モンスターシューター第11回
☆
赤坂の高層マンションの前に横付けしたエルグランドの後部座席で、冴木は三本目のバナナを平らげた。
エルグランドは、闇金融流れの不良債務者名義の車を買ったので足がつくことはない。
MSTではほかに、同じ闇金融流れの車を三台所有していた。
「五分くらい前に店を出たんですね? わかりました。いえ、大丈夫です。僕のほうから代表に電話しますから。ありがとうございました」
冴木の隣に座る尚哉が、スマートフォンを耳に当てたまま頭を下げた。
電話の相手は、銀座のクラブで横浜と飲んでいた部長の穂高(ほだか)という男だ。
穂高は横浜と毎晩のように飲み歩いていると尚哉から情報を得た冴木は、移動中に電話を入れさせた。
情報通り、二人は今夜も一緒に飲んでいた。
風は冴木に吹いていた。
横浜が既に帰宅していたら、疑われずに呼び出すのは一苦労だ。
尚哉に呼び出させようとしても、横浜は応じないだろう。
逆に、部屋に上がってこいと言われるのは目に見えていた。
そうなるとマンションのセキュリティも厳しく、当然防犯カメラもあるだろうから、冴木が尚哉について行くのは不可能だ。
「五分くらい前に、銀座の店を出たんだな?」
尚哉が電話を切ると、冴木は念押しした。
「はい、タクシーで自宅に向かっていると言ってました」
「銀座から赤坂まで、二十分前後ってところか」
冴木は独り言ち、足元のクーラーボックスから取り出した牛ヒレの生肉にかぶりついた。
今日は昼を抜いているので、糖質も炭水化物も枯渇していた。
「それ......生ですよ」
尚哉が汚物を見るような眼で、生肉に食らいつく冴木を見た。
「生だから食ってんだよ。お前も食うか?」
冴木は食べかけの生肉を、尚哉の眼前に突きつけた。
「いえ......結構です。あの、お二人は浅木千穂さんとはどういった関係なんですか?」
尚哉が怖々訊ねてきた。
「お前が知る必要はねえ」
冴木は、にべもなく言った。
「じゃあ、代表をどうするのか教えてください。僕が裏切ったことはバレてしまいますし、知る権利はあると思います」
「今回の黒幕が誰かを白状させて、盗撮動画を取り戻すんだよ」
生肉を平らげた冴木は、ミネラルウォーターで流し込んだ。
「代表は頑固な人なので、簡単には言わないと思います」
「なら、強引にでも吐かせるまでだ。言っておくが、お前のときみてえに手加減はしねえ。俺の知りたい情報を吐かせるためなら、最悪、殺してもいいと思ってる」
冴木は、さらりと言った。
「殺しても......」
尚哉が絶句した。
ブラフではなかった。
赤尾豊斎に辿り着くためなら、冴木は畜生道に堕ちてもよかった。
獣にならなければ獣を仕留めることができないのなら、冴木は迷わず獣としての生を歩むつもりだった。
どの道、冴木の人間としての生は十年前に終わった。
いまさら、人間に戻るつもりはなかった。
「なに固まってんだよ。お前も奴を敵に回すんだから、そのほうが都合がいいだろう」
冴木は涼しい顔で言った。
「た、たしかに代表は悪いことをしましたが......殺されるほどではないと思います」
怯えながらも、尚哉が反論してきた。
ビジュアルだけの薄っぺらい印象があったが、思ったよりも根性のある男だった。
「素直に吐けば殺しまではしねえが、意地を張るなら結果的に死ぬこともあるって意味だ。そんなことより、リハーサルするぞ。横浜がマンションに入る前になんて言うんだ?」
冴木は尚哉を促した。
「今日のお客様とトラブルになってしまい、電話で話せるようなことではないので代表を待ってました......でしたよね?」
「ああ。お前に気を取られている間に、こいつで痺れさせて車に連れ込む。下手を打つんじゃねえぞ」
冴木は、スタンガンを掲げつつ言った。
「噂をすれば......きたわよ」
杏樹がキャップとマスクをつけ、フロントウインドウを指差した。
タクシーがスローダウンし、エルグランドの四、五メートル前に停車した。
「おら、出番だ」
冴木もキャップとサングラスで変装し、スライドドアを開けた。
今度の獲物は、尚哉のときのように拷問ごっこで終わらせる気はない。
後々通報されたら厄介なことになるので、顔をさらさないほうが得策だった。
「じゃあ、行ってきます」
「星光江(みつえ)さん。熊本県北区在住」
冴木が口にした名前に、エルグランドを降りようとしていた尚哉が強張った顔で振り返った。
冴木は子飼いの興信所の調査員に、横浜と尚哉のことを調べ上げさせていた。
「どうして、母ちゃんの名前を?」
尚哉が掠れた声で訊ねてきた。
「もし裏切れば、女手一つで育ててくれた大好きな母ちゃんに、お前が浅木千穂にやったことをぶちまける。その前に、自慢の一人息子は芸能人に体売った金で仕送りしてるってことも言わねえとな」
冴木は片側の口角を吊り上げた。
「母ちゃんにだけはそのことを......」
「懇願は横浜を拉致ってから、いくらでも聞いてやるよ」
冴木は冷たく言い放つと、尚哉を車外に放り出した。
「社長って、ときどき正義の味方か悪人かわからなくなるわ」
杏樹が冗談とも本気ともつかない口調で言った。
「あ? 俺は、ただの獣だ。獣が獲物を喰い殺しても、悪じゃねえだろ? もちろん、正義の味方でもねえ」
冴木は杏樹にニヤリと笑い、尚哉のあとに続いた。
Synopsisあらすじ
ポニーテールにした髪、ハーフに間違われる彫りの深い顔立ち、カラーコンタクトで彩られたグレーの瞳、筋肉の鎧に覆われた褐色の肌――一日数時間のトレーニングを日課にする冴木徹は、潰れたジムを居抜きで借り、トラブルシューティングの事務所を構えている。その名は「MST」。モンスターシューターの略だ。
Profile著者紹介
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『#刑事の娘は何してる?』『血』『少年は死になさい…美しく』『ホームズ四世』『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『動物警察24時』『虹の橋からきた犬』など多数。映像化された作品も多い。
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