男じゃない 女じゃない 仏じゃない第21回

「わたくし、パチンコを卒業しようと思っております」
 お寺の縁側から見える民家では、腰が半分曲がったお爺さんが、せっせと鯉(こい)のぼりの準備をしている。おそらくお孫さんのためにだろう。そんな微笑ましい光景を目の前にしながら、住職はパチンコからの卒業を高らかに宣言した。
 実は住職だけではなく、私の周りには、パチンコ中毒に悩まされている奴らが男女問わず数人いる。そいつらに共通しているのは、一年に何回もパチンコ卒業を宣言しては現場復帰を繰り返すことだ。七回引退して七回復帰をしたプロレスラーの大仁田厚のようなものである。住職の卒業宣言も、私が覚えている限りで、今年に入ってからもう三回目。今回もきっと失敗するだろう。大空にはためいた黒、赤、青の三匹の鯉のぼりの親子が気持ちよさそうに空を泳いでいる。それにしても、鯉のぼりの目は何かの中毒者のような怖い目をしている。鯉も坊主も中毒者とは、まったく救いのない世の中だ。
「あなたが何を言いたいか分かっておりますよ。でも、今回は本気です。六月の初めから二週間ほど入院して参ります」
「え? 入院って......」
「かかりつけのメンタルクリニックの先生に、もうパチンコができない環境にしばらく身を置くしかないと言われましたもので......それで決心しました」
「......」
 本来なら、少しぐらい優しい言葉をかけてあげたいところだが、パチンコをやめられない寺の坊主が、白い病室に閉じ込められることを想像したら、申し訳ないが面白さのほうが勝ってしまい、私は笑いを堪えるのが大変だった。何かの修行みたいでよく似合うじゃないか。
「でも......二週間のうちにたまにはお経を唱えないといけないんじゃないですか」
「心の中で唱えますので大丈夫です」
「気持ちを落ち着かせるために写経でもすればいいですね」
「いや、他の入院患者さんのご迷惑になるからやりません」
「でも、恥ずかしいですね。仏になるために修行をしているのにパチンコをやめられない坊主とか、いじめられますよ。きっと」
「......あなた、さっきから面白がっていますよね」
「当たり前じゃないですか」
 そうは言ったものの、二週間も住職と会えないのは正直寂しい。トリケラさんが私に何も言わずにお店を辞めた時のような、あの喪失感をまた味わわないといけないのか。しかし、オカマが居なくなったり、坊主が居なくなったり、私の人生は本当に忙しい。
「住職、入院する前に何かしたいことってないですか。僕にできることなら力になりますよ。死ぬほどパチンコ打ちたいとか、風俗に行きたいとか、なんかありませんか?」
「そう言ってくださるのは嬉しいですね。そうですね。何かありますかね......あっ」
「何かありました?」
「私、競馬場というものに行ってみたいです。ギャンブルといってもパチンコしかやらないものでして......はい」
「ああ、ちょうどいまの時期だと春のGIレースとかやってますよ。ちょっと調べてみますね......。あ、じゃあ今度の日本ダービーでも一緒に行きませんか?」
「日本ダービー! いいですね。そういう大きなレースってどれぐらいの人が来られるんですか?」
「東京競馬場でやってて、だいたい十万人を超える観客が来ますよ」
「なんと十万! 恐ろしいものですね」
「会場のそこらじゅうに人間の汚らしい欲望がうずまいてて面白そうですね」
「ここ最近で一番ワクワクしてきましたよ、私」
 こうして、私と住職の初めてのお出かけが決まった。その場所が競馬場というのがなんとも私たちらしくていいじゃないか。

「競馬場がこんなにも大きな場所とは知りませんでした......」
 約束の日、五月晴れの快晴の日曜の朝、私と住職は、電車を乗り継いで、はるばる府中(ふちゅう)市にある東京競馬場までやってきた。さすが日本ダービーということで、開場前からお客さんでいっぱいである。つわものになると前日から泊まり込みで現場に来ているのだ。ゲートをくぐり、レース場を一望できるスタンド席に来たところで、住職は先程の驚きの声を上げた。一面に敷き詰められた綺麗な緑色の芝生に圧倒されている。視力回復には綺麗な緑を見ればいい、とTVで言っていたが、私が人生で見た一番綺麗な緑は競馬場の芝である。
 近所のパチンコ屋で見る住職の私服は、基本はサンダルに、ポロシャツ、ジーンズというラフな格好が多かったのだが、今日は行楽ファッションで身を固めていた。服装を説明するよりも、とんねるずの木梨憲武(きなしのりたけ)のようなハンチング帽をかぶったお洒落な格好だと言った方が分かりやすいだろう。
 競馬場の中には、ラーメンにタコ焼きにケンタッキーに喫茶店と、種類豊富なフードコートが用意されており、地方の廃(すた)れたショッピングモールよりも充実している。人の多さにあたふたする住職の背中を押してフジビュースタンドへと足を運ぶ。ここはその名の通り、天候が良ければ富士山の姿をおがめるありがたい場所なのである。その日は快晴ということもあり、てっぺんまで綺麗に見える立派な富士山が私たちを出迎えてくれた。それを見た住職は「富士山を見ながらギャンブルができるなんて、なんというか幸せな場所ですね」と感慨深そうな顔をしていた。
 さらに住職を驚かせようと、期間限定で開放される特別な場所に足を向けた。なんと競走馬が実際に走るコースの一角が観客に開放され、芝生に寝転んでお酒を飲めるようになっているのだ。ビールが嫌いな私も、この日ばかりは住職に合わせて生ビールを注文する。二人揃って芝生の上にあぐらをかいて、「かんぱ~い!」とビールを喉に注ぐ。普段は礼儀正しい住職にしては珍しく「ぷはぁ!」と下品な声を上げる。いつもはお寺で綺麗な座禅を組んでいる住職が、芝生の上でだらしない恰好で座っている。それがなんだか嬉しくて、私はずっと笑っていた。「今度は私がご馳走しますよ」と、頼んでもいないのに、二杯目の生ビールを買って来た住職は「ここだけの話、この世には極楽など存在しないと思っていたのですが、ここはもう極楽ですね」と仏教徒失格の言葉を漏らした。
「ドドドドッ」とけたたましい音を立てて、私たちの前を競走馬が駆け抜けていく。そう、この場所は、目の前でレースを観られる特等席でもあるのだ。初めて間近で見るサラブレッドたちの迫力に「うわゎ!」と情けない声を上げて腰を抜かしそうになる住職。しかし、ここに来てから今までの住職の可愛いリアクションは素晴らしい。もし、この人が競馬場デートに連れて来られた可愛い女の子だとしたら、百点満点の反応である。

 芝生の上に二人で大の字になって少しだけ居眠りをする。朝早く出発した疲れと、お酒を飲んだほろ酔い気分と、五月(さつき)晴れの太陽の日差しのあたたかさが良い感じで混ざり合って気持ちがいい。吸い込まれそうな青空を見つめながら、ずっと聞いてみたかったことを住職に質問してみる。
「住職って、なんでパチンコ始めたんですか? 友達に勧められてとか? それとも親がパチンコ好きだったとか?」
「あぁ、それは私が自分の意思で始めたのですよ。私の家族は誰もギャンブルの類はやりません」
「何かきっかけがあったんですか?」
「なんでしょうね。自分の将来が怖かったんですよ。うちは代々仏に仕える身ですので、小さい頃から、いずれは仏門に入ることがなんとなく義務付けられていました。私も他にやりたいこともなかったし、このままでいいかなぁとぼんやり生きてきました」
「なるほど」
「本格的に仏の道に入る前に、ちょっと本筋を外れた脇道を走ってみたい。それがパチンコでしたね。一人で没頭できるというのが、私にはよかったんですよ」
「一人が好きなんですか?」
「好きと言いますかね。お寺の息子というものは、他の人と心を通わせにくいものがあるんですよ。今の時代はそうでもないでしょうけど、昔はちょっとお寺というと特別でしたからね」
「僕の地元でも、お寺の人っていうと、ちょっと偉い人なんだろうなって認識がありました」
「とくに田舎だとそうですよね。親や友達にも学校の先生にも誰にも自分のしんどさを相談できずにいました。そんな私にはパチンコがよかったんですよねぇ」
「......住職もいろいろあったんですね。でも一つ分かったことありますよ」
「と言いますと?」
「僕は小さい頃から親父に厳しく育てられました。親父の理想とする『武士のような強い人間』になることを義務付けられていたんです。自分がそんな辛い境遇にいたので、のほほんと生きてそうな他の子供と仲良くするのが苦手で、一人でいるのが好きでした。どこかで住職と僕って似ているのかもしれないですね」
「あなたの普段のとんでもない言動を聞いていると、一緒にはして欲しくないですけどね......」
「さ、辛気臭い話はもうやめにしましょうよ」
「そうですね。そろそろお楽しみと参りましょう」
 私と住職はすっくと立ちあがり、馬券売り場へと足を踏み入れる。ここからは勝負の世界だ。競馬新聞と缶ビールを買って準備は完了。この日のために馬券の買い方を猛勉強してきたという住職は、付け焼き刃の競馬知識を私に得意気に披露する。私はその口上を感心して聞いているフリをしてあげる。だが、葬式の時に坊主が話す小難しい説法に比べれば、幾分かマシだった。
 競馬初心者である住職は、おそるおそる馬券を買いながら、初めての競馬を心から楽しんでいた。自分の賭け馬に声をからさんばかりの声援を送り、馬を操縦するジョッキーに向かって「役立たず!」と暴言を吐く。はたから見ればなんとも迷惑なおっさんだが、住職はわざとそうやってはしゃいでいるように思えた。真面目一辺倒なことしか言えない堅物坊主よりも、時にはレールを外れることの大切さを知っている住職のほうが、私は素敵だと思う。
 メインレースが行われる昼の三時過ぎになると、肌を焦がし尽くすのではないかと思うほどの強い日差しが競馬場を照り付けていた。会場アナウンスによると今日の来場者数は十三万人を超えていた。いよいよ日本ダービーが始まる。皐月(さつき)賞、菊花(きくか)賞と共に三冠競争と言われるレース。競馬に関わるすべての人たちがこのレースで優勝することを夢見ていると言われる日本ダービー。スタンドを埋め尽くした観客はそれぞれの運命を託した競走馬たちに祈りを捧げている。私と住職も競馬新聞をメガホンのように丸めて準備は万端だ。
 メインレースが始まる前に二人で決めたことがある。日本ダービーは二人で同じ馬に有り金全部を賭けてみることにしたのだ。あーだこーだと二人で激論を戦わせた上で決めた一頭の馬。単勝倍率は約十二倍。賭け金は二人合わせて十万円。当たれば百二十万、外れれば一文無しの大勝負だ。レースのスタートを告げるファンファーレが高らかに鳴り響き、十三万人の心が一つになる。その雰囲気がたまらなくなった住職が「今日は一緒に来てくれて本当にありがとう」と恥ずかしい言葉を堂々と口にする。「こちらこそいつもありがとうございます」と住職の顔を見ずに私も礼を言った。そしてレーススタートから二分二十四秒後、私と住職は手に持っていた競馬新聞を力の限り空に放り投げた。

 その日の競馬場帰り、私と住職はトリケラさんの店にいた。勝ったら祝勝会、負けたら畜生会をすると、これも事前に決めていたことだ。日焼けで真っ赤になった私たちの肌を見て、トリケラさんはずっと笑っていた。もう何杯目か分からない生ビールを飲み干して住職は言った。
「私は入院をやめます! 今日でよく分かった! 私はギャンブルをやめられない!」
「そうだ! ハゲ! よく言った」とトリケラさんと私は嬉しそうに手を叩く。
 オカマバーからの帰り道、住職はポツリと言った。
「私はギャンブルが好きというよりも、一緒にギャンブルを楽しめる人が欲しかったのかもしれませんね」
「住職、俺でよかったら、また競馬行きましょうね。パチンコでも競艇でも競輪でもなんでも付き合いますよ」
「はい、私が地獄に落ちないように見張っててください」
 私が人生に迷わぬように住職がいて、住職がギャンブル地獄に落ちないように私がいる。
 その日私たちは本当の友達になった。
 メインレースがどういう結果になったのかは、私とオカマと住職だけの秘密だ。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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