モンスターシューター第5回
「社長、お願いします!」
記憶の中の光の声に、現実の光の声が重なった。
冴木は目を開けた。
目の前に、不安げな顔の佐原が座っていた。
「うたた寝なんてしないでください。佐原さん、お待ちになってますから」
光が冴木の耳元に顔を近づけ、小言を囁いた。
「うたた寝じゃねえ。考え事をしてただけだ」
冴木は言いながら、光の胸を押した。
「もう、せっかく聞こえないように言ってあげたのに」
「キャバクラを経営してるんだっけ?」
冴木は光を無視し、ソファに深く背を預け佐原に訊ねた。
「はい。歌舞伎町で『ハイヒールクラス』って中箱の店をやっています」
佐原が緊張気味に答えた。
「同業から、どんな嫌がらせを受けてるんだ?」
冴木はスマートフォンを手にすると、赤尾豊斎(あかおほうさい)、と検索エンジンに打ち込んだ。
赤尾についての情報ページを、スワイプしながら眼で追った。
どれも、読んだものばかりだった。
「ウチの店の近くにガラが悪そうな男達が複数立っていて、この店はぼったくりだからやめたほうがいいとか、ここよりあそこの店のほうが安くてカワイイ女の子が揃ってるとか、営業妨害するんです」
佐原が怒りに声を震わせた。
「なんで警察に通報しねえんだよ?」
冴木は興味なさそうに訊ねつつ、赤尾豊斎・極東芸音協会、と新たに打ち込んだ。
やはり、新しい情報は見当たらなかった。
「何度もしましたよ。でも、奴らは用意周到で見張りも立ててるから、お巡りさんの姿が遠くに見えると、さっといなくなるんです。逃げ遅れても、無関係の人間を闇バイトで雇ってるから、警察もそれ以上は追えないんですよ」
佐原が大きなため息を吐いた。
「闇バイトかぁ。最近、流行ってますよね。ねえ? 冴木さん」
光がさりげなく冴木のスマートフォンを取り上げテーブルに置いた。
「じゃあ、ヤクザは?」
冴木は仕方なく、質問を続けた。
頭の中では、別のことを考えていた。
ここ十年、赤尾の目撃情報はなかった。
どこに住んでいるか、マスコミも彼の側近も掴んでいなかった。
隠居しているならばわかるが、いまでも絶大な影響力を持つキングメーカーだ。
赤尾ほどの資産家なら、普通だと一等地に屋敷を構えているものだ。
そうでなくても、セキュリティ万全な億ションに住んでいる場合が多い。
だが、これほどの著名人が長きに亘って住居を掴まれていないことから察して、赤尾は住まいを転々としている可能性が高かった。
だが、冴木は一度だけ、赤尾の声を聞いたことがあった。
『どもども~、はじめまして~。僕のささやかなお願いを聞いてくれたらさぁ~、北斗(ほくと)ちゃんも北斗ちゃんの大切な人も、助かっちゃうんだけどなぁ~』
冴木の耳に押し付けられたスマートフォンの受話口から流れてくる独特なイントネーション......忘れたくても、忘れられない声だった。
奥歯を噛み締める――冴木は、猛スピードで遡りそうになる記憶にブレーキをかけた。
「そういう方々にお願い事をすれば、後々面倒なことになるので関係を持ちたくないのです」
佐原が、ふたたびため息を吐いた。
「わかります。僕も以前は歌舞伎町でホストをやってましたけど、みかじめ料みたいなものは払っていませんでしたよ。だから、ウチを頼ってきてくれたわけですよね? ということなので、冴木さん、僕らが一肌脱ぐしかないようですね」
光が佐原に共鳴し、冴木に同意を求めてきた。
「依頼を受けるのはいいが、最初にこれだけ払ってもらう」
冴木は四本指を立て、佐原の顔の前に突きつけた。
「十万は着手金としてお支払いしているので、成功報酬としてあとから三十万をお支払いするということですね?」
佐原が確認してきた。
「馬鹿! 桁が違う。着手金百万、成功報酬三百万、合計四百万だ」
「四百......」
佐原が絶句した。
「ちょ、ちょっといいですか」
光が慌てて冴木の腕を引き、佐原から死角になるサンドバッグの裏に促した。
「お客様に馬鹿なんて言っちゃだめですよっ。それに、四百万なんて聞いてないですよっ。佐原さん、びっくりしてるじゃないですか!」
光が額に冷や汗を浮かべ、冴木を咎めてきた。
「馬鹿だから馬鹿だと言ったんだよ。反社が絡んでいそうな仕事を、四十万でやるわけねえだろうが!」
もし、佐原が最初に四百万円を支払うと言っても、断るためにもっと高い金額を吹っかけたことだろう。
正直、キャバクラの営業妨害などの仕事に貴重な時間を割きたくはなかった。
「僕の憧れた冴木さんは、どこに行ったんすか?」
光がため息交じりに言った。
「お前が勝手に美化して憧れただけだろ? 俺は、昔もいまも変わらねえよ」
冴木は光を押し退け、佐原のもとに戻った。
「どうだ? 四百払う気になったか?」
冴木は、ソファに腰を下ろしつつ訊ねた。
「せめて、二百万にしてもらえないでしょうか? 最近、店への妨害行為で売り上げも落ち気味でして......」
佐原がうなだれた。
「帰ってくれ」
冴木は突き放すように言うと立ち上がった。
「お願いしますっ。いまは二百万しか払えませんが、先々......」
「俺らの仕事はなにがあるかわからねえ。ヤクザに刺されて死ぬかもしれねえし、警察に捕まるかもしれねえ。そんなはした金しか払えねえ奴の依頼を受けてる暇はねえんだよ」
冴木は佐原に背を向け、サンドバッグをバンテージだけの拳で打ち始めた。
「冴木さんっ、なにやってるんですか!? 佐原さんが帰っちゃいますよ! 止めてください!」
光が、血相を変えて冴木に駆け寄ってきた。
冴木は無視して、サンドバッグに拳を打ち込み続けた。
「佐原さん、待ってください!」
光がジムを飛び出した。
ストレート、フック、アッパー、肘を打ち込み続けた。
サンドバッグには、いつも二人の男の顔が浮かんでいた。
一人は想像の中の赤尾、そしてもう一人は自分......。
冴木は開きかけた記憶の扉を閉め、無心でサンドバッグを打ち続けた。
Synopsisあらすじ
ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。
Profile著者紹介
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。
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