男じゃない 女じゃない 仏じゃない最終回

「ようやくお前に会える日が来たというのに、母さんはお前を殺してしまうかもしれない。愛しているからこそ八つ裂きにして殺す。この気持ち分かりますか?」
 生き別れの母と三十年ぶりに再会する日の朝六時、私の携帯に届いた母からのメールには、このような殺害予告が記されていた。
 ひょんなことからインターネットで母を見つけ、こうやって連絡を取り合うようになって一ヶ月。その間に母からもらった殺害予告は、これで十通目ぐらいになる。
 以前勤めていた職場で、いわれもない理由からひどい虐めを受けた母。退職してからも嫌がらせはしつこく続き、その影響で母は心を病んでしまったらしい。
 普段は「あなたを捨ててごめんなさい」とか「元気な子に育ってくれて嬉しいよ」と、親らしい言葉をかけてくれるのだが、ひとたび情緒不安定な時期に入ると、別人が書いているかのようなメールが次々に送られてくる。
「お前だけが辛かったと思うなよ。このゴキブリ息子! 滝壺に叩き落としてやるからな!」
「母さんのことが憎いなら、私の首を絞めて殺せよ。でも私もただではやられないよ。お前の両耳をカミソリで削いでやるぞ!」
 こんな具合である。
 最初のうちは面食らっていたが、こう何度も殺害予告が届くと、さすがに慣れてきた。あと毎回思うことだが、母は単純な方法では私を殺さない。「ミキサー車に叩き込んでミンチにしてやる」とか「ドリルでお前の頭を穴だらけにするぞ」といった猟奇的な方法で己の息子を殺そうとする。ホラー映画好きの私としては、今度はどういう風に私を殺してくれるのか、それがちょっとした楽しみだった。
 しかし、今日という記念すべき再会の日にまで殺害予告とは。なんともドラマチックな人である。

 待ち合わせ時間は朝の十時。母が宿泊するホテルまで、私が訪ねていくことになっていた。
 少しぬるめのシャワーを浴びて、起き抜けのぼんやりとした意識をハッキリさせる。タオルで適当に身体を拭き、くたびれたジーンズとグンゼの白Tシャツを身にまとい、サンダルを履いて朝の散歩へと繰り出す。こういう特別な日には、ちょっと豪華な朝ご飯でも食べようかなと思ったが、結局、散歩コースの途中にある松屋の朝定食を腹一杯にかきこんだ。軽くゲップをひとつかまして、私は住職が待つお寺へと向かうことにする。今日もいつも通りの朝だ。

 母と会う前に顔を出すと伝えてあったからか、住職は、境内の掃除を早めに終えて、私が来るのを待ち構えていた。
「いよいよですね。なんだか私まで緊張しちゃって、いつもより早起きしてしまいました」
「当日になっても何の実感も湧かないですけどね。相手は相手で殺害予告してくるし」
「なんと、今日もですか......、しかし、お母様、大切な日に心が不安定とは心配ですね」
「そうですよ。俺、本当に殺されちゃうかも」
「朝から物騒なことを言わないでください」
「住職。俺がもし殺されたら、俺の葬式では住職がお経を読んでくださいね」
「そんなことはないと思いますが、はい、分かりました」
「自分が死んだ時に、自分の好きな坊主にお経を読んでもらえるなんて幸せですよ」
「なんと言えばいいか分かりませんが、ありがとうございます」
「あと、もしもの時のために、遺言状も書いてあるんですよ」
「あなた、人に残せるほどお金も物もないでしょう」
「俺の家にある物っていえば、大量のDVDとCDだけなんで、それを住職にあげます」
「私、映画も音楽も興味ないですよ」
「だったら、全部売り払ってパチンコの軍資金にしてください。パチンコを打ってる途中で、俺のことを少しでも思い出してくれたら本望です」
「......」
「あと、これは大事なことなんですけど」
「はい」
「ブックオフよりディスクユニオンに売ってくださいね。そっちの方が高く売れますよ」
「......」
「寺の坊主がディスクユニオンで大量に買取してもらってるの面白いですね」
「そうですか......」
「これは本当に申し訳ないんですけど、エロDVDは別の人に譲ります」
「え」
「もしかして期待してました?」
「......少しだけ」
「でも俺と住職はAVの趣味が合わなそうだし」
「それは分かりませんし、たまには違う趣向の物に触れるのも勉強になるとは思います」
「そういえば、住職とは一度もこういう話してなかったですね。もし、俺が生きて帰ってきたら、AVについて大いに語りましょう」
「そんなことでいいのなら喜んで語りますよ。ほっほっほっ」

 いつものように、朝からくだらない話をしているうちに、徐々に心の緊張が取れてきた。
 正直言って、母に会うのは怖かった。
 私は「自分」というジグソーパズルを、「母親」というピースを使わずに完成させた。長い年月をかけ、「母親」を必要としない「自分」を作り上げたのに、そこに無理やりピースをはめ込もうとしたら、パズルが粉々に砕け散ってしまうんじゃないか。そんな不安に襲われていたのだ。
 トリケラさんは、いつも私のことを叱ってくれる。そして住職は、私のどんな話でも怒らずに最後まで聞いてくれる。この二人がいてくれたから、私は失恋の大きな傷も埋められた。「女に作られた傷は女でしか癒せない」なんてよく言われるが、そんなのは嘘っぱちだ。だって「オカマ」と「坊主」が、私の人生を再生してくれたのだから。
 そんな時、突然現れた生き別れの母。母には悪いのだが、今の私にはどうしても必要な人とは思えない。でも「興味」があるのだ。自分を産んでくれた人がどんな顔をしているのか、どんな声なのかを知りたい。これが私の正直な気持ちだった。

「それじゃあ、いってきます」
「はい、いってらっしゃいませ」
 別れ際、私はなんとなく住職に触れたくなって、珍しく自分の手を差し出した。住職は少し驚いた顔をした後で、私の手を強く握り返してくれた。
 家に戻り、実家の父に、今から母と会ってくる旨を電話で伝えようとしたが、仕事中なのか電話はつながらなかった。最近、携帯電話の着信設定を変えたのか、親父の電話の呼び出し音が、ビバルディの『春』になっていて笑った。

 午前十時。約束の時間ピッタリにホテルのロビーに到着。フロントから息子が会いに来たことを伝えてもらい、母と祖母が待つ部屋へと向かう。本当に殺されるとは思わないが、防御手段として、先ほどコンビニで買った雑誌を腹に仕込む。なぜ、生き別れの母と会うのにこんなことをしないといけないのか。
 母と祖母の待つ階へとエレベーターが上がっていく。ホテルの上品なエレベーターに乗っているというのに、毎月、借金の返済で訪れる消費者金融のビルのエレベーターに乗っている時と同じような憂鬱な気持ちだ。
 会わずに帰ろうかなと思った時、エレベーターが目的の階へ到着した。母のもとへと続く赤絨毯が敷き詰められた廊下が、首吊り台に向かう通路のように思えた。
 部屋の前まで来て、大きく深呼吸をひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ。
「コン、コン」
 私は意を決し、ドアを二回ノックした。
 室内からバタバタバタ!とやかましい足音。ほどなくしてドアが開く。上はデニムのジャケットに、下はムチムチのダメージジーンズという、やや派手ないでたちの女性が姿を現した。
 自分の母を初めて見た感想は「やろうと思ったらやれるな。親父が言っていた通り、変な色気があるわ」というものであった。少しウェーブが掛かった髪型に、全体的にきりっとした顔の造りの母は『ら・ら・ら』を歌っていた頃の大黒摩季によく似ていた。
「やっと会えた。私がママやで」と母が口を開く。私は「うん」とだけ答え、母が何か危ないものを持っていないかを確認する。刃物の類は見当たらないようだ。
「ほら、早く中に入って。婆ちゃんにも顔見せてあげて」と母は私を部屋の中に招き入れる。顔をしわくちゃにして涙を流している知らないお婆ちゃんがそこに居た。部屋のドアを閉めた途端、母と祖母は私に抱きついてきた。何度もTV番組で見たことのある感動の抱擁シーン。抑え込んでいた感情が爆発した二人は、嗚咽を漏らしながら、力の限り私の体を抱き締めてくる。
 だが、私はどうしても泣くことができなかった。それどころか、肉付きのいい母に抱き締められると「感動」よりも「性的興奮」の方が上回ってしまうのだ。これは少しでも気を抜いたら間違いなく勃起する。熟女風俗に来て、感動の再会シーンからのセックスというイメクラプレイをお願いしているような感覚だ。
 母のためにも勃ってはいけない。三十年ぶりに会った息子が変態でした。そんな結末は悲し過ぎるじゃないか。絶対に勃起するものか。それが私にできる唯一の親孝行なのだから。興奮を抑えるため、私は祖母の顔を凝視した。しわくちゃババアの顔を見ていれば性欲も鎮まるはずだ。ところが、祖母の奴、なかなか色っぽいうなじをしていやがる。すごくすべすべしてそうだ。
 あ、やばい、勃つ。
 もうだめかと思ったその瞬間、腹に入れてあった雑誌が、重力によって陰部の辺りまでずれ落ち、障壁のようになって勃起を防いでくれた。なんという偶然だろう。己の命を守るために仕込んであった雑誌が、人としての威厳を守ってくれるとは。
 時間にして三分ほどの抱擁だったが、私にとっては地獄の三分間だった。

「じゃあ、美味しいご飯でも食べに行こうか。その前にちょっとフロントに用事があるから行ってくるわ」
 そう言い残して、母は祖母と一緒に一階のフロントに行ってしまった。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った部屋にひとりぼっち。実はすべてが夢だったのではないかと思うほどの静寂が部屋を包んでいた。
 暇を持て余して、部屋の中を観察していると、おそらく母の物と思われるボストンバッグに目が留まった。見た目は普通のバッグなのだが、破裂しそうなぐらいにパンパンに膨らんでいるのが気になって仕方がない。いけないことだと思いつつ、何か不思議な力に吸い寄せられるように、私はバッグのチャックを開けてしまった。
 バッグの中には、何に使うのかは分からないが折り畳まれた毛布が入っていた。そしてその毛布に包まれていたのは出刃包丁だった。刃先を新聞紙で包んだ出刃包丁が三本。一瞬で血の気が引いた。そうか、母は本当に私を殺そうと思っていたのか。私は何も見なかったことにして、慎重にバッグの中身を元に戻した。
 しかし、なぜ包丁が三本も必要なのか。その時は分からなかったが、よくよく考えてみると、それは「武士道」だった。題名は忘れたが、昔読んだ時代劇漫画で「武士というものは、どんな犬畜生に劣る外道を斬る時も、斬る相手一人に一本ずつの刀を用意してやるのがせめてもの礼儀である」と主人公が「武士道」を語るシーンがあったのを思い出した。これは母なりの私への「武士道」なのだ。思い返せば、私の父も「武士道」を手本にして、小さい頃から私を厳しく教育したものだった。そうか、父も母のどちらも「武士道」を大切にする人だったのか。離れてしまったとはいえ、やはり夫婦は似た者同士なんだな。私はそんなことをしみじみと思いながら、万が一の事態に備え、ずれてしまった雑誌をしっかりと腹の位置に直した。

 再会を祝して豪華な食事をしようということで、三人で焼肉を食べに行くことになった。食事中も祖母は私の顔を覗き込んでは、ずっと涙をこぼしていた。母は「こうやってお前に肉を焼いてあげることができるなんて嬉しいわ」と感動していた。私は常に母のボストンバッグの位置を確認しながら慎重に肉を食べていた。
 食後のアイスクリームを食べている時に、母がこんなことを言った。
「お前が良い子に育ってくれてて本当によかった。もしひどい人間に育ってたら、私、お前を殺してたかもしれないよ」
 ああ、さっき、勃起しなくてよかった。
 母親に欲情するような息子は、間違いなく包丁でめった刺しだったであろう。でも、チンコをビンビンに勃たせて、母に刺されている自分を想像してみたら、それはそれでちょっと面白かった。
 焼肉を食べた後は、宿泊しているホテルの中の喫茶店に移動して、時間の許す限り話をした。離れ離れになったあと、お互いがどんな人生を歩んでいたのか。その空白を埋めるための会話。といっても、母が自分のことを一方的に話しているだけだったが。身振り手振りを交えて大袈裟に話す母の様子は、選挙運動で演説している政治家のようで滑稽だった。
 今日の深夜バスで香川県に帰るとのことで、夜の七時半に母と祖母は帰路に就いた。また近いうちに会うことを約束して。何度も何度もこちらを振り返って手を振る二人の姿を見て、私は心から願った。
「頼むから、包丁を落としたりしないで無事に家まで帰ってくれ」と。そして、今度再会する時は、包丁への対策を万全にしておこうと思った。

 母との激動の再会を終えた私の足は、自然とトリケラさんの店へと向かう。一日中腹に入れていた雑誌をコンビニのゴミ箱に投げ捨て、私は走り出す。今日起きたことのすべてを早くトリケラさんに伝えたい。
 朝は住職とAVの話をして、昼は母親に殺されかけて、夜はオカマと酒を酌み交わす。それが私の人生だ。

 腹を抱えて笑ったり、時にはしんみりしながら、私の報告を聞き終えたトリケラさんは「いろいろ大変だったね。今日はアタシが奢る。好きなだけ飲んでいいわよ」と言ってくれた。今日だけはその言葉に甘えて、私も気持ちよく酒を胃袋に流し込む。
 何年かぶりにベロンベロンになった私に、トリケラさんは優しく語りかける。
「お前さ、もうそろそろ本気で文章書いてごらんよ」
「今日、そういう真面目な話はやめてよ」
「私はね、文章の良し悪しは分からない。ただのオカマだからね。でもお前は文章を書くべき人だと思う」
「......なんでそう思うの」
「お母さんのことだってそう。今までの恋愛経験だってそう。書かないと損だよ。あんたの人生。うまく書こうなんてしなくていい。思ったことをそのまんま書いてごらんよ」
「......」
「オカマバーでいろんな人の人生を聞いてきたよ。ここで働くオカマ達の人生も嫌というほど見てきた。そんなアタシが保証する。あんたの人生はけっこう面白いよ」
「最近は、トリケラさんや住職のおかげで人生が面白くなったんだよ」
「じゃあ、アタシたちのこともいつか書いてもらうからね。約束だよ」
「ちょっとだけ頑張ってみようかな」
「うん、人生やったもん勝ちだからね。グダグダ言わないで書きなさい。自分のことを信用できなくなったら、私を、オカマを信用して書いて」
「......」
 私は黙って頷いた。
「そうやって素直にオカマを信用してくれるおまえのこと嫌いじゃないわよ」
 私は、トリケラさんのその言葉を、お酒に酔っぱらって聞こえなかったフリをした。

 翌日、パソコンの前に座り、私はトリケラさんとの約束を果たそうとしていた。キーボードを叩き、一文字目を打ち込もうとした時、母からメールが届いた。
「やっぱりお前は私の息子だ。昨日会ってみてそう思った。ニコニコ笑っているお前はまるで太陽のようだった。それに比べて母さんのような日陰者は月みたいなもんさ。これからはお前の月として、いつでもお前のことを見守っているからね。でもね、気を付けな。月はいつか太陽を超えようとするものなのさ。油断してたら、斧でクビ掻っ切ってぶっ殺すよ!」
 相変わらず、なんて素敵でロマンチックな殺害予告なんだろうか。もし、私に少しでも文才というものがあるとしたら、間違いなく、この母から受け継いだものだろう。その点だけは母に感謝しなければ。

 さて、何から書くことにしようか。
 恐竜によく似たオカマ。
 パチンコ中毒の住職。
 オカマと見た海の色。
 住職と行った競馬場の芝生の輝き。
 オカマと一緒に引っ越し先を探したこと。
 アサリを供養する住職。
 オカマの四国八十八カ所巡り。
 私に惚れている大家のババア。
 オカマと撞いた除夜の鐘。
 住職がくれた甘酒。
 アロハシャツを着た腕のいい皮膚科。
 オカマの生理。
 写経→自慰→写経→自慰。
 空海を恨んだまま死んでいった祖父。
 初めての女装。
 菩薩をオカズに抜いた夜。
 親父と一緒にオカマバーに行った夜。
 私の命をつけ狙う母親。

 書きたいことは星の数ほどある。

(ご愛読ありがとうございました。本連載は中央公論新社より書籍化予定です。)

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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