、ハイキックを放った。
フェイント――体を回転させ、バックハンドブローを放った。
傭兵男の体が沈んだ。
激痛。傭兵男の直角蹴りが冴木の右膝にヒットした。
堪らず冴木は右膝を突いた。
首相撲......頭を両手でロックされ、膝を顎に食らった。
頭蓋内で脳が揺れた。
これ以上食らうと意識が飛んでしまう。
冴木は右の太腿にしがみつき、歯を食い縛り立ち上がるとレスリングの反り投げで傭兵男を後方に投げ捨てた。
冴木はすかさず傭兵男のマウントを取った。
この機を逃すわけにはいかない。
右肘を傭兵男の顔面に落とした......左腕でブロックされ、右の掌底で顎を突き上げられた。
ふたたび脳が揺れた。視界が揺れた。
気づいたら、傭兵男にマウントを取られていた。
左手で喉を押さえられ、気管支が圧迫された。
釘付けにされた体勢に、右肘が落とされた。
左のこめかみに衝撃。躱せなかった。視界が白く染まった。
二発、三発......肘の連打に意識が朦朧(もうろう)とした。
「しっかりして! 私を助けるんでしょ!」
杏樹の叫びが、遠のく冴木の意識を引き戻した。
冴木は咄嗟に傭兵男の右耳を掴み、勢いよく手前に引いた。
肉の裂ける音と傭兵男の呻きと杏樹の悲鳴が重なった。
冴木は半分ほど裂けた傭兵男の耳を引きちぎると同時に、頭突きを顔面に食らわせた。
冴木は顔を押さえる傭兵男を突き飛ばし、すっくと立ち上がった。
床を転がり身悶える傭兵男のマウントをふたたび取り、左の耳を掴むと引きちぎった。
傭兵男が呻き声を漏らした。
両耳から垂れ流れる鮮血が、床に溜まった。
冴木はちぎれた左耳を投げ捨て、傭兵男に左右のパウンドを落とした。
三発、四発、五発......傭兵男が六発目の左手を掴み、引き込んできた。
前のめりになる冴木の双眼に、傭兵男の人差し指と中指が突き刺さった。
激痛に思考が止まった。
後頭部に衝撃。俯せに倒れた。内臓が圧迫された。背中に乗られたようだ。
髪の毛を掴まれ、床に顔面を叩きつけられた。
眼球の痛みを忘れるほどに、顔面骨に鋭い痛みが広がった。
何度叩きつけられただろうか?
ライトが眩しかった。
仰向けにされたのか?
「危ない!」
声が聞こえた。
反射的に右手を突き出していた。
ぼやけていた視界が、徐々にクリアになっていった。
傭兵男の口に、右の拳がめり込んでいた。
冴木の右腕に幾筋もの血が流れ落ちてきた。
本能で繰り出した右ストレートで折れた傭兵男の前歯が、拳に突き刺さったようだ。
冴木は腹筋を使って上半身を起こしつつ、開いた右手を傭兵男の口内に捻じ込んだ。
握力を総動員して、舌を掴んだ――勢いよく右手を引きながら、仰向けに倒れた。
肉が断裂する手応え。濁音交じりの絶叫。冴木の上から転げ落ち床でのたうち回る傭兵男。
冴木は立ち上がり、引き抜いた傭兵男の舌を投げ捨てた。
「怪我はねえか?」
冴木は杏樹のもとに歩み寄り訊ねた。
「そんなことより、舌を引っこ抜くなんて本当に獣ね」
杏樹が憎まれ口を叩いた。
「命懸けで助けてやったのに、かわいくねえ女だな。泣きじゃくりながらありがとうとか言えねえのかよ」
冴木は言葉とは裏腹に、胸を撫で下ろしていた。
男でも失禁しそうな目にあいながら、これだけ気丈に振る舞えるのはたいしたものだ。
「馬鹿じゃないっ。私のキャラ知ってるでしょ? あのさ、そっちこそボロボロだけど大丈夫?」
杏樹が素っ気ない口調で訊ねてきた。
彼女なりの気遣いだ。
「手負いの獣は最強だからよ」
冴木は嘯(うそぶ)いた。
「呆れた。とにかく、病院に行かなきゃだめよ」
「まずは、ここから脱出だ」
冴木は杏樹を拘束するロープに手をかけた。
傭兵男以外の八人はアキレス腱を切り、木刀男は眼球をえぐっているので、戦闘力は残っていない。
だが、もたもたしていると援軍が駆けつけてくる可能性があった。
このまま、赤尾がおとなしく引き下がるとは思えなかった。
Synopsisあらすじ
ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。
Profile著者紹介
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。
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