北条氏康第三十四回

 氏綱は軍議を開いている。
 と言っても、重臣たちを一堂に集めて行うような大がかりなものではない。そういう本格的な軍議は、氏綱自身が方針を明確に定めてから開くことにしている。方針が曖昧なまま重臣たちと話し合いをしても何も決まらないからだ。
 座敷にいるのは、氏綱、松田顕秀、大道寺(だいどうじ)盛昌(もりまさ)、根来(ねごろ)金石斎、風魔小太郎、伊奈十兵衛の六人だけである。六人は大きな絵図面を囲んであぐらをかいている。
 絵図面に描かれているのは武蔵だ。
 一月に奪った江戸城が海沿いにあり、そのほぼ真北の方角に岩付(いわつき)城がある。
 岩付城の西、江戸城からは北西の方角に河越城がある。
 扇谷朝興は河越城に腰を据えて、虎視眈々(こしたんたん)と江戸城奪回を画策している。
 河越城の北西、武蔵と上野の国境近くには鉢形(はちがた)城がある。山内上杉氏の本拠だ。当主の憲房は重い病で臥せっている。朝興がすぐに南進できないのは憲房の支援を期待できないことが理由のひとつである。
「次は岩付城ですな」
 松田顕秀が絵図面を指差す。
「うむ」
 皆がうなずく。
 その点に関しては意見が一致している。
 扇谷上杉氏は、江戸城、岩付城、河越城を鼎(かなえ)として長く武蔵を支配してきた。その一角が崩れたことで、武蔵南部を失った。
 しかしながら、岩付城と河越城で武蔵北部をがっちり押さえており、その勢いは依然として侮りがたい。
 純粋に軍事的な側面から考えれば、朝興のいる河越城に向かって北進し、決戦を挑んで一気に雌雄を決するのも有力な作戦だが、それは危険な賭けでもある。その決戦に敗れれば、せっかく手に入れた武蔵南部を失うだけでなく、相模に攻め込まれる恐れもある。勝利によって得られるものも大きいが、敗北によって失うものも大きいのである。
 敵が朝興だけであれば、氏綱も迷うことなく北進するであろうが、山内上杉氏がどう出るかわからない。憲房が病に臥せっていることは間違いないが、病状までは確認できない。万が一、病から回復して朝興の後詰めとして出陣してきたら手強(てごわ)い相手になる。甲斐の武田信虎の動向も不気味である。
 朝興は何度となく信虎に武蔵出兵を要請している。
 さして旨味を感じないのか、信虎はその要請に応えず、食糧を奪うために相模に兵を入れたりしているが、考えが変わって武蔵に出て来るかもしれない。氏綱が北進して朝興と対峙したときに、信虎が甲斐から出てくると、氏綱は脇腹を攻められることになる。そうなれば苦戦は必至だ。
 つまり、すぐに河越城を攻めるのは不確実な要素が多くて危険だということだ。
 そこで岩付城である。
 河越城を支える役目を担っている岩付城を奪うことで朝興の力を削ごうというのが氏綱たちの考えなのだ。河越城の周囲には岩付城以外にも蕨(わらび)城や毛呂(もろ)城といった城があり、地理的な観点から考えれば、江戸城と河越城の中間地点に位置している蕨城を攻めるのが手堅いように思える。
 にもかかわらず、岩付城に目を付けたのには、いくつか理由がある。
 高輪(たかなわ)の戦いが起こるまで、岩付城を守っていたのは太田三兄弟だった。扇谷上杉氏の武蔵支配を支える三つの柱のひとつという位置付けではあったものの、実際には、江戸城や河越城と比べると、この時期、岩付城の戦略的な重みは低下していた。
 元々は下総(しもうさ)の古河(こが)公方(くぼう)に睨(にら)みを利かせるために築かれた城だが、古河公方の軍事的・政治的な脅威が減じたためである。太田三兄弟が岩付城に行かされたのも、曾我(そが)兵庫(ひょうご)の画策によるもので、体(てい)のいい左遷であった。
 それを恨んだ太田三兄弟が北条氏に寝返ったことで、氏綱は易々と江戸城を手に入れることができた。たかが城ひとつとはいえ、そのおかげで江戸城周辺の豪族たちが雪崩を打ったように扇谷上杉氏を見限って北条氏に鞍替えし、おかげで武蔵南部を支配下に収めることができたのだから氏綱は笑いが止まらなかったであろう。
 扇谷上杉氏から見れば、岩付城の戦略的な重要性は低下しているが、氏綱からすれば、これほど重要な城はない。
 古河公方・足利(あしかが)高基(たかもと)の子・亀王丸(かめおうまる)は氏綱の娘婿である。もし岩付城を奪うことができれば、江戸城、岩付城、古河城という南北の同盟線ができることになり、河越城の朝興に大きな圧力をかけることができるのだ。東と南の二方面から攻め立てれば、いかに堅固な河越城とはいえ、ひとたまりもないであろう。
 他にも理由がある。
 今現在、岩付城の守りを命じられているのは太田彦六(ひころく)資頼(すけより)である。太田三兄弟と同じ太田一族だ。
 但(ただ)し、系統が違う。
 太田一族の地位を飛躍的に高めたのが道灌(どうかん)資長(すけなが)であることは言うまでもない。道灌の子が資康(すけやす)で、資康の子が太田三兄弟である。
 これが太田氏の嫡流だ。
 道灌の弟を資忠(すけただ)といい、資忠の子が資家(すけいえ)、資家の子が資頼である。
 つまり、資頼と三兄弟は又従兄弟(またいとこ)という関係になり、資頼は傍流に過ぎない。
 血の繋がりは薄いとはいえ、同族には違いないから、三兄弟が寝返った今、資頼を寝返らせるのも難しくないはずだ、調略で江戸城を落としたように、岩付城も調略で落とせばいい、三兄弟から密書を忍ばせれば資頼も逆らうまい、というのが金石斎の意見である。
「そう簡単にいくでしょうか」
 小太郎が首を捻る。
「調略に反対なのか?」
 氏綱が訊く。
「そうではありません。岩付城は元荒川の水を引き込んだ深い濠に周囲を囲まれており、力攻めしても、城を落とすには長い時間がかかるでしょうし、大きな損害を被ることを覚悟しなければなりません。やはり、調略が一番よいと思います」
「では、何が難しいと思うのだ?」
「太田三兄弟は嫡流、彦六殿は傍流です。本家筋の指図であれば、普通ならば素直に従うはずです。しかし、そんなことは扇谷上杉の御屋形さまにしろ、曾我殿にしろ百も承知のはず。にもかかわらず、彦六殿に岩付城を預けているというのは、彦六殿の寝返りを心配していないということだと思うのです」
「まあ、確かに、三兄弟と彦六殿の間にわだかまりがあっても不思議はないがのう」
 氏綱が腕組みして難しい顔をする。
 実は、三兄弟と資頼は、単純にどちらが嫡流で、どちらが傍流だというように割り切れない関係なのである。
 道灌は子宝に恵まれず、中年に至って、ついに子を持つことを諦め、弟・資忠の子である資家を養子に迎えた。行く行くは資家に自分の後を継がせるつもりだった。
 ところが、その後で道灌に男の子が生まれた。
 これが三兄弟の父・資康である。
 ようやく授かった子である。道灌もかわいくないはずがない。できることなら後継ぎにしたいと考えたものの、すでに資家を養子にした後である。下手なやり方をすれば太田氏が分裂して御家騒動になりかねない。
 道灌はつらつら思案して資忠と資家を呼び、自分の後は、やはり、実子の資康に継がせたい、と二人に頭を下げた。その代わり、資康には資家を兄として敬わせることを約束し、資康には江戸城を、資家には岩付城を与えるので、二人が力を合わせて河越城の御屋形さまに忠義を尽くしてほしい、と頼んだ。
 この申し出を資忠と資家が承知したので、家督を巡る問題は穏便に片付いた。
 以後、資康の系統は江戸太田氏、資家の系統は岩付太田氏と称されることになる。
 資頼の立場からすれば、
「わしは傍流呼ばわりされる覚えはない。元々、父が太田の家督を継ぐはずだったのだ」
 ということになる。
 曾我兵庫の差し金で三兄弟が江戸城から岩付城にやって来たときも、表向きは丁重に遇したものの、何かというと三兄弟が本家面をしてあれこれ指図するのが気に入らず、資頼は腹に据えかねていたのである。
 三兄弟が江戸城に戻り、扇谷上杉氏を裏切って北条氏に寝返ったと聞いたときも、
「やはり、信用ならぬ者たちよ。あのような者たちは太田の本家ではない。わしら岩付の者こそが太田の嫡流よ」
 と吐き捨てるように言うと、直ちに数百の兵をまとめて河越城に向かった。
「わたしも太田の血を引く者ではありますが、あのような裏切り者たちとは違います。お疑いなさるのであれば、御屋形さまの手でこの首を落として下さいませ。そうでないのであれば、どうか江戸城を奪い返す先鋒をお命じ下さい。裏切り者たちの三つの首を切り落としてご覧に入れます」
 資頼は朝興の前で豪語した。
 そこまで露骨な物言いをされてしまえば、朝興としても、
「おまえも裏切り者の一味に違いない」
 と成敗するか、
「いやいや、おまえとあやつらは違う。わしはおまえを信じておるぞ」
 と強い信頼を表明するかのどちらかしかない。
 朝興は、資頼を信頼した。
 実際、そうするしかなかった。もし資頼を成敗すれば、岩付城に籠もっている資頼の一族が反旗を翻し、北条方に走るのは明らかだ。たとえ全幅の信頼を置くことができないとはいえ、そんな素振りを見せるわけにはいかなかった。
「すぐには戦にならぬ。何かあれば、おまえを頼りにするから、とりあえず、岩付に帰るがよい」
 そう諭(さと)した。
 朝興の言葉に資頼は大いに喜んだ。
 もっとも、朝興も馬鹿ではない。曾我兵庫の勧めもあり、曾我兵庫配下の猛々(たけだけ)しい武者、陣内(じんない)掃部介(かもんのすけ)に二百ばかりの兵を預け、資頼と共に岩付城に行かせることにした。今や北条だけでなく、古河公方も警戒しなければならないから、城の守りを固めるためにも兵を増やす方がよい、と恩着せがましい言い方をしたが、もちろん、それは本心ではない。
 万が一、資頼が裏切るような気配を見せれば、
「彦六を斬れ。家族も重臣たちも殺してしまえ」
 と、曾我兵庫は陣内掃部介に耳打ちした。
 そのあたりの事情は、氏綱を始め、この場にいる者たちは、すでに知っている。風間一族の諜報(ちょうほう)網はそれほど優秀なのである。
 それを踏まえた上で、
「彦六殿の立場を考えれば、そうでも言わなければどうにもならなかったのでしょう。口ではそう言っても、やはり、同じ一族であり、三兄弟が本家筋なのですから、こちらに味方するように命じれば素直に従うでしょう」
 というのが金石斎の意見である。
「従わなかったときは、どうするのだ?」
 十兵衛が訊く。
「そのときは蕨城を攻めるのです」
 金石斎が絵図面上の蕨城を指差す。
「蕨城は河越城や岩付城ほど大きくもなく、守りも堅固ではありません。こちらが大軍で押し寄せれば、とても支えきることはできますまい。それ故、河越城と岩付城から援軍がやって来るはず。兵が減り、手薄になった岩付城を......」
 江戸城から下総方面にぐるりと曲線を描きつつ、最後に岩付城を指先でとんとんと叩く。
「なるほど、蕨城を攻めると見せかけて敵軍を誘(おび)き寄せ、その隙に別の者がこっそり忍び寄って岩付城を攻めるのだな?」
 松田顕秀が金石斎の顔を見る。
「はい」
「それは悪くないやり方かもしれぬのう」
 大道寺盛昌も大きくうなずく。
「どう思う?」
 氏綱が小太郎に訊く。
「もし、そのやり方で岩付城を落とせるとお考えであれば、調略など考えず、最初から、そうすればよいのではないでしょうか」
「このやり方では落とせぬ、と言うのか?」
 金石斎が気色ばむ。
「岩付城は守りやすく攻めにくい城です。たとえ五千の兵で攻めたとしても、そう簡単に落とすことはできないでしょう」
「一万なら?」
「岩付城に一万もの兵を差し向けたら、蕨城を攻める兵が足りなくなってしまいます」
「確かに」
 十兵衛がうなずく。
「では、どうすればよいと思うのだ?」
 大道寺盛昌が訊く。
「調略がうまく行かなかったときには、とりあえず岩付城を諦め、蕨城を攻めるべきです。見せかけではなく、本気で蕨城を落としにいくべきかと存じます」
 小太郎が言う。
「金石斎が言うように、そうなれば、河越城と岩付城から敵の援軍がやって来るではないか。そのときは、どうするのだ?」
 松田顕秀が訊く。
「決戦すればよいのです」
「決戦か......」
「今、何よりも避けなければならないのは河越城や岩付城のような堅固な城を攻めあぐねて時間を費やすことです。戦が長引いているうちに山内上杉や武田が出てくれば必ずや苦戦することになります。しかし、平地での決戦であれば一日で片が付きます。山内上杉や武田が出てくる暇もないでしょう。援軍がいないのなら、扇谷上杉との決戦は望むところではありませんか」
「たとえ、その決戦に勝っても、敵を全滅させることができなければ、敵は河越城や岩付城に逃げ帰って籠城するだけではないか」
 金石斎がまくし立てる。
「それでよいのです」
「何だと?」
「そうなれば、こちらは悠々と蕨城を攻め落とし、次いで毛呂城、松山城を攻めます」
「ふうむ、河越城を囲むわけだな?」
 絵図面を見下ろしながら、氏綱がうなずく。
 蕨城は河越城の東に、毛呂城は西に、松山城は北にある。この三つの城を奪うことができれば、河越城は袋の鼠(ねずみ)と言っていい。
「周りの城を三つも落とされたら河越城は手も足も出なくなる。まさか、指をくわえて眺めているわけにもいくまいから、きっと河越城から出てくるな」
「そこをもう一度、叩くのです」
 小太郎が言うと、
「悪くない策に思える」
 氏綱がうなずく。
「すると、まずは岩付城への調略、それがうまくいかないときは蕨城攻め......そういうことでよろしいのでしょうか?」
 松田顕秀が念を押すように氏綱に訊く。
「よかろう。で、調略は、どんな具合なのだ?」
 氏綱が金石斎に訊く。
「思うようには進んでおりませぬ......」
 江戸城を奪ってから、何度か岩付城の太田資頼のもとに使者を送り、北条に味方するように申し入れているが、資頼は首を縦に振らないという。
「やはり、そうであろう。河越城に押しかけ、江戸城攻めの先鋒を務めさせてほしいと懇願したくらいだから、そう簡単に寝返ったりはするまいよ」
 松田顕秀が首を捻る。
「わたしは、そうは思いませぬ」
 小太郎が口を開く。
「本心から寝返る気がないのであれば、そもそも使者に会ったりもしないでしょうし、皆が噂するように彦六殿が血の気の多い人であれば、使者を斬るでしょう。しかし、そうはしないし、使者がやって来れば、こっそり会って話も聞く。北条の使者が来ていることを河越城に知らせている様子もない」
「向こうには、寝返る気があるというのか?」
 大道寺盛昌が訊く。
「ないはずがありませぬ。江戸城が落ちた途端、城の周りにいる豪族たちは、こぞって当家の味方になりたいと申し入れてきました。彼らにとって何よりも大切なのは自分たちの土地を守ることです。彦六殿が三兄弟の裏切りを口汚く罵り、扇谷上杉の御屋形さまに忠義を誓ったのは、そうしなければ、岩付城を取り上げられてしまうとわかっていたからです。そうしなければならなかったのです」
「なるほど、表向きの顔と本音を使い分けているということだな?」
 氏綱が、腑に落ちた、という顔をする。
「北条に勢いがあることは明らかですから、岩付城を守っていくには寝返るしかないと彦六殿も承知しているはずです」
「心の中で迷っているとして、こちらとしては、どうする? 当家に味方すれば、今までと同じように岩付城も任せるし、領地も安堵すると伝えてある。もっと甘い餌をぶら下げるのか?」
 十兵衛が小太郎を見る。
「そうです。但し、その甘い餌は彦六殿にはやりませぬ」
 小太郎が生真面目な顔で言う。

 話し合いが終わって、小太郎が自分の部屋に引き揚げようとして廊下を歩いていると、背後から荒々しい足音が聞こえた。
(来たな)
 予想していたので、小太郎は少しも驚かず、落ち着いて足を止め、ゆっくり振り返る。
 金石斎の拳が顔に飛んでくる。際どいところでかわすと、逆に金石斎の横っ面に平手打ちを食らわせる。あっ、と叫んで金石斎が尻餅をつく。
「おのれ、何をするか」
 脇差しに手をかける。
「それは、やめておきましょう」
 小太郎が金石斎を睨む。
「先生が脇差しを抜けば、わたしも抜かなくてはならぬことになります。わたしなど、弱々しいと思っておられるかもしれませんが、子供の頃から剣術稽古は人一倍励んだものです。先生の腕前は存じませんが、少なくとも刺し違えるくらいの腕と覚悟がわたしにはあります。それでも抜きますか?」
「うぬぬっ......」
 金石斎が悔しそうな顔をする。剣術の自信はないらしい。
「わたしも先生も北条に仕える軍配者として、話し合いの場では自分のよいと思う策を提示します。どの策を採るか、それは御屋形さまや重臣の皆様方の決めることです。決まったことに腹を立て、異を唱えるというのは、つまりは御屋形さまの決めたことに逆らうということではないでしょうか?」
「何を偉そうに」
「わたしも軍議のたびに先生に襲われる心配をしたくはありません。納得していただけないのであれば、御屋形さまの元に戻り、どちらが正しいか、お考えを伺おうではありませんか」
 小太郎が広間に戻ろうとする。
「待て、待たぬか。まだ何も言ってはおらぬ」
 金石斎がよろよろと立ち上がる。
「心配するな。もう同じことはせぬ」
「約束して下さいますか?」
「嘘はつかぬわ」
 ふんっ、と不機嫌そうに鼻を鳴らすと、金石斎が立ち去っていく。その後ろ姿を小太郎が見送っていると、
「上出来だ。よくやったな」
 物陰から十兵衛が姿を現す。
「十兵衛さまに指図された通りにやっただけです」
 話し合いの場で意見が衝突すれば、必ずや金石斎はそれを恨んで小太郎を襲うに違いない、そのときは、こういう風に対応せよ、と事前に教えてくれたのだ。まるっきり十兵衛の予想したようになった。
「わしが懲(こ)らしめてやってもよかったのだが、そうすると、わしの留守を狙って、おまえに嫌がらせをするに違いない。そういう卑怯な男なのだ。そんなことを許さないためには、おまえ自身が金石斎を脅しつける必要があった。それがうまくいった」
「あまり後味はよくありませんが」
「仕方あるまい。敵は城の外だけにいるのではない。時には城の中に敵がいることもある」
「味方が敵になることもある、とおっしゃりたいのですか?」
「味方に寝首を掻(か)かれるのは嫌だろう?」
 十兵衛がにやりと笑う。

北条氏康

画・森美夏

Synopsisあらすじ

伊豆・相模を制し、梟雄と呼ばれた祖父・北条早雲がついに逝ったのは、伊豆千代丸(のちの北条氏康)が五歳の夏だった。家督を継いだ父・氏綱は小田原を本拠に、関東への版図拡大を画している。早雲は孫の治世を見越し、ある手を打っていた……。軍配者シリーズ、北条早雲シリーズに連なる〈北条サーガ〉最終章が、ついに始動!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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