モンスターシューター第34回

「てめえっ、そんなことしてただで済むと......」
『そうやって牙剥いてもさ~、現にベリーショートちゃんは危機一髪だったよねぇ? 事務所にいたホスト君もボコボコにされたしさ~。僕との争いを続けるってことはね、毎日、毎時間、毎分、北斗ちゃんが大切に思ってる人達がさ~、危険にさらされるってことなんだよ? そんな生活を、これからも続けて行くつもりぃ?』
 喉元まで込み上げた怒声を、冴木は呑み込んだ。
 悔しいが、赤尾の言う通りだった。
 杏樹も光も、一歩間違えば命を落としていた。
 十年間、葉月の仇討ちだけを考え生きてきた。
 赤尾への復讐を諦めなければ、冴木とかかわる人間は危険にさらされ続けることになる。
 だからといって、赤尾への復讐を諦められるわけがない。
 
 なぜ、復讐を諦められない?

 不意に、自問の声が聞こえた。

 なぜって、葉月の仇討ちに......。
 
 冴木の心の声が途切れた。
 葉月は一命を取り留め生きている......冴木の目の前に立っている。
 赤尾は引退し、葉月や杏樹の安全も保証されるのだ。
『さあさあさあ、どうするの? 僕と和解して妹ちゃんと「極東芸音協会」を引き継ぐか、僕と争い続けて大切な人達を危険にさらし続けるか......どっちにするの? 決めるのは君だから~、好きなほうを選べばいいよ~ん。ただ~し! 僕と争い続けるなら、北斗ちゃんにとって最も大切な人......葉月ちゃんをいますぐ殺すからね~ん』
 赤尾が軽い口調で恫喝してきた。
「てめえっ......」
 反射的に出た怒声――思いとどまった。
 自分さえ赤尾への怒りを捨てれば、葉月と人生をやり直せるのだ。
「本当に......葉月なのか?」
 冴木は怜に向き直り、うわずる声で訊ねた。
「なに言ってるのよ! そんなはずないでしょう! しっかりしてよ!」
 杏樹の叫び......自分もそう思っていた。
 だが、葉月でないとしたら、昆虫とパンケーキのエピソードをどう説明する? 
 幼い頃、ともに過ごした妹でなければ知り得ないことばかりだ。
「私はあなたの妹かどうか覚えていませんけど、兄らしき人との思い出は少しだけ覚えています」
 怜が抑揚のない口調で言った。
 抜け落ちた頭髪、人工的な質感の肌、両手両足の義足......そして、記憶とともに喪失した感情。
変わり果てた葉月の姿が、冴木の胸を掻き毟った。
「悪かった......お前が生きていることに気づかなくて......」
 怜......葉月の姿が涙で滲んだ。
「だから、その女は妹さんと違うって言ってるじゃない! しっかりして!」
 ふたたびの杏樹の叫び声が、耳を素通りした。
「なぜ謝るんですか? 私は赤尾会長のもとで、幸せに暮らしていました」
 怜が微塵の感情も宿らないガラス玉の瞳で言った。
 赤尾に利用されていたとも知らないで、感謝すらしている葉月が憐れで仕方がなかった。
「ほかに、幼い頃の思い出で覚えていることはないのか? いや、大人になってからでもいい。なんでもいいから、覚えていることがあったら聞かせてくれ」
 さっきまでとは違い、試すための質問ではなかった。
 純粋に思い出させたかった。
 葉月の胸奥に微かに残っているはずの、幸せだった頃の記憶を......。
「もう一つ、思い出したことがあります。さっきのパンケーキ屋さんでの出来事です。お兄ちゃんが追加で頼んだシューケーキの生クリームを私が全部食べると、ちっちゃな子供みたいに拗ねていました」
 怜が口元を綻ばせた。
 葉月としての思い出を語るときは、能面のように無表情な怜のときと違って感情が読み取れた。
 いまのエピソードも、実際にあった話だ。
 あのとき葉月は、冴木が追加注文したシューケーキの生クリームを......。
 違和感に、冴木は思考を止めた。
 巻き戻る記憶......。

『隙あり!』
 葉月が冴木のシューケーキのクリームを素早くフォークで奪った。
『あっ......楽しみにしてたんだぞ!』
『ほしいものはすぐに手に入れなきゃ。お兄ちゃんみたいなのんびりした性格していると、彼女ができても誰かに奪われちゃうぞ』
 葉月が茶化すように言った。
『ケーキと彼女を一緒にするな。まったく、生クリームのシューケーキにしとけばよかったよ』
 
「お前は、誰だ?」
 冴木は、押し殺した声で訊ねた。
「私の本名は葉月というらしいです。覚えていませんけど、あなたの妹みたいです」
 怜の言葉は、いままでのように冴木の心に刺さらなかった。
「お前は誰だ?」
 冴木は同じ質問を繰り返した。
「私は葉月......」
 冴木は踏み込み、素早く怜の背後を取り首に腕を回した。
「お兄ちゃん、痛い......」
 怜が苦痛に顔を歪めた。
「誰がお兄ちゃんだ! 俺がお兄ちゃんかどうか覚えてねえんじゃなかったのか!? この詐欺師女が!」
 冴木は首に回す腕に力を込めた。

モンスターシューター

Synopsisあらすじ

ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。

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