モンスターシューター第1回

        プロローグ

 日比谷の「マリオンプリンス東京」の二十階――クイーンズスイートルームでシャワーを浴びる尚哉(なおや)の股間は、既に痛いほど硬直していた。
 女性に慣れていないわけではない。
 逆だ。
 尚哉が二十二年の人生で抱いた女性の数は、三百人を超える。
 と言っても、プライベートでは二十人ほどの経験しかなかった。
 それ以外の二百八十人以上は、「プリンスサービス」に登録してからの二年間で積み重ねた数だ。
「プリンスサービス」は、芸能界御用達の女性専門の会員制派遣型風俗店だ。
 代表が芸能界のフィクサーと呼ばれている人物と繋がっており、芸能プロダクションのマネージャーを通じて指名が入るシステムになっていた。
 一般の女性は直接電話をかけてくるが、芸能人は万が一録音されていたときの保険としてマネージャーが間に入るのだ。
 後々トラブルになっても、マネージャーが勝手にやったこと、と逃げ道を残せるからだ。
 政治家が賄賂を秘書に受け取らせる構図に似ていた。
 尚哉は血管の浮き出るペニスにラベンダーエキス配合の特製ボディソープを塗り、恥垢の溜まりやすいカリ首の裏を入念に洗った。
 尚哉特製のボディソープは、女性がフェラチオしたときにラベンダーの香りがするので、顧客からの評判がよかった。
 風景、香り、音楽......女性は、直接的な刺激で興奮する男性と違って、ムードやシチュエーションで盛り上がる生き物だ。
 尚哉はボディソープを洗い流し、バスルームを出た。
 パウダールームだけで、ワンルームマンションくらいのスペースがあった。
 尚哉はバスタオルで体の水分を拭き取りながら、鏡の前で全身をチェックした。
 ほどよく隆起した胸と肩の筋肉、美しく割れた六つの腹筋、すらりと伸びた細い足――筋トレは週に四回していたが、鍛え過ぎないように気をつけていた。
 女性はほどよい男性の筋肉は好むが、ゴリマッチョと呼ばれる肉体は嫌悪する。
 過度な筋トレは活性酸素が増えて精子に悪影響を及ぼし、生殖機能が低下すると言われており、良質な精子の確保が目的の女性は、本能的に筋肉の鎧を纏った男性を嫌悪するようにできている、との説もある。
 その説の真偽は定かではないが、女性がゴリマッチョより細マッチョを好む傾向にあるのは事実だった。
 尚哉の仕事は女性を性的に満足させることなので、ボディメイクには神経を使っていた。
 だからといって、細マッチョならなんでもいいわけではない。
 女性が性的に興奮を覚える筋肉の御三家は、腕、胸、腹筋だ。
 逆に競輪選手のような太く逞しい足は好まれないので、足トレはセーブしていた。
 有名人とセックスができて、お前が羨ましいよ。
 友人は、口を揃えてそう言った。
 金を貰って憧れの芸能人を抱けるのだから、天国のような職場だ......尚哉も最初はそう思っていた。
 だが、じっさいに働き始めてから、そんな甘い幻想はすぐに打ち砕かれた。
「プリンスサービス」での初めての仕事のときに、異常に性欲の強いグラビアアイドルにお代わりを求められたが勃起しなかった。
 尚哉はグラビアアイドルに味噌糞に罵倒され、事務所にクレームを入れられ、代表にもめちゃくちゃに怒られた。
 二人目の四十路女優のときは愛撫がへただと説教され、やはり事務所にクレームを入れられて代表に怒られた。
 それからの尚哉は勃起力を増すために煙草をやめ、仕事の日はセックスが終わるまで胃になにも入れないようにした。
 煙草は血管を収縮させるので血の巡りが悪くなり、胃に食物が入っていると消化のために血液が回るので勃起力が落ちてしまうからだ。
 朝は勃起力に影響を与える内転筋を鍛えるために、スクワットを百回こなすことをルーティンとし、自腹でデリヘル嬢を呼んでセックステクニックを磨いた。
 顧客を満足させられるようになったのは五人目あたりからで、いまでは節制とトレーニングの甲斐があって、射精も自在にコントロールできるようになった。
 尚哉はバスローブを羽織った。
 相変わらず、ペニスは臍に付くほどに反り返っていた。
 童貞のように、尿道口にはいわゆる先走り汁が滲んでいた。
 これまでに、女優、モデル、グラビアアイドル、レースクイーンなど数多の芸能人を抱いてきたが、ベッドインする前からこれほど興奮したことはなかった。
 同じ芸能人といっても、今夜の顧客はレベルが違う。
 浅木千穂(あさぎちほ)。
 若手で三本指に入る連ドラ常連の主役級の女優で、去年は「大河ドラマ」にも出演していた。
 清楚なイメージが企業に好印象で、現在CMを十二本抱えるトップ中のトップだ。
 代表から浅木千穂の相手をできるかと打診されたときは、担がれていると思った。
 いくら「プリンスサービス」が芸能人御用達でも、いまや国民的女優の浅木千穂が女性用風俗店を利用するとは俄かには信じられなかったのだ。
 もちろん、二つ返事でOKした。
 だが、この仕事にはとんでもないミッションが課せられていた。

『え!? それ、マジですか?』
『ああ、こんなこと冗談で言うわけないだろう』
『盗撮なんかして、バレたら大変なことになりますよ?』
『ならないよ。ウチとの関係が公になってダメージを被るのは、浅木の事務所だ』
『それはそうでしょうけど......どうして、そんなことするんですか?』
『さあな、上からの指示に従ってるだけだ』
『上って、誰ですか?』
『お前は、そこまで知らなくていい。言われた通り、浅木千穂とのセックスを盗撮すればいいんだよ。大金が入った上に二十五歳の超有名女優とセックスできるんだから、最高の仕事だろ?』

モンスターシューター

Synopsisあらすじ

ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。

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