モンスターシューター第18回

「オットセイの金玉の漢方薬......」
「いや!」
 冴木が言い終わらないうちに、杏樹が黒褐色の塊を床に捨てた。
「馬鹿野郎っ、お前に精力つけてやろうと思って、貴重な俺のストックをわけてやったんだぞ。六錠で三万だぞ! 三万!」
 冴木は慌てて床に四つん這いになり、拾い上げた黒褐色の塊を口の中に放り込んだ。
「ばっかじゃないの! こんな気持ち悪いの、私が喜ぶと思った!?」
 杏樹が、四つん這いの冴木を睨みつけ食ってかかった。
「てめえは、そうやってギスギスしてるから女としてのフェロモンが......」
「まあまあまあ、そこまでにしましょう。それより、よかったじゃないですか。盗撮動画のUSBメモリーも回収しましたし、無事に任務を完了しましたね」
 光が冴木と杏樹のいがみ合いを取りなした。
「ところで冴木さん、次の任務はこの依頼客がいいかと思う......」
「まだ終わっちゃいねえ」
 冴木は、タブレットPCを見せようとした光を遮った。
「え? 盗撮動画のUSBメモリーも取り戻したし、赤尾って黒幕への警鐘も鳴らしましたし......まだ、やることあります?」
 光が怪訝な顔で訊ねてきた。
「そうよ。これ以上、なにやるわけ?」
 杏樹が光に同調した。
「赤尾がこのまま黙ってると思うか? あの手この手使ってウチの存在を突き止めて、反撃してくるはずだ。やられる前に、潰しておかねえとな」
 冴木は押し殺した声で言いながら、開きそうになる記憶の扉を慌てて閉めた。

                  ☆

 マイナスイオンに満ちた白樺の雑木林を、冴木は重い足取りで歩いた。
 右手には葉月(はづき)が好きだったマーガレットの花束......。
 十一年前の今日――あの日の光景は色褪せるどころか、年々、鮮明に蘇り冴木を苦しめた。
 雑木林を抜けると、白い教会が視界に入った。
 全焼した教会は、三年前に建て直された。
 冴木は足を止めた......いや、止まった。
 急に、金縛りにあったように体が動かなくなった。
 毎年、この日がくるのが怖かった。
 炎に呑み込まれる葉月を救えなかった無力な自分......。
 花束を持つ手が震えた、噛み締めた唇が震えた......心が震えた。
 冴木は怯みそうになる気持ちを奮い立たせ、教会に足を踏み入れた。
 ステンドグラス越しに射し込む陽光が、聖堂を神々しく染めていた。
 黒いタキシードに身を包んだ冴木は、中央の身廊を進んだ。
「葉月、会いにきたよ」
 冴木は祭壇の背後に回り、聖マリア像の足元に花束を置いた。
「そっちでの生活には慣れたかい? 天国では、お腹が減ったり喉が渇いたりしないの?」
 復讐鬼となった冴木ではなく、北斗として語りかけた......本来の姿で、最愛の妹の兄として。
 不意に、頬に涙が伝った。
 冴木は、軽い驚きを覚えた。
 もう、涙は枯れ果てたと思っていた。
 眼を閉じ、暗鬱な記憶の洞窟に足を踏み入れた。
 
『はいカットー!』
 監督の声がかかると、マネージャーがベンチコートを手に駆け寄ってきた。
『ありがとうございます』
 北斗はベンチコートを受け取り、モニタースペースのテントに向かった。
『北斗君、相変わらず最高の演技だよ! 一緒にチェックしよう!』
 監督が興奮した口調で言いながら、隣のパイプ椅子を北斗に勧めた。
 来年夏に公開予定の全国ロードショーは、製作費八億円の大作だった。
 北斗はデビュー作の少女漫画原作の恋愛映画で注目を浴び、一躍スターダムにのし上がった。
 以降、北斗にオファーがくる連続ドラマや映画のほとんどは、王子様系のベビーフェイスの役ばかりだった。
 四クール続けて連続ドラマの主演、年に一本の映画の主演、八本のCM......北斗は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍した。
 デビューして三年間で休みは六度しかなく、睡眠時間は平均五時間にも満たなかった。
 撮影中の映画で北斗は、俳優キャリア初の犯罪者を演じることになった。
 アイドル俳優のレッテルをはがしたいという思いを強く抱いていた北斗にとっては、願ってもない配役だった。
『北斗、お父様から電話だよ』
 マネージャーが、預けていた北斗のスマートフォンを差し出してきた。 
『いま、撮影中ですから折り返しかけますと言ってください』
 北斗はマネージャーに言った。
『ちょうど昼休憩に入るつもりだったから、大丈夫だよ。急用かもしれないしね。早く出てあげたほうがいいよ』
 監督が北斗を促した。
『ありがとうございます』
 北斗はスマートフォンを手に、モニタースペースのテントから出た。
『いま仕事中だけど、なんの用......』
『ハロハロぉ~。北斗パパだよぉ~』
 受話口から流れてくる赤尾の声に、北斗の肌が粟立った。

モンスターシューター

Synopsisあらすじ

ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。

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