モンスターシューター第16回

「さっきから、なにを頭にぶつけてるんだ?」
「アンサーアゲイン!」
 近江の問いかけには答えず、冴木は言った。
「何度訊かれても私は......うっ......」 
 サッカーボールの三発目が、近江の脳を優しく不快に揺らした。
 近江の額に滲む脂汗が、じわじわと精神的ダメージが蓄積していることを証明していた。
「うっ......」
 今度は、質問なしにサッカーボールを後頭部にぶつけた。
 想定外のパターンが、心理的なダメージをより与える。
 水だと思って飲んだ液体が酒やジュースだったりすると、脳が拒絶反応を起こす。
 酒やジュースが大好きな人間でも、脳が想定していない状態で飲んでしまうと不快に感じてしまうのだ。
「あっ......」
 次は、サッカーボールを前頭部にぶつけた。
 後頭部に意識を集中させていた近江が、虚を衝かれて大きく頭をのけ反らせた。
 十秒後に右側頭部、三十秒後に右側頭部、五秒後に右側頭部、十五秒後に後頭部、二十秒後に前頭部、二分後に左側頭部、五秒後に左側頭部、四十秒後に前頭部......冴木は気の向くまま、ランダムにボールネットに入ったサッカーボールを近江の頭部にぶつけ続けた。
 気の向くままランダムに、というのが精神的ダメージを蓄積させるポイントだ。
「ちょ......ちょっと待ってくれ。こんなこと、いつまで続けるつもりだ? 私は痛くもないし、ダメージもないし......無意味だろう?」
 近江が言葉とは裏腹に、二十四時間独房に閉じ込められていたような疲弊しきった顔で言った。
 呼吸は荒く乱れ、声は掠れていた。
 二十四時間どころか、まだ十五分も経っていない。
「いつまで続けるか......」
 冴木は言葉を切り、近江の左側頭部にサッカーボールを当てた。
「それは......」
 ふたたび言葉を切り、後頭部にサッカーボールを当てた。
「あんた次第だ......」
 みたび言葉を切り、後頭部にサッカーボールを当てた。
「ぜ!」
 今度は二発続けて前頭部に当てた。
「頼む......それを......やめてくれ......」
 近江が喘ぐように懇願してきた。
「浅木千穂のUSBメモリはどこだ?」
 冴木は訊ねた。
「え? あ......だから、私はそんなもの......」
「それ以上喋るな。おい、一リットルの水を三本とバナナ一房と卵を買ってこい。あとは、お前らの飲み物や飯を買ってこい」
 冴木は尚哉に命じた。
「え?」
「今夜は徹夜だ。一晩中、こいつの頭をこつこつやらなきゃなんねえからエネルギー補給しねえとよ。バナナもゆで卵も、片手で食えるからな」
 冴木は笑いながら言うと、ハーフパンツのポケットに手を突っ込みくしゃくしゃの五千円札を尚哉に投げた。
「徹夜!?」
 近江が弾かれたように振り返った。
「お前がUSBメモリの隠し場所を言えばすぐに解放だし、言わなきゃ二日でも三日でも続けるぜ。もちろんお前は眠れねえし、飯も食えねえし水も飲めねえし、小便も糞も行けねえ。かわいそうによ」
 冴木は他人事のように言いながら、サッカーボールを右側頭部に二発当てた。
「に、二、三日......」
 近江が、うわずった声で繰り返した。
「ちょっと待ってくれ、パイプ椅子を持ってくるからよ」
 わざわざ近江に断りを入れ、冴木はパイプ椅子を運んでくると腰を下ろした。
「さあ、これで、じっくりと腰を据えて脳みそポンポンができるぜ」
 冴木は加虐的に言いながら、後頭部にサッカーボールを当てた。
               ☆
 五時間が過ぎた。
 冴木は左右の手を変えながら、休まずにサッカーボールを当て続けた。
 サッカーボールが当たっても、近江は声を漏らさなくなった。
 その代わり、一発当たるごとに電流を流されたときのように全身をビクリとさせた。
 一千発近くサッカーボールを当てられている近江の神経が過敏になっている証だ。
 近江の足元には、まるで失禁でもしたように大量の汗溜まりができており、冴木のタンクトップも汗を吸い込み絞れるほどになっていた。
 鍛え上げられた冴木の筋肉隆々の両腕も、乳酸が溜まりパンパンに張っていた。
〈作業〉の途中で、尚哉が買い出してきた六本のバナナと八個の卵を補給していたので、体力は十分に残っていた。
「あの......このまま続けると死んじゃったりしませんか?」
 最初は弱過ぎる衝撃を与える冴木に訝しげにしていた尚哉だったが、いまは逆に近江の体を心配して落ち着きがなくなっていた。
「かなり脳みそが揺れてるから、これ以上続けるとヤバいかもな」
 冴木は、あっけらかんとした口調で言った。
 当然、近江に聞かせる目的であった。
「......さすがに、殺人は人としてまずいですよ」
 怯えながらも、尚哉が冴木を諫めてきた。
「俺は人じゃなく獣だからな」
 冴木は大笑いしながら、後頭部、左側頭部、左側頭部、左側頭部、右側頭部にサッカーボールをソフトに当て続けた。
「こいつの言う通りです! このへんでやめましょう! 前も、同じように拷問した人が寝たきりになっちゃったじゃないですか。さすがに、もう、ああいう後味の悪さは勘弁です」
 レコーディングブースに入ってきた光が、打ち合わせ通りのタイミングで口を挟んできた。
 近江の両足が小刻みに震え始め、アンモニア臭が冴木の鼻孔の粘膜を不快に刺激した。
 効果覿面――どうやら、恐怖で失禁してしまったようだ。

「まあ、このまま続けりゃそうなるだろうな。三時間過ぎたあたりから、ぶつけるたびにこいつの頭ん中で変な音がするようになってきたからよ。俺の予想じゃ、こいつの脳みそがぶっ壊れるまであと百発以内ってところだ。っつーことで、寝たきりカウント行くぜ! 一発、二発、三発......」
 後頭部、後頭部、前頭部......冴木は茶化すような口調でカウントを始めた。
 もちろん、医学的なエビデンスのないでたらめであり、寝たきりになったというのも作り話だ。
 ただし、思い込みの力は健康な人間を病にもし、病に侵されている人間を健康にもする。
 冷静な思考力を奪われている近江の脳内には、恐怖のカウントダウンが説得力十分に響き渡っていることだろう。
「十三発、十四発、十五発......」
 冴木はカウントを続け、リズミカルにサッカーボールを当て続けた。
 もう、ぶつける間隔の変化をつける必要はない。
 百発目まで近づくほどに、近江の心は壊れてゆく。
「二十一発、二十二発、二十三......」 
「も......もう、やめて......くれ......」
 数時間ぶりに、近江が口を開いた。
 数時間前とは別人のように、近江の声は掠れて弱々しかった。
「USBメモリの隠し場所を吐かねえかぎり、やめねえよ。二十三発、二十四発、二十......」
「言う......言うから......やめてくれぇーっ!」
 断末魔の叫び――近江の裏返った涙声が、レコーディングブースに響き渡った。
 してやったりの表情で拳を握り締める光に向かって、冴木は中指を突き立て片側の口角を吊り上げた。

モンスターシューター

Synopsisあらすじ

ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。

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