もぐら新章 青嵐第三回

プロローグ(続き)

 またしても、歩みが頓挫した城間が将来を思い悩んでいた時、伊佐が短い刑期を終え、沖縄へ戻ってきた。
 伊佐は、城間にこう言った。
「巌さんが戻ってくるまで、俺たちで渡久地の名を守っていこう」
 伊佐が、巌に心酔している自分を使うための方便だとはわかっていた。
 しかし、城間の胸に響いた。
 重成が言うように、今や、渡久地ブランドは地に堕ちた。最近、松山や久茂地(くもじ)を闊歩している若い連中の中には、巌を知らない者までいる。
 知っている者たちも、巌や剛がいないのをいいことに、言いたい放題罵倒していた。
 剛はかまわない。自分と同い年だし、矜持の欠けらもないゲスな男だということは知っている。
 けれど、巌の名を汚されることだけは許せない。
 渡久地ブランドは、巌の存在そのものだ。
 伊佐は、渡久地をナメる連中を徹底して排除し、巌が帰ってきた時、松山を仕切れるくらいの資金力と暴力を手にしようと、城間を煽った。
 渡久地の名前を守り続けていたと知れば、巌に認められる。今度こそ、巌と共に熱い人生を生きられる。
 城間は熱く滾(たぎ)る思いを止められず、伊佐の申し出に乗った。
 そして、伊佐の下、裏風俗や裏カジノを経営している者を一人一人さらい、事業を丸ごと渡すか、共同経営者として利益の半分を上納するかと迫った。
 しかし、そこでも問題が起こった。
 伊佐は元座間味組の人間だが、今や組は跡形もなくなり、残党は別の組の者に狩られる始末。伊佐も沖縄に長居すると危ないため、ちょこちょこと島を出ていた。
 その間、先頭に立って動いているのが城間だ。
 城間は、経営者を落とす切り札として、渡久地の名を口にした。
 が、巌の名前を出しても怯えない者が多いことに愕然とした。
 放心と偏った渡久地愛はやがて激しい怒りに変わり、城間の行動は狂気を帯び始めていた。
 重成史人(ふみと)は、生まれこそ沖縄だったが、思春期は内地で過ごし、出戻ってきた男だ。
 東京のセクシーキャバクラ店で働いていた経験を活かし、沖縄に戻ってきて、松山の一角にある古いビルごと借り入れ、裏風俗を営んで利益を上げている。
 伊佐は、重成の築き上げた風俗ビルの利権に目を付け、城間に重成を落とすよう、島外から命じた。
 城間はさっそく重成を拉致し、たまり場に監禁して、利権を渡すか、共同経営者として利益を折半するかの二択を迫った。
 重成は痩せ気味でひょろりとしていた。眉は細く、唇も薄く、線の細い男だ。
 簡単に落とせると思った。
 が、さらってきて半日、寝ずに暴行を加えても、重成は二択のどちらをも拒否した。
 ほとんどの者は、プロボクサーだった城間の拳を受けた途端、格の違う暴力性に怯み、利益を折半する方を選んだ。利権を投げ出すよりは、少しでも自分にも利がある方を選択したというわけだ。
 利権のすべてを渡す少数派は、そもそも長く商売を続けるつもりがなかった者や、手入れが入りそうで逃亡しようとしている者のように、それなりの事情を抱えた人物ばかりだった。
 しかし、重成は城間の暴行を受けてもなお、拒み続けた。
 城間たちの目的は、重成を殺すことではない。利権を奪うことだ。殺してしまっては、面倒が増えるばかりで金にならない。
 重成にはそこを見透かされていた。
 城間は仲間と共に、時折休憩を挟みつつ、暴行を続けたが、重成が首を縦に振ることはなかった。
 城間は伝家の宝刀、渡久地の名前を出したが、重成は一向に怯えなかった。
 苛立ちが募っていた。
 そこに投げつけられた渡久地ブランドへの愚弄。何より、巌を侮辱されたことで、ふつふつと滾っていた怒りを抑えられなくなった。
 城間が重成に拳をくれるたび、頬骨を打つ音、肉を叩く音、声にならない呻きが店内に響く。
 骨が砕けたような音も聞こえたが、城間は一向に殴打をやめない。
 重成が座らされている椅子の周りは、飛び散った血糊で真っ赤に染まっていた。
 重成は叫ばなかった。いや、叫べない。
 最初の一発で気を失っているようだった。
 城間はサンドバッグを打つように、重成を殴り続ける。
「仲松さん! ヤバいですって!」
 村吉が小声で言った。
「じゃあ、てめえらで止めてこい!」
 仲松が村吉と桑江を睨む。
 三人は何もできず、おたおたしていた。
 と、城間は大きく右腕を引いた。深く腰を落とす。先ほどまでとは違う動作だ。
 重成を見ると、上体が若干前に傾いていた。
 城間は重成を見据え、腰をひねって、膝を伸ばすと同時に右拳を突き上げた。
 拳は重成の顎にめり込んだ。瞬間、重成の顔が半分ほどにひしゃげ、口から血幕が噴き出した。
 城間はそのまま伸び上がった。
 重成の体が浮いた。尻が椅子から離れ、宙を舞う。拳から離れた重成の体は弧を描いて、カウンターの奥にまで飛んだ。
 壁にぶつかって、けたたましい音を立てて棚板を破壊し、そのまま厨房に落ちる。
 重成の座っていた椅子が倒れる音を最後に、店内はしんと静まり返った。
 仲松たちは蒼くなった。
 桑江があわててカウンターの奥へ駆け込む。桑江の姿が一瞬消えた。
 そして、ゆっくりと立ち上がった桑江は、泣きそうな目で顔を横に振った。
「城間さん......。死んじまいましたよ」
 そういう仲松の声が震える。
「おまえら」
 城間が声を発する。
 三人は直立した。
「ナンバー2をさらって来い。このクソの死骸を見せつけりゃ、俺たちの言うことを聞くだろう」
「いや、でも......」
 村吉は狼狽して、城間とカウンターの奥を交互に見やった。
 が、城間は動じない。
「さっさと連れてこい!」
 強い口調で命じた。
 三人は逃げるように店を飛び出した。
 城間は三人を一瞥し、壁に寄せたソファーに腰を下ろした。かりゆしウェアで血にまみれた拳を拭い、ポケットからスマートフォンを取り出した。
 伊佐の番号を表示して、タップし、耳に当てる。
 三コールで伊佐が出た。
「もしもし、城間です。重成がなかなか首を縦に振らないんで、やっちまいました。すみません。今、ナンバー2をさらいに行かせてます。そいつは落とすんで、安心してください。重成ですか? こっちで処理しときますから、安心してください。それより、伊佐さん──」
 城間は上体を前に傾け、片ひじを太腿に載せた。
「ここいらで渡久地ブランドを立て直さねえと、とてもじゃないが、巌さんを迎えられないですよ。もし、巌さんがいいってんなら、俺が渡久地の名代として、那覇の同業者を全力で潰しますが。訊いといてもらえませんか、巌さんに。暴れていいかって。俺はいつでもいけますんで」
 そう言い、顔を上げた城間の両眼は、猛獣のようにぎらついていた。

(続く)

もぐら新章 青嵐

Synopsisあらすじ

最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。
竜司のかつての戦友・楢山とともに、沖縄の暴力団組織「座間味組」や、沖縄の開発利権を狙う東京の「波島組」との戦闘を乗り越えた竜星だったが、親友の安達真昌とともに己の生きる道を模索していた。(もぐら新章『血脈』『波濤』)

そして今、沖縄随一の歓楽街に、不意の真空状態が生じていた。松山・前島エリアに根を張っていた座間味組は解散し、そのシマを手中に収めようとした波島組も壊滅状態。その空隙を狙うように、城間尚亮が、那覇の半グレたちの畏怖の対象だった渡久地巌の名を担ぎ出して、動き出したのであった……。

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が110万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。

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