モンスターシューター第35回
「どうして......こんなこと......するんですか? 昆虫の......お話......パンケーキ屋さんのお話......お兄ちゃんも覚えているんでしょう?」
怜が切れ切れの声で訴えかけてきた。
「ああ、覚えてるさ。だから、危うく騙されるところだったぜ! 俺と葉月の大切な思い出を汚しやがって!」
冴木の声は、怒りに震えていた。
怒り......葉月を騙った怜に。
怒り......怜に葉月を演じさせた赤尾に。
怒り......不覚にも騙されてしまった自分に。
『ちょっとちょっと、北斗ちゃん、大事な妹ちゃんになにやってんのさ!』
プロジェクタースクリーンの赤尾が、驚いた顔で冴木に言った。
「てめえも、いつまでも臭いくそ芝居してんじゃねえぞ!」
冴木は赤尾に怒声を浴びせた。
『北斗ちゃん、落ち着いてよ~。これがくそ芝居だったら、どうして怜ちゃんが君と妹ちゃんしか知らない思い出を語れちゃうわけ? 怜ちゃんが葉月ちゃんじゃなかったら、そんなエピソード知るわけないでしょう? もちろん、僕だって知るわけないから、怜ちゃんに教えることもできないしさ~。北斗ちゃん、混乱する気持ちはわかるけどさ~、冷静に考えたら僕や怜ちゃんが君を騙しようがないってことがわかるからさ~』
赤尾の言葉――数分前までなら、微塵も疑わずに信じただろう。
「ああ、いまでも、どうしてお前らが俺と葉月の思い出を知ってるのかわからねえ。ただ、このサイボーグ女が葉月じゃねえことは、はっきりわかった」
冴木はスクリーン越しに赤尾を睨みつけた。
『どうしてどうしてぇ? どうして怜ちゃんが葉月ちゃんじゃないって断言できるわけぇ?』
「すっとぼけやがって! 生クリームだ」
『生クリーム? なんでなんでぇ?』
赤尾が身を乗り出してきた。
これは、演技ではない。
赤尾は本当に、なぜ嘘がバレたかを知りたいに違いない。
「葉月はガキの頃から、生クリームを食うと湿疹が出るアレルギー体質だった。昔のことで記憶が曖昧でも、俺のシューケーキのカスタードクリームを奪ったエピソードを、生クリームと勘違いするなんて、ありえねえんだよ!」
冴木は記憶を辿りつつ、吐き捨てるように言った。
あれは葉月が五歳の頃だった。
苺のショートケーキを食べて三十分ほど経った頃に、葉月の顔が腫れ上がり湿疹に覆われた。
病院で検査を受けた結果、葉月は生クリームの成分にたいするアレルギーの恐れがあると診断された。
それ以来、葉月が生クリームを口にすることはなかった。
『そ、それはさぁ、単純な間違いだって~。もう、北斗ちゃん、そんなかわいい勘違いくらいで疑ったら妹ちゃんがかわいそうじゃないさ~』
いつもの人を小馬鹿にしたような独特な口調だが、赤尾には余裕がなかった。
「だから、俺のシューケーキから奪ったクリームを、死にかけてトラウマになった生クリームと勘違いするわけねえんだよ! 葉月を侮辱したこいつを、ぶっ殺してやる!」
冴木が首に回した腕に力を込めると、怜が苦しげに咳き込んだ。
本気で怜を殺すつもりはなかったが、試したいことがあった。
『わかった、わかったからさ~、北斗ちゃん、落ち着いて。ちょっとした、洒落だよ、洒落! でも、冗談がきつ過ぎたね~。ごめんちゃい。でも、これで、すべて水に流してあげるから、帰ってもいいよ~』
赤尾は必死にいつもの赤尾節を装っているが、動揺しているのは明らかだった。
確信した。
怜は赤尾にとって単なる捨て駒ではない。
「ふざけんな! てめえが水に流せても、こっちが流せねえんだよ! いいか? 俺がいいって言うまでにおかしなまねしやがったら、この女の首をへし折るからな!」
冴木は赤尾から視線を離さず、怜を引き摺りながら二階席へと向かった。
『おかしなまねなんてするわけないじゃ~ん! 怜ちゃんは体が弱いから、乱暴にしないであげてね~』
やはり、赤尾にとって怜は特別な存在なのだ。
「走れるか?」
冴木は杏樹のロープを解きながら訊ねた。
「怪我はないから、大丈夫。その人、どうするの?」
杏樹が立ち上がり怜を見た。
「とりあえず、人質にする」
「え!? 人質になんてならないでしょ!? 相手はあの非情な妖怪じじいだよ?」
杏樹がプロジェクタースクリーンの赤尾に視線を移し、怪訝な表情で言った。
「いや、そうでもねえみたいだぜ」
冴木は出口に首を巡らせた。
このホールを抜け出すのは容易だ。
問題は、ホールを出たあとだ。
怜を連れ去られたら、赤尾も追手を飛ばすだろう。
体が不自由な怜を担いで逃げるにも限界がある。
大通りに出て、タクシーに乗り込むまでに襲撃されたら......。
「おいっ、よく聞け! 俺達が車に乗ったら、サイボーグ女を解放してやる。だが、途中でもしてめえの兵隊が現れたら、真っ先にこのサイボーグ女を殺すからな!」
冴木は赤尾を牽制した。
嘘――切り札になり得るかもしれない怜を手放しはしない。
『そんなことしないって~。約束はちゃんと守るから~、北斗ちゃんも守ってよ~。有能な警備部部長がいなくなっちゃったら、業務に支障を来すからさ~』
有能な警備部部長......。
たしかに、冴木に一瞬でも葉月と信じ込ませたのだから、怜はただものではない。
海千山千の猛者を差し置いて、「極東芸音協会」のナンバー2の位置にいること即ち、赤尾が怜の能力を買っている証だ。
だが、なにかが腑に落ちない。
いくら怜が優秀な配下でも、赤尾がここまで特別扱いをするだろうか?
思考を止めた。
いまは、ここを脱出することが先決だ。
車に乗るまでは、仕掛けてこないはずだ。
だが、怜を拉致しても解放しても、車に乗った瞬間に追手がくるのは眼に見えている。
「行くぞ」
冴木は杏樹に低く短く言うと、怜を肩に担いで二階の出口に向かった。
怜は驚くほどに軽かった。
恐らく、三十キロもないだろう。
襲撃されたら袋の鼠になるので、エレベーターは使わずに階段を使って一階へと下りた。
Synopsisあらすじ
ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。
Profile著者紹介
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。
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