モンスターシューター第50回

 怜の事件で自首した冴木が不在のMSTを、五年間守ってきた。
 戻ってくると信じていた。
 出所して、一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、三ヶ月が過ぎても冴木は戻ってこなかった。
 杏樹も、待っているだけではなかった。
 冴木が以前使っていた携帯に電話をかけたが繋がらなかった。
 共通の知人に連絡をしたが、冴木の所在を知っている者はいなかった。
 二年前、ネットニュースに流れてきたトピックスに杏樹は眼を疑った。

「極東芸音協会」の二代目会長に、冴木徹氏が就任。

 俄かには、信じられなかった。
 赤尾豊斎は、冴木の妹を死に追い込んだ怨敵だ。
 冴木は赤尾に復讐するために人生を捨て、人間であることを捨てた。
 憎んでも憎み切れない仇の跡を継ぐとは思えなかった。
 誤報......ずっとそう思っていた。
 誤報に決まっているし、誤報でなければならない。
 そんな杏樹の願いは、数日後に都内のホテルで行われた記者会見によって打ち砕かれた。
 記者会見の席に並んで座る赤尾と冴木をモニター越しに見た杏樹は、夢を見ているのではないかと思った。
 だが、いつまで経っても夢は覚めなかった......覚めるどころか、悪夢は続いた。
 赤尾を彷彿とさせる......いや、赤尾以上の剛腕で冴木は、二代目就任後半年で「極東芸音協会」に加盟していない大手、中堅芸能プロ十社を吸収合併した。
 従わない芸能プロを傘下におさめる方法は、悪辣かつ非道なものだった。
 主力タレントのスキャンダルをネタに社長を脅す、スキャンダルがなければ捏造する。
 社長の家族を徹底的に調査して弱味を探る。家族に脅迫できる材料がなければ、タレントのときと同じように罠に嵌めてでも弱味を作り出す。
 プロの詐欺師を使い社長を投資案件や先物取引で経済的に破綻させ、資金援助を口実に会社を吸収する。
 MSTで培った知識と経験を悪用することで、二代目に就任して僅か二年で冴木は「極東芸音協会」の傘下の数を倍にした。
 杏樹は、いまだに信じられない気持ちだった。
 連日、マスコミに報道される悪逆非道な男は、杏樹が知っている冴木と同一人物なのか?
 怜の死が、冴木を変えてしまったのか?
 罪の意識に耐え切れず、悪魔に魂を売ってしまったのか?
 それとも、いまの冴木が本来の姿で、杏樹が見てきた冴木が仮の姿だったのか?
 いや、それはない。
 杏樹が唯一愛した男は獣のように荒々しかったが、弱者を虐げ私腹を肥やすような卑劣な男ではなかった。
「マジな話をしたいんだけど、いいか?」
 珍しく光が、真面目な顔で言った。
「なに?」
「もう、いい加減、忘れよう」
「なにを?」
「冴木さんのことさ」
「は? 忘れてるわよ」
 杏樹は平静を装い言った。
「ごまかすなよ。お前が、冴木さんのためにMSTを継いだことはわかってるんだからさ」
 光の言葉......心を素通りした。
「あんたさ、推理小説でも書くつもり?」
 杏樹は笑った......つもりだったが、頬が強張った。
「別にMSTを継ぐのはいいと思う。俺も、せっかく身につけた職だからな」
「じゃあ、いいじゃない。あ、もしかして代表になりたいならどうぞ。いつでも譲るわよ」
 本当はわかっていた。
 光が、代表になどまったく興味がないことを......。
「お前が生き生きと仕事してるなら、喜んでサポートするさ。だけど、なにかに取りつかれたようなお前を見てると苦しくなるんだよ」
「私を見てるのが嫌なら、辞めれば?」
 杏樹は突き放すように言った。
「これからは、自分のために生きろよ。冴木さんはもう、戻ってこない。俺らが知ってる冴木徹は死んだんだよ」

 あの人は、もう戻ってこない......。

 わかっていた。
 杏樹がMSTを続けているのは、冴木の帰る場所を守っているからではなかった。
 光はわかっていない。
 あの人はまだ、死んでいない......死に切れていない。
 比喩の意味なら、葉月を亡くした十八年前に死んでいる。
 怜を殺してしまった七年前にも、死んでいる。
 かつて愛した男に自分ができることは......。
 杏樹は思考を止めた。
「話はそれだけ?」
 杏樹は涼しい顔を光に向けた。
「どうしても話をはぐらかそうと......」
 光の言葉を、ドアチャイムが遮った。
「あんたは......」
 来客を見た杏樹は息を呑んだ。 
「久しぶりだね」
 赤尾が穏やかな笑みを湛えながら言った。
 あの事件以来七年ぶりだった。
 あの頃に比べて髪は白くなり、体も一回り小さくなったように思えた。
「お前っ、なにしにきたんだ!?」
 光が立ち上がり、赤尾に詰め寄った。
 尚哉も厳しい表情で赤尾を睨みつけていた。

モンスターシューター

Synopsisあらすじ

ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。

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