押井守監督アニメ化の傑作シリーズ
森博嗣

新装版「スカイ・クロラ」 シリーズ刊行中!

最終作まで思いどおりに展開できた作品で、これ以上のものを書くのは、今後は難しいかもしれません――著者インタビューより
SCROLL

装幀:鶴田謙二/鈴木成一デザイン室 ロングインタビュー(聞き手:清涼院流水)全巻収録

装幀:鶴田謙二/鈴木成一デザイン室 ロングインタビュー(聞き手:清涼院流水)全巻収録

著者・森博嗣さんが直接お答えします。

今回の新装版の各巻末付録の著者インタビュー。
装幀、巻数、映像化などなど、清涼院流水さんによって聞き出されたエピソードに驚かれた方も多いのでは。
そして、さらに、訊きたいことがあるというあなたへ。
読者からの質問コーナーを設けます!
質問の募集と回答の機会は2023年4月までの間に全4回ございます。
いただいた質問と森博嗣さんからの回答をこのサイトで公開いたします。

森博嗣先生にとって、小説という媒体固有の面白さ・体験とはどういう点にあると思いますか? 「スカイ・クロラ」のように小説がアニメ化や映画化されることは多々ありますが、小説の体験と比較して損なわれるものは何だと思いますか? (HN:ハイネさん)

現在は小説を読まないので、面白さを忘れてしまいましたが、作品によってさまざまで、違うように感じます。メディアが変わって失われるものもあれば、逆に得られるものも当然あります(だから作られるのですが)。これが失われると、決まったものはないように思います。

小説でしか表現できない事ってありますか? (HN:航さん)

わかりません。あるかもしれないし、ほかのメディアでもできるかもしれないからです。

英訳版の出来栄えが素晴らしいと思いました。
森先生の英訳版の感想がお聞きしたいです。 (HN:天崎さん)

非常に忠実な訳で、日本語で小説を書くことができる訳者だからこそのものだと思います。

以前、森さんは、「映像を書き留めて執筆する」とご回答されていました。
私も、読書の時には映像が展開されるのですが、「時間」のイメージがうまく展開されず、事象の前後関係があやふやになります。
森さんは、執筆または読書のときに、どのような「時間」のイメージをお持ちでしょうか。 (HN:アポカリプスさん)

時間はイメージできません。物語を原因と結果として連動させないかぎり、時間は表面化しません。えてして、見失うことがあります。

本シリーズは現実性と独自性とが、高次元に昇華された作品と感じます。
本シリーズの世界観でも現実の世界でも、個としての人には独自の可能性を見出せます。
ですが、その集合たる人間社会は、生命を無意味に搾取する茶番に思えてなりません。
そのような考えを改めるには、どうすれば良いでしょうか? (HN:ルナさん)

難しいし、ほぼ無理なのではないでしょうか。人間の大部分に、その能力がないと思われるからです。

「スカイ・クロラ」に出てくる人たちは、堂々としていて、人からどう見られるかを気にしていないのが素敵でカッコいいです。
彼らはどうして人の評価を気にせず生きられるんだと思いますか? (HN:サンさん)

というよりも、どうして人の評価を気にしないと生きられないのでしょうか? そちらの方が不思議です。

作中に出てきたマヌーバの数々の中で、森先生がRCで試したことのある種類はどれくらいありますか? (HN:U.B.さん)

実機に可能なもので、ラジコン飛行機でできないものはありません。模型は失敗しても良いので比較的簡単にすべてを経験できます。

人の強さとは何かについてずっと考えています。フィジカル的には別として、この頃はメンタルに強さ、弱さはない気がしています。ベクトルの問題に過ぎないのではないでしょうか。 (HN:トウマ@ライブさん)

気がするだけでは不足で、原因をしっかりと考えましょう。いずれも個々に原因が存在します。

作中では、普通の人間が自分とは違う「キルドレ」が殺し合うことを容認していますが、やはり、戦争は生身の人間的なものが殺し合う必要があるのでしょうか。この先、技術の進歩によって、ヴァーチャル空間など生死を伴わない戦いが国家間の戦争として機能する日が来ると思いますか? (HN:ヒヨさん)

人間の命に価値があるという認識がしばらくは持続することでしょう。価値があるものを奪う行為が戦争です。

フーコとの会話で「飛び出したいから、好きになった? 寂しいから、好きになった?」が素敵でした。人を好きになるときの順番を考えたことがありませんでした。1人でも、誰かと一緒でも「寂しい」はずっとあるものでしょうか? (HN:亜衣さん)

わかりません。人それぞれで、また、寂しいという感覚も、同一ではないようです。

ある映画がもとになっている、とのことですが、その映画は明確な筋道、唯一解がないように思われます。その点でも参考になさったのでしょうか? (HN:めろんさん)

その類の創作は数多くあり、個別のものを参考にするということはありません。単なる雰囲気だけの話です。

実機を設計するならエンジンは何にしますか、または組み込みたいものはありますか。 (HN:ジャイロさん)

それは、機体に合ったものです。また、機能を実現できるものです。

『クレイドゥ・ザ・スカイ』の「僕」は冒頭でフーコに連絡を取りますが、娼館の電話をなぜ記憶していたのでしょう?
他の登場人物のように普段から利用していたということは無いと思いますが。
最初から科学者の彼女に連絡しなかったのはなぜでしょうか? (HN:左部貴光さん)

さあ、どうしてでしょう? 電話を記憶していたし、フーコに連絡したかった、ということでしょう。

ササクラはメカニックとして天才・秀才・鬼才・奇才・凡才どれに当てはまりますか? (HN:ほんさん)

考えたこともありません。案外、ごく普通なのでは。

スカイ・クロラシリーズの登場人物が話の中でタイムリープしていたりしますか?
森先生はタイムリープを信じますか? (HN:白と黒さん)

タイムリープが、具体的にどんなものか知りません。

このような美しい作品を、40代で書かれたことに驚きました。と同時に、社会の醜さや不条理さを実感し、多くの人は「美しさ」を知らない、気づいていないのでは、と思いました。気づいているなら、これほど残酷な世界であるはずがないからです。
森先生は、純粋で自由な感性を失わないために、留意されてきたことはありますか? (HN:MMMさん)

ありません。感性というものは、簡単に消えたり、失われるものではないと思います。もし、消えたとしたら、もともとなかったのだと考えられます。

キルドレは現実には存在しませんが、今、アンチエイジング研究が盛んです。肌や内臓など老化して良い事は何もないので、抗老化、若返り、は魅力的で急速に研究が進むことを望みます。森先生は、老化を恐れていらっしゃいますか? また、今後20年くらいで老化を遅らせることは可能になるのでしょうか。 (HN:kupoさん)

老化を恐れている人がいるとしたら、少し頭がおかしいように感じます。時間を恐れることと同じだからです。老化のメカニズムは、いずれ解明されることでしょう。何年後かはわかりませんが。

「スカイ・クロラ」シリーズ一連の世界を構築する際、発想の「起点」となった場面(状況)はありますか? あるならば、どのような場面だったのでしょうか? (HN:山尚さん)

タイトルを決めたあと、最初に、周囲の地形を考えます。それが起点です。山脈がどの方向にあるか、川はどれくらいの幅で、どちらへ流れているか、などです。次に、街や道路、個々の建物を考えます。その次くらいが人間、つまりキャラクタです。

「スカイ・クロラ」もそうですが、森先生の作品は日本人の一般的な思考、大衆的な内容とは違い、どことなく海外小説に近い雰囲気を感じます。村上春樹さんの作品にも同じようなものを以前から感じるのですが、森先生は村上春樹さんについてどのように思われますか? (HN:ケントさん)

名前は存じ上げていますが、作品を読んだことはありません。

現実は思考の中にありますか? (HN:zeroさん)

質問の意味がわかりません。現実は、観測されますが、思考は自分以外は観測できません。そう考えても良いし、そうでないと考えても良いでしょう。

飛行機乗りとしての仕事であれば、ティーチャが自分の子供を(殺す気で)撃てると思われますか? (HN:ゆたさん)

さあ、それはティーチャにきいてみないとわかりませんね。

時間についての質問です。作中、登場人物が時間や期間(○年前、いつ頃など)について話すシーンがありますが、それは皆客観的な事実を述べていますか? (HN:CATⅢさん)

客観的な事実を述べていると思っていても、間違いや誤解はあるでしょう。また、わざと間違える場合もあります。

永遠に歳をとらない(ように内外に認識される)キルドレが、昨今の日本のアニメやソーシャルゲームにおける、一定の年齢から成長しない所謂サザエさん時空のキャラクタと、更に翻ってそうしたキャラを求める消費者を想起させます。こうしたメタ・フィクション的観点から物語を構想することがありますか? (HN:ゴトウダさん)

ありません。この物語では、歳を取らないことが真実として語られていません。そう信じている人は登場しますが。

わたしは、サガラ・アオイさんが好きです。
短編集では取り上げられていなくて、残念に思えました。
今後、この『スカイ・イクリプス』の更に続編を書かれる予定はありませんか?
研究者としてのサガラ・アオイさんの物語が読みたいです。 (HN:ネムさん)

残念ながら、執筆予定はありません。

キャラクターデザインは、鶴田謙二さんのものと西尾鉄也さんのもので印象が違いますが、森博嗣さんのイメージではどちらが近いですか? どちらも近くないですか? (HN:鮎蜜さん)

どちらとも違いますが、どちらかといえば、鶴田さんの方です。ただ、近いから良いというわけではありません。

地上では、意識は肉体から切り離されたがっているのに、空の上では境界があいまいになる感覚になります。
文章を書くときは景色がクリアなのか、それとも靄の中を進む感覚なのでしょうか。 (HN:深水鳥さん)

それは書いている文章、つまりシーンによります。

こんばんは。質問です。
作中のとある人物が事あるごとに「全然悪くない」と言うので、私も真似していたら、口癖になってしまいました。
森さんには口癖などありますか。 (HN:ステアリングさん)

特に意識していません。「悪くない」は、「良い」と「良くも悪くもない」を合わせた意味です。

作中で空戦に勝ち続けるパイロット達は、何が優れていると思われますか? (HN:とれっくさん)

それは一概にいえませんが、視力と想像力だと思います。

シリーズの通奏低音として、「大人になること」と「子供のままでいること」の二項対立が描かれていると感じました。そして単に後者を肯定するわけでもないところに、シリーズ全体の透徹した深さがあると思います。
「大人になる」でも「子供でいる」でもない、第三の(最も美しくも自由な)生き方があるとお考えでしょうか? それはいったい、どのようなものだとお考えになっていますか?
そういった生き方が作品内で表れているシーンはあるでしょうか? (HN:二影幽さん)

そういった考えはありません。ただ、自分に合った生き方を求めるだけです。自分の考え方が作品に表れるようなことは滅多にありません。

森先生のシリーズ化している長編作品群の中では、登場人物表が無いというところが、「スカイ・クロラ」シリーズの(大変細やかな)特徴だと言えるのではないか、と思いました。
それは「スカイ・クロラ」シリーズが、ある意味で「登場人物」の「人物」とは何なのか? と問う、アンチ小説的な作品群だからでしょうか?
それとも何か、「登場人物表をつけない」という判断に至った他の理由がありましたか? (HN:皐月偽さん)

登場人物表の必要がなかっただけです。そういった作品はほかにもあります。必要ならばつけます。

「スカイ・クロラ」や「すべてがFになる」はゲーム化もされていますが、ご自身でもプレイされましたか? また、面白いと思ったゲームは何かありますか? (HN:エビマヨさん)

いずれも、少しだけ(最初の1時間くらい)プレィしました。ゲームをしたのは30年以上まえのことで、最近はしません。

空を飛ぶ夢を見ますか? (HN:彩さん)

子供のときは見ましたが、大人になって見ないようになりました。

「スカイ・クロラ」シリーズでは、色恋の予感など全くさせていなかった男女が、あるとき急に一線を越えて交わるシーンがあります。これには当時高校生であった私の価値観と性癖が見事に破壊されました。このような恋愛のあり方は、森先生の実体験に基づくものなのでしょうか。 (HN:Rannyさん)

どこにそういうシーンがあったのか、すぐに思い浮かべられませんでした。本人たちは予感を持っていたかもしれません。ただ、それらは文字にできない心境であり、読者にも文章として伝えられない、あるいは伝える必要がない、という状況かもしれません。小説というのは、実体験に基づく記述ではありません。戦闘機に乗ったことも、人を殺したこともありませんが、そういう人物を描くことはできます。

「ヴォイド・シェイパ」シリーズでもそうでしたが、戦闘シーンになると極端に言葉が減って詩のようになる演出が凄いなと思いました。何かこだわりとかあるのでしょうか? (HN:航さん)

こだわりはありません。わかりやすいように、誤解がないように、自然に、素直に書いているだけです。短時間で発生する事象を表現するとき、長文で細かい描写を入れると不自然さがつきまといます。短時間でそのような多くの観察や発想ができないからです。ただ、語り手の感覚によっても描写は異なります。映画のようにカメラが捉えたものではなく、語り手の目が捉えたものが、表現の対象だからです。

クサナギが受けた老化する治療は、誰でも受けることが可能なものですか? カンナミは、飛べなくてもキルドレでい続けることを自分で選んでいるということでしょうか? (HN:ゆたさん)

誰でも受けられるかどうか、受ければ必ず効果があるのかは、物語の中では説明されていません。語り手たちが、どのように考えて、どんな判断をしたのか、そしてどう行動したのかも、すべてが語られるわけではありません。キルドレというものが存在するのかどうかも、物語の真実として語られていません。

情報部のカイ(甲斐)は『χの悲劇』や、その登場人物・カイと関係がありますか? あるいは名付けるときに連想したようなことはありましたでしょうか。 (HN:ヒヨさん)

ほかにも、同じ名前の人が日本や世界に沢山いると思いますが、なにか関係があると考えますか? 名前を付けるときに、連想することは特にありません(そもそも固有名詞を覚えていないので)。小説を書くときは、名前を決めずに描き始め、あるときにすべてを置換して決定しています。

以前ご回答された中に「映像を書き留める」とありました。「スカイ・クロラ」シリーズの映像は今でも見られますか? 一度見たものを思い出すだけですか? 常に新しい映像が見えますか? (HN:柾さん)

小説を執筆しているとき以外でも見るか、というご質問であれば、いいえ見ません。思い出すこともありません。しかし、ゲラを読み直す仕事があれば、そのときには映像を見ます。一度見たものを思い出せば、だいたい同じ映像ですが、かつて見なかった部分へ視線を向けることはあります。映像といっても、見る範囲、焦点などがあって、初めから一通りに決まっているわけではありません。

戦争は平和の為の手段なのでしょうか? (HN:テトラさん)

戦争をする国や指導者は、必ず平和を理由として掲げます。戦っている人たちも平和を目指しています。ただ、平和を得るための手段は戦うこと以外にも存在します。それらの手段がすべて尽きたときに戦争になるようです。おそらくは、手段が尽きたと勘違いするからだとも思います。

このシリーズの神髄は「ただ空を飛ぶ美しさ」や「自由を掴み取るための戦い」だと感じたのですが、詩性や耽美性を損なうであろうミステリィ要素を織り交ぜられたのは、何故でしょうか。私は、主人公が誰なのかも気にならないのですが(個人名さえなくても良い)、感じるよりも考えたい、という読者の方が多いのでしょうか。 (HN:ashさん)

ミステリィ要素を入れることが、文学性を失うものだという指向は、幾分古い固定観念かと思います。江戸川乱歩の時代は確かにそうだったでしょう。詩でも耽美でも同じことで、範囲を既成のものに限らない自由さと新しさがなければ、衰退することになります。小説には、いろいろな要素があり、いろいろな方向性を包含できる容量を本来持っています。だから、いろいろな方向性の読者を、詩よりも得ることができたのではないでしょうか。

森さんは空に憧れを抱いていますか?? (HN:朝日さん)

いいえ。空というのは、何のことでしょうか? 宇宙ですか? それとも、地面から離れること? あるいは高い所ですか? たとえば、三角定規に憧れますか? 枯枝に憧れますか? 憧れる対象というのは、未来の自分だと思います。つまり、何がしたいのか、ではないでしょうか。

ただ純粋に「スカイ・クロラ」シリーズの雰囲気が好きで、その世界に入り込み、まるで映画を観る様に読むのが幸せな時間でした。最近、ネット上に解釈、解説が溢れているのを知り、突き詰めた考察が、自分が思っていたことと違うのです。読解力がない、ということなのでしょうか。少しショックです。 (HN:kupoさん)

読解力というものがある、と信じていらっしゃるようです。それはどんな能力でしょうか? 作家は、自分が想うものを物語として文章にしますが、それを正しく読むことは、コンピュータでも可能です。人間にできるのは、その行為によって感じるものであり、それは各自が、それぞれ独自に思い描くものだと思います。したがって、人と違った読み方をする方が、読解力があるといえるかもしれません。

私は、万人受けする小説が苦手です。森先生の作品は美しく純粋で、心の深い部分まで入ってきますが、全く不快ではなく、読了後は全身洗われた様な、知的な温かい感動に包まれます。森先生ご本人が心の綺麗な方だからだと思うのですが、実は読者の感想は計算済みで、意図して書かれているのでしょうか? (HN:フーマさん)

小説は、いろいろな要素を持っています。どの要素も、作家はある意味、計算して書いています。しかし、それが計算できるかどうかは、その作家の感性に起因しているはずです。感じられないものは書けません。思いもよらない雰囲気にはなりません。意図しても、意図しなくても、自然に滲み出るものが必ずあり、読者にはそれが伝わるようです。

『ダウン・ツ・ヘヴン』でティーチャは、草薙と戦うことは望んでいないと話していますが、それならばなぜ、会社を辞めたあと、戦う可能性のある敵の会社に入ったのか不思議です。もしも先生がティーチャの立場でしたら、やはり同じような選択をされますか? (HN:ネムさん)

それは、ティーチャに語ってもらわないとわからないことでしょう。他人の判断や行動が不思議に思えることはありませんか? そういうものばかりではないでしょうか? しかし、人それぞれ、その環境において、判断を下し、行動をしているだけです。語られていない事象はない、ということは、現実にも小説にもありえないのです。

単行本の表紙で、一番好きな色は何ですか。 (HN:バイソンさん)

一番好きと決めたものはありません。それに、気分によって変わるものでは? 同じ色でも、光や照明で異なって見えます。

『クレィドゥ・ザ・スカイ』の巻末インタビューで新聞社や病院のアルファベットは実際の組織には無関係だとありました。
では「YとAにしよう」「NとBとAの並びでいこう」というのはどうやって決めているのでしょうか。
人物の名前のように口に出したときの音の響きでしょうか。 (HN:サブタカミツさん)

この場合、アルファベットは頭文字かもしれません。ある名前を思いつき、その頭文字を書いたのかもしれません。名前を決めるときは、大変多くの条件を勘案します。けっこう長い時間をかけています。このように決めます、という方法があるわけではありません。

『ナ・バ・テア』の巻末インタビューでパイロットの死についての質問に「主要な人物については最初から決まっていますが、それ以外のキャラクタは、その場の流れですね。」と答えてらっしゃいますが、読者が主要か否かを見抜くことは可能ですか。 (HN:NNさん)

全体を読み終えたあとには可能だと思いますが、読んでいる最中には難しいかもしれません。ところで、それを見抜くことにどのような意味があるとお考えでしょうか?

鶴田謙二さんの絵もすごくいいと思うのですが、「スカイ・クロラ」が漫画化されるとしたら、森博嗣さんのイメージに近い絵を描かれる漫画家は誰になりますか。 (HN:エビマヨさん)

鶴田謙二氏の絵は、こちらから強くお願いをして描いてもらいました。当然、この作品に合っている、と考えたからですし、この作品にかかわらず、好きな作家の一人です。

シリーズ内で、主人公たちがバーに行くシーンが何回かありましたが、これらのバーは同じ店ですか? (HN:つばめさん)

同じではありません。つまり、同じ場合も違う場合もあります。本人たちの意識では同じかもしれません。

女性どうしの友情や恋愛を扱った作品に関心はおありですか? (HN:わたるさん)

女性どうしに限らず、友情や恋愛を扱った作品に特に関心はありません。関心のあるものを小説にしている、というわけではありません。

森さんの小説の大半は引用文があります。Wシリーズの引用文の書籍は読んだことがないとのことですが、「スカイクロラ」シリーズの引用文の書籍は読んだことがありますか? また、引用する文章を決めるのは森さん自身か、編集者が決められるのかどちらでしょうか? (HN:Tonveriさん)

引用は自分で決めて、そのつど新たに本を購入して、引用箇所を探します。探すだけで、多くの場合、通しては読みません。ページを開いて、文字列を映像的に捉え、引用できそうな箇所を探すだけです。

引用文に関しては新装版各巻の巻末インタビュー、とくに『ダウン・ツ・ヘヴン』のもので詳しく語られています。ご参照ください。(編集部より)

「スカイ・クロラ」シリーズの執筆方法について。以前「映像を文章に書き留めるだけ」というような話をされていましたが、映像の最後まで書き留めた後で構成を入れ替えたり内容を変更することはあったのでしょうか? (HN:ツバキさん)

ありません。映像を書き留めたら、あとは文章が文法的に成立するかを確かめるだけです。

作中では同一呼称の人物は同一人物と考えても良いのでしょうか。『ナ・バ・テア』から『スカイ・クロラ』の間にそれなりの日数が経過していると思われ、例えばササクラと呼称される人物の世代交代は生じているのでしょうか。 (HN:ぬべーさん)

普通の社会と同じで、同一呼称であれば同一人物ということは、現実にないのでは? ただ、確率的に同一人物である可能性が高いとはいえます。

戦闘機から発想された物語ですか? (HN:がんばれめぐみちゃんさん)

いいえ。戦闘機から発想できますか?

細かい部分も疑問符だらけですが、そもそもの物語の背景?も不思議です。
草薙の所属する会社も、相手側の会社も、どのような状況で利益を得る事ができるのでしょうか?そしてそれは、どこから支払われているのでしょうか?
野暮な質問で申し訳ありません! (HN:ネムさん)

いろいろな想像ができると思います。現実に戦争をしている人たちは、誰が費用を負担しているのでしょうか? もし国が払っているのなら、その国に金を払っているのは誰ですか? 国以外にも、支払っている組織があるはずです。利益になるものには投資をする、というのが経済活動です。

『フラッタ・リンツ・ライフ』で「嬉しいことで、悲しいことって、消せないんだよね」とありました。確かに、一時的に忘れますが、後で余計虚しさが増すような気がします。森先生は、悲しいことを消せるものは何だと思われますか? (HN:kupoさん)

その悲しさを解決することです。それ以外の行為は、必ずベクトルがずれています。

実機を操縦したい、という願望をお持ちになったことはありますか? (HN:音羽百閒さん)

ありません。それよりは、実機を設計したいと思います。

主役の2人の名前、草薙と函南が両方とも静岡県の地名なのは意味がありますか? (HN:じゃこ天さん)

ありません。

ティーチャが乗る飛行機の黒豹のマーキングの描写を読むときにC★NOVELSの背表紙の黒猫のマークを思い浮かべてしまうのですが、こちらのマークを意識されたりはしたのでしょうか(映画のように黒豹の横顔が正解でしょうか)。 (HN:でるたさん)

していません。Marchalの猫は思い浮かべました。

他のキルドレや登場人物と比較して特異な天才であるように描かれるクサナギスイトは、一つの作品世界において特異な天才として描かれる真賀田四季と同様に子供を産み、切り離すという経験を持っています。このような要素を、天才であるキャラクタに対する共通したイメージとしてお持ちなのでしょうか。 (HN:S・Hさん)

いいえ。女性であれば、出産を経験する人は一般に少なくありません。

森博嗣先生はこだわりの少ない方だと存じ上げておりますが、「スカイ・クロラ」シリーズを執筆された上でルールなどはありましたか。 (HN:秋吉柊汰さん)

特にありません。自由に書きました。日本語で書く、というルールは存在しますが。

念能力の名前に「スカイ・クロラ」を使わせて欲しいと言われたら許可しますか? (HN:エビマヨさん)

念能力って何ですか? 念能力で返答を知ることはできませんか?

会話文と地の文で名前の表記をカタカナ・漢字と使い分けているのは変わった手法だと感じますが、どのような効果を狙ったものでしょうか。
また『スカイ・クロラ』(新装版・Kindle版)でこのルールから外れている箇所がいくつかありますが、何か意図がありますか。
単なる誤植でしょうか。 (HN:サブタカミツさん)

地の文であれば語り手、台詞であれば話し手のその時点での認識。

Wシリーズのハギリが『スカイ・クロラ』のカンナミに会ったら、ウォーカロンと思うでしょうか、それとも人間と思うでしょうか。 (HN:ヒヨさん)

人間だと判定すると思いますが、どの時点での函南かによるかもしれませんし、どの時点でのハギリかも影響するでしょう。

「スカイ・クロラ」シリーズを書かれた頃からWWシリーズを書かれている現在までに、生まれて死ぬという流れや老いていくことに対する意識の変化はおありでしたか? (HN:つまりぎみのホースさん)

特にありません。あっても、小説の創作には影響しないと思います。

当シリーズの新装版刊行が、ロシアによるウクライナ侵攻の時期とちょうど重なりました。日本においては、あらためて戦争がリアリティを持ってとらえられるようになったと思います。このような状況について、このシリーズの著者として感じられたことはありましたか? (HN:Yさん)

ありません。いつの時代にも、戦争は世界のどこかでありました。

英訳版『スカイ・クロラ』は現在形でその他は過去形で訳されてるのは何故ですか? (HN:ジジさん)

意味は特にないと思います。

最も森博嗣先生の本質に近いシリーズとのことですが、森博嗣先生の本質とはなんでしょうか。 (HN:わたるさん)

この作品で感じられたものです。

「スカイ・クロラ」シリーズはWシリーズよりも未来のお話ですか? (HN:エビマヨさん)

未来であればプロペラを回していないはず。

「スカイ・クロラ」シリーズとコーヒーが大好きでいつか「散香」というブレンドコーヒーを作りたいと思ってます。
質問ですが、イクリプスでクサナギがフーコの借金を立て替えたという噂がありました。
クレイドゥではほぼカンナミ状態のクサナギがフーコの世話になっていたので、最終的にクサナギはもとの人格を取り戻したんでしょうか? (HN:しゅう坊さん)

質問の意味が不理解です。「もとの人格」とは? 「取り戻す」とは?

『スカイ・クロラ』の構想にかかった時間はどれくらいでしょうか? また、きっかけとなるひらめきやアイデアがあったのか教えてください。 (HN:tsutayaさん)

構想に時間をかけたことはありません。執筆しながら構想します。ひらめきもアイデアも執筆中に思い浮かびます。

フーコとクサナギについて、二人は家族でも恋人でも友人でも客と商品でもない、不思議な繋がりで結ばれているように思えます。この二人の関わり方、関係性において何か意図や作製時のエピソードがあればこの機会にお伺いしたいです。 (HN:椎名さん)

これといってなにもありません。

草薙水素は自身のことを「僕」と言いますが、これは旧時代的な女性として扱われることを嫌ったためですか? それとも何か他に理由があるのでしょうか。 (HN:rinさん)

特に意味はなく、単にそのキャラがしたいようにしているのかと。

この物語の「主人公」は、どなたでしょうか? (HN:tanaさん)

主人公とは、読者が感じるものでは?

ブーメラン、クリスマスといったコードネームが印象的です。これは個人につけられるのですか? それともポジション・役職名のように、人員の交代で名前も引き継いだり、異動によって変わったりするのでしょうか? (HN:ハセクラフユコさん)

たぶん、個人だと思います。変更可能でしょう。

この作品の執筆にあたり、戦闘機についてはどのくらい資料をもとにされ、どのくらいを頭の中で想像されたのでしょうか? (HN:あきたろうさん)

資料を参考にしたことはありません。どれくらいという問いに、これくらいだと答えられるものですか?

主人公たちが乗る飛行機はみなプッシャ式で、ティーチャや敵役の飛行機はトラクタ式が多いように感じたのですが、このことには何か演出上の意図やキャラクター性との関わりはあるのでしょうか。 (HN:まひろさん)

トラクタは古くから多数が存在していますし、プッシャは新しく少数です。それだけの意味です。

スカイ・クロラの世界では、プッシャー形式のレシプロ戦闘機がメインですが、これは世界観を特徴化させるためなのでしょうか? それとも、先生ご自身がトラクター形式より好きだからなのでしょうか?
よろしくお願いいたします。 (HN:フ ラ ンさん)

物語の設定です。「世界観を特徴化させる」という意味が不理解ですが、同じ意味かもしれません。自分の好みとは無関係です。

草薙水素が希死念慮を抱くようになった一番の要因はなんですか? 飛行機に乗れなくなったからですか? (HN:skさん)

わかりません。考えたこともありません。

野暮な質問であることを承知でお聞きします。『クレィドゥ・ザ・スカイ』に登場する「僕」は草薙水素でしょうか? (HN:ほへとさん)

読んでご自身が理解されたものが答です。

登場人物たちの名前は漢字も使われている日本を思わせるものですが、食事シーンで出てくるものが日本食ではなく洋風の食文化であることに、何か理由はありますか。 (HN:香さん)

特に意味があるとは思いません。普通のことでは?

以前読んだ時は気づかなかったのですが、今回『ナ・バ・テア』と『ダウン・ツ・ヘヴン』を続けて読むと、後者の語りのほうがどこか体力があるような健やかな印象を受けました。それはやはり両作で意識的に文体を書き分けられたのでしょうか? (HN:atさん)

文体というものをよく理解していません。語り手の変化が文章に表れるだけかと。

この作品を執筆中、日常生活では何か変化はありましたか?
例えば、車に乗っていても、ハンドルが操縦桿に思えてしまう、とか、夜のドライブで、助手席に草薙さんが座っているような気がする、とか。 (HN:ネムさん)

特に変化はありませんでした。

文庫化されたり、新装版が出る際などにご自身の作品を読み返される機会もあるかと思います。その際は一読者として読まれることもあるのですか? もしくは編集者のような視点でトレンドを取り入れた方が良いかや、校閲者の視点で他の作品とのつながりにおいて齟齬がないかや、著者として元々ここは直したかった箇所があったなど、どういった視点で再読されることが多いのか教えていただけると嬉しいです。 (HN:土偶さん)

執筆中に、読者、編集者、校閲者として既に読んでいます。ゲラの段階では、誤字や文法ミスを探すだけです。

スカイ・クロラ

大人になれない僕たちは、戦闘機に乗り戦うことしかできないのだ――永遠の子供「キルドレ」が請け負う戦争。生死の意味を問う傑作シリーズ。〈解説〉鶴田謙二

詳細はこちら

ナ・バ・テア

伝説の撃墜王は戦闘機乗りには珍しい大人の男。彼とともに出撃する喜びを覚えるキルドレのクサナギは......クサナギ・スイトの物語序章。〈解説〉吉本ばなな

詳細はこちら

ダウン・ツ・ヘヴン

女性でキルドレのエースパイロットという話題性から広報に使われ、鬱屈した日々を送るクサナギ。ショー化した戦争を生きる子供たちの物語〈解説〉室屋義秀

詳細はこちら

フラッタ・リンツ・ライフ

戦闘機乗りのクリタは地上の澱んだ空気にうんざりしている。だが上司のクサナギの幼馴染みの研究者と出会ったことから――物語急展開!〈解説〉荻原規子

詳細はこちら

クレィドゥ・ザ・スカイ

空から墜ちた「僕」は「彼女」の車で逃亡する。空に戻ることを渇望しながら、その日は来ないと予感して......。翼を失ったキルドレの物語。〈解説〉押井守

詳細はこちら

スカイ・イクリプス

空には言葉がない。言葉は地上のためのものだから――子供たちの飛ぶ空を見上げ、地上で暮らす大人たちの物語。シリーズ唯一の短編集。〈解説〉杉江松恋

詳細はこちら

刊行予定

  • スカイ・クロラThe Sky Crawlers
    2022年5月24日刊行
  • ナ・バ・テアNone But Air
    2022年7月21日刊行
  • ダウン・ツ・ヘヴンDown to Heaven
    2022年9月21日刊行
  • フラッタ・リンツ・ライフFlutter into Life
    2022年11月22日刊行
  • クレィドゥ・ザ・スカイCradle the Sky
    2023年1月20日刊行
  • スカイ・イクリプスSky Eclipse
    2023年3月23日刊行