そして誰かがいなくなる第3回

「御堂さんのお宅の場合、屋根裏に空調システムを設置し、そこから全ての部屋に配管を延ばします」
 空調システムから直接配管が延びたり、途中で枝分かれしたりしながら各部屋へ――。
 吹き出すのが暖房や冷房の風でなく、毒ガスだとしたら全部屋に蔓延して一巻の終わりだな――などと考えてしまうのは、ミステリー作家の職業病か。
 たとえば、配管の根元に針で催眠ガスを注入すれば、全ての部屋にガスが蔓延するのではないか。気密性が高いから、ガスは室内に充満する。
 それとも、排気のほうが早いだろうか。
 つい、妄想が膨らむ。
「......それでトイレの位置の話は?」
 水を向けると、眞鳥が続けた。
「音漏れ問題です」
「音漏れ? 映画の音かな?」
「あ、いえ、そっちではなく、用を足している音のことです。お客様が使用されるとき、気にされるのではないかと思います」
「あー、まあ、たしかにそれはそうかもしれないな。しかし、高気密が売りで、雨音さえ聞こえないほどなんだろう? 用を足す音くらいなら漏れないんじゃないのか?」
「いえ、実はそういうわけではなく......」眞鳥は若干困り顔になり、言葉を探すように眉間を掻いた。「外の音はかなり遮断するんですが、室内の音は別なんです」
「なぜ?」
「全館空調は各部屋の天井に吹き出し口を設置するわけですが、例外もあります。その一つがトイレです。トイレの天井には吹き出し口ではなく、換気口をつけます」
「臭いが充満しては困るからだね」
「はい」
「一つ疑問がある。吹き出し口がないなら、トイレは全館空調の恩恵を受けないのでは?」
「いえ。法律上、二十四時間の換気が義務付けられているため、トイレを含む各部屋のドアの下に二センチほどの隙間(アンダーカット)があるんです」
「アンダーカット?」
「はい。空気の道です」
「......なるほど」御堂は顎を撫でた。「リビングや廊下の空気がドアの下の隙間からトイレに流れ込んで、温度を保つわけか」
「そういうことです」
「つまり、ドアの下に隙間があるから、室内では音を遮断しない――と」
「はい」
 納得する説明だった。シアタールームからトイレを利用できたら便利だろう、と安易に考えていた。使用者のことまで気が回らなかった。
「......では、トイレは廊下から入るようにしよう」
 葉山が設計図に走り書きをした。トイレの位置の変更を書きつけたのだろう。
 続いて畠中が分厚いカタログを取り出した。彼女はにこやかな表情をしている。
「御堂さんのご希望はIHのシステムキッチンでしたので、メーカーのカタログをお持ちしました。私のお勧めはこれです」
 彼女は付箋の貼られたページを開き、カタログを差し出した。
 受け取って確認すると、二百七十万円ほどのキッチンだった。充分な容量の食洗機も付いている。
「オール電化でよろしいですよね」
「火は苦手でね」御堂は答えた。「どうもネガティブなイメージを抱いてしまう。特にトラウマがあるわけではないが、億もの大金を出して建築して、火事になったら笑えん。木造建築だし、全焼したら絶望だよ」
 眞鳥が口を開いた。
「実は木はイメージと違って、鉄よりも火に強いんですよ。ある程度の厚みがある構造材は、着火しても、炭化するのは表面だけなんです。炎がストップします」
「ほう?」
「ツーバイフォー工法では、天井や壁の内側全体に石膏ボードを取りつけます。石膏ボードの内部に水分が含まれているので、火が点くと、それが蒸発して水蒸気を発生させ、火の回りを遅らせます。壁の接合部にはファイアーストップ材を加えてありますから、他の部屋への延焼も抑えます」
「それは心強いね。安心だ。何しろ、本格推理小説に登場する館は燃え落ちるのが相場でね」
 御堂が笑うと、畠中が「そうなんですか?」と興味深そうに訊いた。
 御堂は指を一本ずつ立てながら、いくつかの有名な本格推理小説のタイトルを口にした。
「いずれも館が紅蓮の炎に包まれる。焼け跡からは名探偵や真犯人の遺体が発見されず、生き延びて消息を晦(くら)ましたことを示唆して、ジ・エンド。一種の様式美だね」
「建てる側の人間からすると、素敵な建物が燃えてしまったら、『あー!』と叫びたくなります」
「私もそうだよ。こうして何度も設計の打ち合わせをしていると、思い入れも当然深いからね。たとえ、焼失が私の死後だとしても......」
「縁起でもないことをおっしゃらないでください」
 畠中が困惑顔でフォローした。
「ツーバイフォー工法は――」眞鳥が言った。「文字どおり、断面サイズ2×4インチ材を使って、サイコロのように組み立てる六面体のモノコック構造ですから、柱や梁(はり)などの軸組みで支える在来工法に比べて地震に強いというメリットもあります。構造全体で力を分散・吸収するので、倒壊も防いでくれます。地震にも火事にも暴風にも強いんです」
 御堂は大口を開けて笑った。
「万が一のことが起こっても、本格推理小説のような結末は避けられそうで安心したよ」
「万が一のことが起こったら困ります」
 眞鳥は釣られるように笑い返した。
 御堂は図面をめくり、外観のデザインを眺めた。満足できる洋館が描かれている。
 急勾配の寄棟屋根や円錐形の付属塔が特徴のロマネスク様式、十八世紀後期のアメリカで普及したフェデラル様式、正面(ファサード)にローマ時代のデザインを取り入れたネオクラシカル様式、十五世紀末からイギリスで普及したチューダー様式、バロック風の切妻壁などが特徴のスパニッシュ・ミッション様式、十七世紀ごろのイギリスで人気だったジョージアン様式、教会のデザインを取り入れたゴシック・リバイバル様式、古代ギリシャの神殿を思わせる飾り柱(コラム)などが豪華なグリーク・リバイバル様式、イギリスのアン女王の時代に生まれたクイーン・アン様式、エリザベス一世時代に普及したエリザベス様式など――。建築可能な外観のデザインバリエーションが豊富で自由自在の建築会社。そこに惹かれ、実際に会って話をしてみて契約を決めた。
 多くのバリエーションの中から選択したのは、正面(ファサード)にそびえる飾り柱(コラム)が目立つグリーク・リバイバル様式をメインにして、クイーン・アン様式の特徴である多角形の尖塔を加えた、オリジナルのデザインだった。
 濃緑が生い茂る森深くにこのような洋館が建っていたら――さぞ胸が躍るだろう。しかも、建てたのがミステリー作家となったら、怪しい雰囲気も漂う。
「思えば――」御堂はしみじみと言った。「私のミステリー作家人生は、この洋館を建てるためにあったのかもしれん。集大成のように感じるよ」
 建築家の葉山が御堂に目を向けた。
「まだまだ素敵なミステリーを書き続けてください。御堂さんの作品は読みやすくて、必ず驚きがあって、今では寝る前のお供になっています」
「ありがとう」
 間を置いてから畠中が言った。
「ところで、室内ドアに関してですが......」
 御堂はローテーブルの上に差し出された資料に目を落とした。
 一センチほどの厚みがあるカタログだ。英文字が躍る表紙にはアメリカのメーカー名があり、デザイン性が高い重厚な扉の写真が使われている。
「ご覧ください」
 彼女に促されると、御堂はカタログを手に取り、ページをめくった。
 惚れ惚れするドアの実例の数々――。
 茶褐色のドアにはヨーロッパの伝統的な彫刻がふんだんに施され、一目で高価だと分かる。
「問い合わせいたしましたが、先方から『数億の邸宅を建てられるお客様ですか』と訊かれまして」
「数億......」
 御堂は苦笑した。
 百万部を売るミリオンセラー作家でもあるまいし、数億という金額には現実味がない。
「つまり、それだけの豪邸を建てる客が注文するドア――ということだね」
「はい」畠中が少し残念そうに答えた。写真がプリントされている資料を提示する。「一応、御堂さんが好みそうな何点かのドアの値段を問い合わせましたが――」
 御堂はドアの写真の下にあるドル表記の数字に目をやった。
「こちらのドアでも八十万円です。もっと手の込んだ彫刻のドアですと、百万を超えてきます」
 御堂は再び苦笑いした。
「ドア一枚に百万は高すぎる」
 元々提示されていたパネルドアなら約一万円だった。文字どおり桁が違う。
「残念だが、見送るしかないな。最高の品には相応の金額が必要になることは仕方がない」
 御堂はスマートフォンを操作し、ウッドデコレーションの商品一覧を出した。壁面装飾用のレリーフで、材質はオーク。地中海産のアカンサスの葉をモチーフにしたデザインや、メダリオン形のデザインがある。
 三人にスマートフォンの画面を見せた。
「中国産だから値段も手ごろなウッドデコレーションだが、こういう装飾を購入して、ドアに付けることは可能かな?」
 眞鳥が「はい」とうなずいた。「それでしたら可能です」
「安くドアを飾れそうだな。妥協しよう」
 畠中が鞄に手を入れ、ドアノブを取り出した。アンティークゴールド色で、レバーハンドル形だ。
「ノブはこのような流線形のものを探しました」
 洒落たデザインは希望どおりだった。
「いいね」
「気に入っていただけて良かったです。そこでドアに付ける鍵なんですが......見栄えを考えると、普通のロックよりも、こういうものが似合うと思います」
 彼女が小箱から取り出したのは、先端が切り落とされたアンティークゴールドの釘のようなものだった。先がネジ状になっている。
 御堂は受け取り、手の中で転がすようにして確認した。
「これは――?」
「ノブの横に取りつける鍵です。プッシュしたらロックがかかって、外側からノブが回らなくなります。摘まみを回すタイプと違って、小さいから目立ちませんし、デザインに干渉しません」
「なるほど」
 徹底して洋館としてのデザインを考えてくれる。普通ならドアの鍵程度は、ありきたりの物を用意して終わりだろう。
 眞鳥が言った。
「次は地下に関してですが――地下を造るなら、全館空調を繋げたほうがいいと思います。夏場も冬場も快適に過ごせますよ」
「たしかにそうかもしれないな。ひんやりした地下も雰囲気があって魅力的だと思うが、現実問題として、不快だったらすぐに利用しなくなるだろう」
 今度は葉山が設計図を眺めながら言った。
「地下の天井高は百四十センチではなく、二メートルは欲しいとのお話でしたので、その前提で諸々、計算してみました」
「うむ」
「地下収納や屋根裏収納は、天井高が百四十センチ以下で居室として利用しないのであれば、階扱いにならず、床面積に含まれないんですが、それを超えると階扱いされます。御堂さんのお宅は二階建てですが、階数が三の扱いになって、排煙の計算が必要になってきます」
「なるほど、なかなか面倒なんだね。本格推理小説定番の"奇妙な建築物"はフィクションならでは――か」
「建築基準法など、かなり厳しく規定されていますから」
「"奇妙な建築物"はロマンだがね」
 本格推理小説の"館モノ"はジャンルとして確立しており、根強い人気がある。王道の洋館を舞台にした作品もあれば、奇怪な建物を舞台にした作品もある。えてして、閉鎖された空間で事件が起こる"クローズドサークル"になっている。吹雪で移動できなかったり、嵐で孤島に閉じ込められていたり、外と通ずる唯一の橋が落ちて脱出できなかったり――。
 誰も脱出できないということは、新たな部外者が現れないということでもある。作中に登場した人物の中に犯人も被害者もいる。きわめてフェアな推理劇――。
 幼少期から古今東西の"館モノ"に魅了されたものだ。小説の表紙に描かれた奇々怪々な洋館を見るだけでワクワクする。ミステリー作家として、フィクションの世界で"館モノ"を書くだけでは満足できず、実際にS県の森の奥に土地を購入し、洋館建設計画をひっそりと推し進めてきた。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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