著者メッセージ

~はじめに~より

 近年、改めて知的生産に対する関心が高まっているようです。それはそれでよいのですが、知ること(知識)と考えること(思考)を混同している人が多いという気がします。
 知的生産というのは、あくまで「知識」の段階であって、「思考」は知識の段階にはない。そう説明しても、なかなか理解してもらえません。それで、わたくしの『思考の整理学』(ちくま文庫)も、梅棹忠夫氏が書かれた『知的生産の技術』(岩波新書)と同じ系列だと思われている節があり、著者としては、すくなからず困惑しました。

 この本が長く売れ続けているのはなぜなのか、その理由を考えます。
  一般に本を読まないといわれている層、二十代から三十代ぐらいの若い人たちの中で、この本が思考についてまともに考えていることが口コミで伝わっていき、「あれはおもしろい」というので売れたのだという見方があります。だとすれば、彼らがなぜ、思考というものに関心をよせるようになったのか。そんな疑問が生まれてきます。

 いうまでもなく、若い人たちはコンピューターになれ親しんでいます。たしかにインターネットは便利かもしれません。しかしどこか人間的なものではないと、うすうす感じ始めている人たちがすくなからずいて、その人たちが、このままだと人間はロボットみたいになってしまうのではないか、キカイにできないことが人間にはできるはずだ、といった一種の危機感をもち、いろいろなものを模索する中で、思考、つまり「考えること」の重要性を意識するようになったのではないかと思われます。

 いまの若い人たちは、小学校以来ずっと学校教育を受けてきたわけですが、多くの場合、それは記憶の訓練です。学校教育では、学習者のもっている知識、つまり記憶力によって勝負がきまると言えます。
 近代教育の中で、読み書きそろばんをやれば人間は社会にとって有用なはたらきができるという文化が形成されました。その限りでは、従来の学校教育は充分役に立つ人間を育ててきました。ところが、コンピューターが登場し、急速に普及するようになって、人間でなくとも情報処理ができ、人間以上に優秀な能力をもっていることが、だれの目にも明らかになりました。
 当然、いままでの記憶、知識中心の人間観は見直しを迫られることになりました。そこで、人間がものを考えることの重要性が、改めて人々の意識にのぼるようになります。『思考の整理学』が多くの読者を獲得するようになった背景には、そういうこともあるのではないかと考えます。

 記憶力にすぐれ、知識が豊富な人はとかく思考力が乏しい。逆に、思考力があっておもしろい考え方をする人はしばしば不勉強である。どうも知識と思考は反比例するという関係があるようです。こうしたことは、わたくしだけの思い込みかもしれませんが、長年の教師生活の経験から導き出されたものです。

 知識というのは思考力の代用をします。知識がたくさんあれば、いちいち考えるまでもありません。したがって、知識がふえるにつれて、思考力は減退していく傾向があります。
 思考力がもっとも旺盛なのは新生児でしょう。初期の段階は知識がゼロに近い状態だから、あらゆるものを考え、感じ、判断していくのに忙しくて、記憶力がはたらく余地がないほどに、思考力と感性、そのほか嗅覚などを含めた五感が非常に発達しています。それが、知識を得て、記憶力がはたらくようになると、しだいに五感は衰えます。そういう状態で、学校に入り、文字を覚えるようになると、急速に記憶力も低下します。

 国史・国文学の一大叢書『群書類従』を編纂したことで知られる塙保己一のように、目が不自由な人はおどろくほど記憶力を発達させていることがあります。ところが、文字を読める人は簡単に忘れてしまう。文字を覚えると記憶力はかなり衰えますから、それを衰えさせてはいけないと、いっしょうけんめい知識の量を増やしていくというのがいままでの教育だと思います。

 それが、ここにきて、そうではないかもしれないという空気が生まれてきた。これは若い人の勘みたいなものでしょう。知識で頭がいっぱいになった人は感受性が弱まっているとすれば、まだ知識のすくない人から、まずそうした変化を敏感に感じとることができるのだと思います。

 いまの若い人たちは、本当のおもしろさというものを渇望しているのではないでしょうか。テレビはおもしろくない、プロ野球もたいしておもしろくない、サッカーはひところ騒がれたほどにはおもしろくない、旅行をしてみたってつまらないし、ゲームも漫画も......というふうに、既存のものは彼らを満足させてくれない。ちょうど政治における無党派層と同じように、退屈してふてくされています。それが何かのきっかけで、知識とは違うこと、「考えること」が意外におもしろいらしいと意識するようになったのではないかと思います。

 わたくしが『思考の整理学』で言いたかったのも、考えること自体がたいへんおもしろいのだということでした。

 本書では、「考えること」を日々の生活の中でどう生かせばいいのか、わたくし自身の経験をふまえて紹介してみました。本書に収められた十五章は、それぞれが独立していて、どこからでもお読みいただけるようになっています。すこしでも、おもしろい人生発見のための参考になれば幸いです。

著者プロフィール

英文学者、エッセイスト。1923年、愛知県生まれ。東京文理科大学英文科卒業。雑誌『英語青年』編集長、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授などを歴任。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。専攻の英文学にとどまらず、レトリック、テクスト、日本語、エディターシップ、教育、古典など、多岐にわたって独創的な著作活動を続けている。

自分の頭で考える 外山滋比古
初版発行日
2009/11/25
判型
四六判
ページ数
208ページ
定価
1400円(税別)
ISBNコード
ISBN978-4-12-004030-6
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目次

忘却は「力」である
頭と体の活性化
談論風の楽しみ
人間関係について
手紙のたしなみ
スポーツと頭脳
不熱心な読者の告白
なぜ外国語か
古典の誕生
エスカレーター人生
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