2019 04/05
日本ノンフィクション史 作品篇

第12回 ノンフィクションとジェンダー④――家田荘子『私を抱いてそしてキスして』と井田真木子『プロレス少女伝説』

■「女性枠」を設けてみたものの……

 その後、女性のノンフィクションはどのような軌跡をたどってゆくのか。

 日本のノンフィクション史上、興味深い存在が、雑誌『non-no』創刊10周年記念と銘打って集英社が1981年から始めたノンノ・ノンフィクション賞だ。女性の書き手のみに限定して作品を募ったところ、主催者側発表によれば741編もの作品の応募があり、そのなかから坂東眞砂子『イタリア女の探しもの』、和田麗子『ジョナサンになったマリー』、神尾博子『幼き我が師へ』、加藤景子『もしも、そうでなかったら』、秋川理恵『さめない夢』の5編が佳作入選作(最優秀作なし)となっている。年齢層は『non-no』読者層を意識したのか、最年長の和田でも30歳、最年少の秋川は19歳だった。

 アマチュアの登竜門的な位置づけだったのか、入選者にすでに定評を得ていた物書きはおらず、その後、書き手となってゆくのも坂東眞砂子だけだった。坂東の応募作はイタリア留学中の体験記で、桐島洋子と似た傾向のものであったようだが、誌上では入選作が掲載されていないし、坂東自身も自分の著作に収めていない(1986年にあかね書房より刊行された『ミラノの風とシニョリーナ』が同じ留学中の時期を描いたエッセーだが、両作の関係はわからない)ので読むことができなかった。

 このノンノ・ノンフィクション賞は3年しか続かず消滅している。その後、女性のノンフィクションがあらためて意識されるのは、大宅壮一ノンフィクション賞受賞者が家田荘子『私を抱いてそしてキスして』、井田真木子『プロレス少女伝説』と、ともに女性になった1991年の第22回であった。

 実は1989年の第20回で石川好『ストロベリー・ロード』、中村紘子『チャイコフスキー・コンクール』で久し振りに男女ペア受賞となり、1990年の第21回では中野不二男『レーザー・メス 神の指先』に対して辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』、久田恵『フィリッピーナを愛した男たち』と、初の女性2名受賞、そして第22回が女性だけの受賞の年となる。翌第23回もドウス昌代『日本の陰謀』のみ。こうして女性の受賞作が増え、一時は賞を独占した後、再び傾向性、法則性を感じられない状況に戻るが、この数年間は女性のノンフィクションに再び注目が集まっていたと言えそうだ。社会的には1985年に男女雇用機会均等法の制定があり、その後に続くバブル景気で女性の活躍に期待する風潮があったが、ノンフィクション業界にも(主に話題作りを求める選ぶ側の論理として)その反映があったのかもしれない。

 しかし、世評はともかく、作品そのものに注目すれば、実は男女ペア受賞だった大宅賞の初期に比べて、女性にしか書けない作品だという印象は薄い。

■ジェンダーフリーのカテゴリーへ

家田荘子『私を抱いてそしてキスして――エイズ患者と過した一年の壮絶記録』(文藝春秋、1990年。文春文庫、1993年。ぶんか社文庫、2008年) アメリカでホーム・ナース・ボランティアの資格を取得した著者が、エイズ患者である黒人女性との共同生活を軸に、患者の置かれた社会的な実態を描く。1991年、第22回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

 家田荘子は女優、OL、セールスレディと“女性職”を遍歴し、『俺の肌に群がった女たち』(1985年)、『極道の妻たち』(1986年)、『代議士の妻たち』(1987年)など、良くも悪くもジェンダー感覚の強い作風の書き手だった。だが、受賞作『私を抱いてそしてキスして』では、黒人女性エイズ患者ジーナの身の回りの世話をするボランティア活動を始めるスタート時点でこそ、彼女には「同性の友人が必要」とされ、女性であることが重要だったが、ジーナと生活をともにするようになってからは、それまでの仕事ぶりとは裏腹に“女っぽさ”は感じられない。自ら女性性を質(しち)に出すようにして、同じアメリカで取材をした桐島洋子とはだいぶ様子が違う。女っぽさの代わりに博愛主義的な境地とでもいうべき普遍性すら感じるのであり、それは後に家田が出家し、僧侶となることに地下水脈を通じさせて予言しているように感じる(実際には『私を抱いてそしてキスして』の後にはアジア系売春婦を描いた『イエローキャブ』〔1991年〕という“ジェンダーもの”を再び書き、実態を超えて性的に歪曲させているとの批判も受けているが――)。

 予想以上の普遍性を感じるのは井田真木子『プロレス少女伝説』もそうだ。確かに舞台となっているのは女子プロレスという“女だけ”の世界だ。だが、井田が取材対象としたのは中国残留日本人三世である天田麗文、アメリカ人女子レスラーとして初めて日本の興行団体と年間契約を結んだデブラ・ミシェリー“メデューサ”であり、彼女たちは自身の人生を、女子プロレスという“日本”に深く交差させつつも、決してそのなかにすべて溶け込むということのない“ウチなるガイジン”だった。

 日本にいながら日本を超えるものを見ようとする井田のまなざしは、日本人レスラー・神取しのぶにも適用される。そして彼女たちの姿を経由して日本社会が省みられる。つまりこの作品は、大いに屈折を孕んでいるが、井田なりの日本社会論なのだ。

 この作品を《どうでもいいことを巧みに書いた典型》と選評で記した立花隆はそこを見逃している。《私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない》と書く立花は、選考委員でありながら吟味熟読するところまで作品のなかに没入することができなかったのではないか。

 実は立花は出世作となった「田中角栄研究」が第6回(1975年)の選考委員会の席で大いに話題になりつつも《表現の点を考えると、大宅賞の対象として、問題がないわけではない》(臼井吉見)、《文章という点から見ると、新聞の報道文を一歩もでていない》(開高健)と酷評されている(文春側から、《文藝春秋に掲載されたものは原則として候補作としていない》との説明があったことも書き添えられているが)。もちろん、その圧倒的な実力は周知であり、第15回から選考委員に名を連ねている。家田と井田を受賞させた第22回の選評では、かつて自分が酷評された意趣返しなのか、《報道というもう一つのノンフィクションの原点を思い起こす》必要性を述べ、《人に伝える価値が大してないこと、大半の人にとってどうでもいいことについて書いても、大した作品は生まれない》と書く。その持論を例証しようとして『プロレス少女伝説』を《人に伝える価値が大してない》作品として挙げようとしたのだが、そこは策士策に溺れたと言われても仕方がない面があった。

 ちなみに井田が受賞第一作として大宅賞発表と同じ『文藝春秋』1991年5月号に書いた「黒人参謀本部議長C・パウエルの『謎』」は、そんな立花への返歌のようにも思える。立花も間違いなく報じるニュース価値があると考えるだろう、湾岸戦争を戦う米軍を率いたパウエル司令官は、井田にとっては女子プロレスラーと同じ興味の対象なのだ。というのもジャマイカ系移民の子孫、つまりアメリカにとって“養子の子”で、サウスブロンクスの貧民街に育った“典型的”黒人でありながら、軍のトップ(後には国務長官)にまで昇りつめたパウエルはアメリカ社会の“ウチなるガイジン”であり(後には共和党員でありながら大統領選でオバマ支持を表明した)、そんな“特異点”としてのパウエルを通してアメリカの現在を描けるように、女子プロレスラーを通して日本が描ける――。そうしたメッセージがその記事の行間から聞き取れそうだ。

 とはいえ、こうした負けん気も女性の専有物ではない。鼻っ柱の強い男性が減ったのは別の問題だ。ノンノ・ノンフィクション賞が不発に終わった理由は、ノンフィクションにおいて女性枠を設けることが得策ではなかったことにほかならない。

 たとえば女性の心情を描くうえで、同性ならではの共感力が生きる面はあるだろう。しかしノンフィクション作品は登場人物の内面の心理を描くことで完結し得ず、執筆対象と社会との関わりを描くことが必ず求められる。取材するうえで女性性が生きることもあるのかもしれない。あるいは男女雇用機会均等法が成立する前は特に女性の社会参加が難しく、組織を背景に背負うことができない女性のほうが、“個”としてのノンフィクションの書き手の地位に立つことを強いられがちだったためにむしろ有利になる、という「逆説」があったかもしれない。

 しかしこうした諸々の事情で、取材の入口部分で書き手の女性性が有利に働いたとしても、その後はさまざまな性別の人が生活する普遍的な文脈で描くことが求められるのであり、女性であることが決定的要因たりえない。そうした性格は小説よりもノンフィクションのほうが強いはずだ。大げさに言えば、世界を作品化するのがノンフィクションの課題なのであり、世界の一部の女性だけを社会から遊離させて描いたノンフィクションや、女性としての視点――もちろん男性としての視点も同じだが――を最後まで相対化せずに書かれたノンフィクションでは作品としての普遍性を得られず、所詮は二流の地位に甘んじることになる。

 大宅賞史上初の女性のみふたりの受賞となった1991年はそんな事情を示すとともに、ノンフィクションがジェンダーフリーのカテゴリーに一歩大きくコマを進める、ひとつの通過点となったと言えるのかもしれない。(以下次回)

井田真木子『プロレス少女伝説――新しい格闘をめざす彼女たちの青春』(かのう書房、1990年。文春文庫、1993年〔文庫版ではサブタイトルなし〕。写真は『プロレス少女伝説』が収められた『井田真木子著作撰集』里山社、2014年) 1980年代に熱狂的な人気を集めた女子プロレス。生まれも育ちも異なるレスラーたちを描き、独自の女子プロレス文化を生み出した日本社会のあり方をも問う。1991年、第22回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

武田徹(たけだ・とおる)

1958年東京都生まれ。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。国際基督教大学大学院比較文化専攻博士課程修了。80年代半ばからジャーナリストとして活動。専門は社会学、メディア論。著書に『流行人類学クロニクル』(日経BP社、サントリー学芸賞)、『原発報道とメディア』(講談社現代新書)、『暴力的風景論』(新潮選書)、『日本ノンフィクション史』(中公新書)など。