モンスターシューター第4回
トレーニングに固執する理由――ボディビルダーになりたいわけでも、格闘家になりたいわけでもない。
ひたすら、強くなりたかった。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
「俺は、女を見る目はあるんですよ。男を見る目はないですけどね~」
光が皮肉を返してきた。
「勝手に言ってろ」
「ところで、いまさらなんですけど、『MST』ってなんの略っすか? これも前から気になってたんですけど、なんとなく訊きそびれていたんですよね」
光が思い出したように訊ねてきた。
「モンスターシューター」
冴木は低く短く言うと、リングを下りた。
怪物を射止める......口には出さなかった。
「モンスター? あ! 依頼客を困らせる相手のことですね? うまいこと言うじゃないですか!」
光が勝手に解釈して手を叩いた。
モンスター――黒く塗り潰された顔が、頭に浮かんだ。
干上がる口内......早鐘を打つ鼓動。
冴木は脳裏に蘇りそうな記憶から意識を逸らし、応接ソファに座るとノートパソコンを起ち上げた。
「佐原信二(さはらしんじ)、46歳、歌舞伎町のキャバクラ経営者......同業他店の、嫌がらせ行為か」
冴木はあくびをしながら、依頼客のプロフィールデータを読み上げた。
「面倒くせえなぁ。こいつ、キャバクラのオーナーなんだから、ケツ持ちに頼めばいいじゃねえか」
「また、そんなふうに言う。依頼客を、こいつ呼ばわりしちゃだめですよ。ケツ持ちに頼めない、なにかの事情があるんでしょう。それに、こういう人がいてくれるから、ウチらみたいな仕事が儲かるわけっすからね」
光が窘めるように言った。
「着手金は?」
冴木はノートパソコンを閉じ、光に訊ねた。
「十万円です」
「なんだそれ? キャバクラで客からたんまり金を巻き上げてるくせに、そんなはした金しか払わねえのか!? 断れ」
「なに言ってるんすか。十万はあくまでも着手金で、依頼内容によっては、冴木さんの大好きな三桁の渋沢栄一が入りますから、ちゃんと受けてください」
光が焦った顔で宥めてきた。
「三桁って言っても、百人の渋沢か五百人の渋沢かによって、やる気は違ってくるけどな」
冴木はテーブルに両足を乗せ、大きなあくびをした。
「そういう言動、ガラが悪いからやめたほうがいいですよ。ウチは闇金じゃないんですから」
光が冴木の両足を抱え、テーブルから下ろした。
「それから、短パンも裸もやめてください」
光が冴木の私服......タンクトップを差し出してきた。
「お前、小姑みてえに細かいことばかり言ってるから、彼女ができねえんだよ。こんなもん着ても裸と変わらねえだろ」
冴木は文句を言いながらも、タンクトップを着た。
「振る舞いがよければ芸能人になれるくらいにかっこいいビジュアルなのに、もったいないっすね。モデルとか俳優とか、目指したことないんですか?」
光の問いかけが、冴木の心の古傷に爪を立てた。
古傷というには、深く生々しい傷だった。
「興味ねえな」
冴木は素っ気なく吐き捨てた。
「とにかく、そんな服で仕事に出てくるのは......」
光の声を、ドアチャイムの音が遮った。
「すみません、ここは『MST』ですか?」
三分の一ほど開いたガラスの引き戸から、ゴキブリの翅のように整髪料で光ったオールバックの男が不安げに顔を覗かせていた。
「あんた、佐原さんだろ? こいつがうるせえから、ちょうどよかった。入れよ」
冴木が手招きすると、佐原の顔が強張った。
「怖がってるじゃないですか。どうも! 佐原さんですね。お待ちしてました。どうぞ、お入りください」
光が冴木の耳元で囁いてから、笑顔で佐原を招き入れた。
さすがは元歌舞伎町のナンバー1ホストだけのことはあり、客あしらいが柔らかい。
光と出会ったのは、この事務所だった。
冴木は目を閉じ、記憶を辿った。
三年前、光は依頼客として「MST」を訪れた。
当時二十二歳でナンバー1ホストだった光の顔は、ジャガイモのようにボコボコに腫れ上がっていた。
光は顧客の元彼だった半グレ組織のリーダーと仲間に呼び出され、暴行を受けた上に一千万円の詫び金を要求されていた。
冴木がトラブルシューティングの事務所を起ち上げた目的とは繋がりそうになかったので門前払いしようとしたが、光の一言で心が動いた。
『奴らに袋叩きにされて、大切なお客さんを目の前で輪姦されました。ビビッてなんにもできなかった自分が情けなくて、許せなくて......』
冴木は、歌舞伎町を仕切るヤクザと半グレ組織がぶつかるように絵図を描いた。
半グレ組織は歌舞伎町どころか東京にいることもできなくなり、地方へと逃亡した。
本来なら、これで冴木の仕事は終わりだった。
だが、冴木はリーダーの行方を突き止め、光の目の前で半殺しの目にあわせた。
光にとって一番の目的は、ヤクザの力を借りて半グレ組織を歌舞伎町から追い払うことではなく、リーダーに制裁を加えることだと思ったからだ。
たとえそうであっても、手間も経費もかかるので普通はそこまでしない。
それをやったのは、光の胸の痛みを感じたからだ。
『僕、ホスト辞めました。ここで、働かせてください!』
一ヶ月後。突如、光が事務所に現れた。
『悪いが、スタッフは募集してねえから』
本当は人手を増やそうと考えていたが、光は違った。
冴木が求めていたのは、自分と同じ人生を捨てた行き場のない人間だった。
これからいくらでも将来の道を選べる光を、冴木の危険な目的地につき合わせたくなかった。
どんなルートを辿っても、冴木の行きつく最終地は無間地獄なのだから......。
『僕、給料はいりません! ホスト時代の貯金がありますから。だから、使ってください!』
光は執拗に食い下がってきた。
『ウチは、お前みたいに遊び半分でやるような仕事じゃない』
『遊び半分じゃありません! 冴木さんに解決してもらいましたけど、僕の屈辱は消えません。自分でやっつけたなら納得できたでしょうけど、お金で解決しただけです。だから、冴木さんのところで勉強して力をつけて、僕と同じような目にあってる人を助けたいんです!』
『馬鹿。お前みたいな依頼ばかりじゃねえ。トラブルって言っても、隣の奥さんが可燃物の日に不燃物のゴミを出すから注意してほしいとか、近所のおばさんがハトに餌をやるから糞だらけになって困ってるとか、そんなのがほとんどだ。お前のトラウマを払拭できるような、映画みたいな依頼なんてこねえよ』
嘘――映画のように危険な依頼は多かった。
だが、冴木がやっていること......やろうとしていることは、カットがかかる映画とは違う。
だからこそ、光を巻き込みたくなかった。
『それでも構いません! 冴木さんみたいになりたいんです! 三ヶ月間でいいので、試してください! それでだめなら、クビを切ってもらって構いません! お願いします!』
Synopsisあらすじ
ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。
Profile著者紹介
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。
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