モンスターシューター第21回

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 ボクシングジムの前で足を止めた冴木は、「MST」の看板を見上げた。
 昨日は、軽井沢から東京に戻ったのが深夜だったのでシャワーも浴びずに寝た。
 教会に行ったせいか、葉月の夢を見た。
 幼い頃に、近所の裏山に葉月と昆虫採集に行った夢だ。
 葉月は女の子にしては珍しく、無類の昆虫好きだった。
 人形遊びをするよりも、カブトムシやクワガタムシを眺めているのが好きな子だった。
 正式に言えば昆虫採集ではなく、昆虫観賞の夢だった。
『せっかく裏山まできたのに、なんで捕まえないの?』
 冴木は疑問に思い、訊ねたことがあった。
『チョウやセミの寿命は、成虫で一週間くらいなの。私達人間は七十年とか八十年でしょう? だから、昆虫さんにとっての一日は私達にとっての十年だと思うの。一時間で逃がしたとしても、人間なら数年間閉じ込められていたのと同じだし。そんなの、昆虫さんがかわいそうでしょう?』
 葉月の答えを聞いて、彼女らしいと思った。
 そのときの葉月は小学一年生だったが、冴木は高校生と喋っているような錯覚に襲われた。
 普段から、葉月は悟りを開いているような雰囲気があり、どちらが年上かわからなくなるときがあった。

 どうして、葉月なんだ......どうして、俺じゃない?

 冴木は、何百回、何千回と問いかけてきた。

 もし神が、どちらかの魂を天国に連れ戻すというのなら、人間として未完成な自分を選べばいい。
 自分は未完成だから葉月の魂でなければだめだというのなら、どうしてあんな方法を選んだ?
 人生最後の瞬間を、あんな残酷な形で終わらせる理由があったというのか?
 あの日から、冴木は神を信じなくなった。
 神の存在についてではない。
 信じなくなったのは、神が善であるということだ。
 葉月の最期を見て冴木が確信したことは......神も悪魔も同じ穴の狢(むじな)ということだ。
 肩を叩かれた。
 暗鬱な記憶の扉を閉め、冴木は振り返った。
「なにやってんの? そんなとこにボーッと突っ立ってたら、営業妨害でしょ」
 杏樹が怪訝な顔で言った。
「うるせえな。考え事してたんだよ」
 冴木は言いながら、事務所に入った。
「考え事なら、別の場所でしなさいよ。ガラの悪い筋肉馬鹿が立っていたら、怖くてお客さんが寄りつかなくなるから」
 冴木のあとに続きながら、杏樹が毒づいた。
「おはようございます! 朝から痴話喧嘩っすか?」
 デスクトップPCと向き合っていた光が、茶化すように言った。
「痴話喧嘩ってなによ!? 人が聞いたら誤解するからやめてよね!」
 杏樹が光を睨みつけた。
「お~怖っ」
 光が肩を竦めた。
「お前な、怒ったり小言ばかり言ってたら嫁の貰い手がなくなるぞ」
 冴木は杏樹に憎まれ口を叩きながら、応接ソファに腰を下ろした。
「その言葉、そっくりお返しするわ! 社長のほうこそ、野獣みたいな見かけと野蛮な性格を直さないと、生涯独身だから。あ~、孤独死なんてかわいそ~」
 杏樹が憎まれ口を返してきた。
「あ、野蛮で思い出した!」
 光が立ち上がり、冷蔵庫から真空パックされた生肉を取り出した。
「久慈社長から、お礼に黒毛和牛のA5ランクを一キロ頂いたので、二百グラムずつ切り分けておきました! とりあえず、朝食は一パックでいいっすか?」
「お礼が黒毛和牛一キロって......。本当に獣ね」
 杏樹が呆れたように言った。
「いまはいい。それより、二人ともこっちにきてくれ」
 冴木は光と杏樹を呼んだ。
「え? 冴木さんが朝食を抜くなんて、具合でも悪いんすか?」
 光が驚いた顔で訊ねてきた。
「そのへんで、ハトかカラスを捕まえて食べたんじゃないの?」
 杏樹がニヤニヤしながらからかってきた。
「お前達に、話しておきたいことがある」
 冴木は杏樹の軽口を受け流し、本題を切り出した。
「本当にどうしたの? 今日の社長、変なんだけど」
 杏樹が怪訝な顔を冴木に向けた。
「赤尾との関係だ。俺は昔、俳優だった」
「えーっ、社長が俳優!?」
 光が素頓狂な声を上げた。
「もう、なにを言い出すかと思ったら。朝からそんな冗談やめてくれる?」
 杏樹が呆れたように言った。
「冗談なんかじゃねえ。十一年前まで、三原北斗の名前で活動していた」
 冴木は構わず続けた。
「え!? 三原北斗って、リアルで見たことないっすけど、めちゃめちゃ売れてた俳優ですよね!?」
 光が驚きの表情で訊ねてきた。
 冴木は頷いた。
「出てきた! 嘘ばっか! 全然別人じゃん!」
 杏樹が、検索した三原北斗の写真が表示されたスマートフォンのディスプレイを冴木に突きつけた。
 表示されているのは、映画の舞台挨拶をしているときの写真だった。
「別人じゃねえ。俺だ。よく見てみろ」
 冴木が言うと、光がディスプレイに顔を近づけた。
「ん......そう言われると、なんとなく似てますね......っていうか、瞳はカラコンで色が違うけどそっくりですよ」
 光が言った。
「そんなわけないじゃん! このイケメン王子系の俳優と野獣みたいな社長が同一人物なんて......でも、なんとなく面影があるような気も......」
 杏樹が画像と冴木の顔を交互に見比べた。
「このときより体重を十五キロ増量して、筋肉つけて、肌焼いて、カラコンつけて......別人になるために苦労したぜ。お前らが信じられねえっていうのは、俺からすりゃしてやったりだ」
 冴木は片側の口角を吊り上げ、二リットルのペットボトルのミネラルウォーターをラッパ飲みした。
「いやいや、でも、信じられないわ。こんな王子顔がいくら体重増やして日焼けしても野獣にならないでしょ? それに、社長が連ドラや映画に出まくっていた俳優なんて絶対に信じ......」
「証拠だ。話が進まねえから、早く信じろ」
 杏樹を遮り、冴木は財布から抜いた免許証をテーブルに放り投げた。

モンスターシューター

Synopsisあらすじ

ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。

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