もぐら新章 青嵐第一一回
第一章
3
楢山誠吾(せいご)は、道場新築の打ち合わせを終えて、金武や島袋(しまぶくろ)たちと沖縄県警本部に来ていた。
武道場を借りて稽古をするためだ。
今、金武道場は開店休業状態だが、師範代は腕を鈍らせるわけにも行かず、暇を見ては稽古を続けている。
普段は、道場跡地で青空稽古をしたり、地域の公民館を借りて稽古をしたりしている。
が、公民館で近隣住民の寄り合いがあったり、雨天だったりする時は、楢山の顔で県警の道場を使わせてもらうこともあった。
県警の道場を使用する時は、警察官たちも共に稽古していた。
琉球空手の猛者から受ける手ほどきは、犯人検挙の時に役立つ。師範代の者たちにしても、組み慣れた仲間たちとの稽古では得られない実戦感覚を試す機会になっている。双方にメリットがあった。
ただ、稽古の様子はいつもと違う。
通常なら、大きな気合いと骨肉を打つ激しい音が道場に響く。
だが、今は、ミットを打つ音や道着がすれる音、畳を擦る足さばきの音ぐらいしか聞こえない。
稽古している誰もがマスクをし、気合いは発さず、黙々と突きや蹴りを繰り出している。
中には、離れたまま向き合い、接することなくエア組手をしている者もいた。
これも、いまだ感染が収まらないコロナへの対策だ。なんとも異様な稽古風景だが、稽古している本人たちは意外と満足していた。
マスクをしたまま動くことは、低酸素状態で動くことにもなり、心肺機能が鍛えられた。
また、警察官たちは街中ではマスクを着けたまま仕事をするので、いいシミュレーションにもなっていた。
楢山も時折、型の稽古をしつつ、無理のない程度に汗をかいていた。
ひと汗かいて道場を出て、杖を片手に洗面所へ向かう。
「楢さん」
声をかけられた。
振り向く。中背だががっしりとした体格をしている目力の強い男が笑顔を向けていた。
刑事部組織犯罪対策課の比嘉知賢(ひがちけん)だった。
「おー、最近、稽古に来ないじゃないか」
「忙しくて」
「身体、鈍っちまうぞ」
「そうなんですけどね。ちょっと話できませんか?」
「かまわんよ。顔洗ってくるから」
「じゃあ、うちの部屋で待ってます」
比嘉は言い、組対課の部屋へ戻っていった。
楢山は洗面所でシャツを脱いだ。六十を超えてもなお、筋張った筋肉が鎧のように身を包む。胸元や背中には、歴戦の傷跡が生々しく残っている。
杖を立てかけて片足立ちのまま顔を洗い、首にかけていたタオルで顔と上半身を拭い、そのまま道場に戻った。
自分のスポーツバッグから着替えのシャツを出して、頭から被る。
「金武。ちょっと比嘉と話があるから、稽古終わったら先に帰っておいてくれ」
「わかりました」
金武は返事をし、稽古に戻った。
(続く)
Synopsisあらすじ
最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。
竜司のかつての戦友・楢山とともに、沖縄の暴力団組織「座間味組」や、沖縄の開発利権を狙う東京の「波島組」との戦闘を乗り越えた竜星だったが、親友の安達真昌とともに己の生きる道を模索していた。(もぐら新章『血脈』『波濤』)
そして今、沖縄随一の歓楽街に、不意の真空状態が生じていた。松山・前島エリアに根を張っていた座間味組は解散し、そのシマを手中に収めようとした波島組も壊滅状態。その空隙を狙うように、城間尚亮が、那覇の半グレたちの畏怖の対象だった渡久地巌の名を担ぎ出して、動き出したのであった……。
Profile著者紹介
1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が110万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。
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