2019 04/17
日本ノンフィクション史 作品篇

第13回 アカデミック・ジャーナリズムの可能性①――平松剛『光の教会 安藤忠雄の現場』『磯崎新の「都庁」』と渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』『北の無人駅から』

■大宅壮一ノンフィクション賞とサントリー学芸賞

 この連載ではこれまで大宅壮一ノンフィクション賞を主な軸として議論を進めてきた。大宅賞の創設が“ノンフィクション”というジャンルの生成を促したことは間違いない。

 だが、大宅賞作家が別の賞を受賞するケースがある。1979年に大宅賞のあとに創設された講談社ノンフィクション賞のようにノンフィクションを対象とする賞であればそれも不思議はないが、ここで注目したいのは大宅賞とサントリー学芸賞のダブル受賞となるケースである。

 サントリー文化財団の主催するサントリー学芸賞は、講談社ノンフィクション賞と同じ1979年の創設。しかし、こちらは大宅賞とも講談社ノンフィクション賞とも毛色が異なる。同賞の公式ホームページには以下のように説明されている。

《広く社会と文化を考える独創的で優れた研究、評論活動を、著作を通じて行った個人に対して、「政治・経済」「芸術・文学」「社会・風俗」「思想・歴史」の4部門に分けて、毎年「サントリー学芸賞」を贈呈しています。》

 各学会でもそれぞれに奨励賞のようなものを持っているが、サントリー学芸賞は個々の学会を超えて受賞者を選ぶ。対象となるのも学会誌や紀要論文ではなく公刊された著書だ。その意味では大宅賞や講談社ノンフィクション賞と近いが、研究、評論に対して与えられる賞だという点が大きな違いだ。選考方法の説明でも《選考にあたっては、個性豊かで将来の期待される新進の評論家、研究者であること、本人の思想、主張が明確な作品であることに主眼が置かれます》とある。

 ちなみに大宅壮一ノンフィクション賞の説明はこう書かれている(2019年の執筆時の名称は「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」に変更されている)。

《戦前から戦後にかけて活躍したジャーナリスト・大宅壮一氏(明治33年~昭和45年)の半世紀にわたるマスコミ活動を記念し、昭和45年に「大宅壮一ノンフィクション賞」として制定されました(第48回から現在の名称に改めました)。対象期間に発表されたノンフィクションの中からもっとも優れた作品を顕彰し、広く世に紹介することを目的としています。》

“ノンフィクション”の言葉は大宅賞にしかなく、“研究・評論”の言葉はサントリー学芸賞にしかない。つまり大宅賞は優れたノンフィクションを選ぶジャーナリズム領域の賞、サントリー学芸賞は優れた研究、評論を選ぶアカデミズムの賞。そうした棲み分けがこうした説明文からはうかがえる。

■ジャーナリズムとアカデミズムはいつ分離したのか

 ジャーナリズムとアカデミズムは別もの――。それは私たちの日常的な実感にも沿ったものだろう。こうした分離はいつから意識されたのだろうか。

 京都学派を代表する哲学者の戸坂潤(とさか・じゅん)は、ジャーナリズムとアカデミズムについてしばしば言及している。三木清と並んでマルクス主義唯物論の影響を強く受けていた戸坂にとって、その二つはまずは現実=下部構造を描き出す文化=上部構造として位置づけられているが、その二つがそれぞれの内的な必然性に従って分離してゆくことが指摘される。

 たとえば『イデオロギー概論』(初版は理想社出版部、1932年。引用は『戸坂潤全集』第2巻、勁草書房、1966年より)ではまずジャーナリズムについてこう記す。入手が易くない文献なので長めに引いてみる。

《ジャーナリズムの特色は実は、その現実行動性・時事性(actuality)になければならなかったのである。と云うのは、それは、歴史の上からは現在性として、存在乃至事実の上からは現実性として、行為の上からは活動性として、生活の上からは社会性として、規定されねばならぬ。吾々の日常生活・常識の世界・の積極的な内容は恰もこうしたものなのである。常識の主体と考えられる公衆が、公衆として関心を持つ問題は実際、こうした規定によって理解出来る処の時事問題なのであって、時事問題とは言葉の通り、決して永久な問題ではあり得ない、公衆が健忘症である所以である。》(原文の傍点省略、以下同様)

 戸坂がジャーナリズムの特徴を示す言葉として拾い上げるものは、時事性、現実性、現在性……であり、「常識」の主体であり、その時々で時事に関心を示す公衆の理解可能な範囲で事実問題を取り上げるのがその活動だと考える。

 一方、アカデミズムについて戸坂はこう書く。

《アカデミズムは教壇という特殊な――一般的でない――社会的存在条件を仮定している。それが人々の一般的な日常生活の圏外に初めから逸していることを注意せねばならぬ。そこでは、常識は未熟なドクサとして、高貴な真理から峻別されねばならない。と云うのは、一定の学派的訓練によってしか見出されないような伝統的問題の解答としてしか、真理は真理として現われることが出来ぬ。アカデミズムは一般社会の現実行動的・時事的・な諸関心とは関係なく、アカデミーと呼ばれる特殊な社会圏だけにとってしか問題にならない問題に専ら関心を制限する。》

 アカデミズムは学派的訓練を通じて見出すことができる真理を扱うと考えられる。それは現実行動性や時事性と離れて日常生活の圏外で繰り広げられる、科学のための科学を追求する純粋な学術活動なのだ、と。こうした1932年時点での戸坂の記述は、時代の違い、依拠する主義主張の違いを超えて、今の私たちの常識的なアカデミズム観、ジャーナリズム観ともほぼ重なるのではないか。つまりジャーナリズムとアカデミズムは一種の、水と油のような位置関係にある。

 戸坂はこうした分離が望ましいものだとは考えていなかった。まずジャーナリズムの問題を次のように指摘する。

《元来ジャーナリズムは常に話題(Topik)に上り得るものでなければならない。話題とは凡ゆる部門的な分科的な事物が、言葉という共通な場処(Topos)をめざして集まることを示唆する言葉である。この集まる場処は市場の外ではなく、そこで一切の知識が交換され(ニュース・評判)、訂正総合され(議論)、又誇張されたり捏造されたりする(虚偽)。かくて常識――ドクサ――が養成される、神話や世論が出来上るのである。》
《かくて現代に於けるジャーナリズムは元々それが持っていた無定見性の可能性を実現し、センセーショナルでトリビアルなものとなる。そうしなければ商品価値を生じ得ないのである。だがそれだけではなく、そうなることによってジャーナリズムはそれに固有な当面性・実際性を失って了わねばならなくなる。それは現実行動的・時事的・性格――世論の指導・評論能力――を犠牲にせざるを得ない。》

 資本主義社会でジャーナリズムは市場原理で動いており、情報に商品価値を与えようとして必然的にセンセーショナリズムに傾き、時に誇張や捏造を経て現実=下部構造から遊離したドクサ――この場合は「常識」というよりも「臆見」あるいは「偏見」と呼ぶべきだろう――や「神話」を生み出す。これもマルクス主義の文脈に依らずともうなずける内容である。確かに、自由主義的な近代ジャーナリズムは政治と報道が分離しうる資本主義圏でなければ成立しえないが、それは同時に商品性を重視した報道内容の選択や刺激性を強調する演出とジャーナリズムの理念との間に、不調和を生じさせる問題を抱え込むことになる。

 一方でアカデミズムについては《現代に於けるアカデミズムは、主として現代に於ける大学の本質によってその実質を決定されている》と指摘したあとで戸坂はこう書く。

《かくてアカデミーの機能――それがアカデミズムである――は、この大学の本質・国家機関としての機能によって、一定の予め可能であった方向に実際に歪められて来る。アカデミズムは元々それが持っていた自己の固定化・惰性化の可能性を愈々(いよいよ)実現される、そうでなければ之に反動的な役割を容易に課すことは出来ない。処が次にアカデミズムはその反動的役割の内に、今や自らの学的価値をさえ自覚しようと欲する。そうなると之はもはや単なる固定化や惰性化ではなくて、その生命であった基本性・原理性の喪失でなくてはならぬ。アカデミズムは完全な廃頽物となって了うのである。》

 アカデミズムは大学という制度の中に縛られ、固定化、惰性化し、現実=下部構造を穿つ原理を追求する姿勢を喪失しがちだ。そしてその喪失に問題意識を持つどころか、そこにこそ自らの学的価値があると思い込むようになる。戸坂は西田幾多郎、田辺元に学び、その後を継ぐ京大アカデミズムの俊英と見なされていたが、師の哲学をも厳しく批判したその姿勢はアカデミズムそのものにも容赦なく向けられる。

■ジャーナリズムとアカデミズムの反目

 こうしてジャーナリズムとアカデミズムは、それぞれの特性ゆえにそれぞれの問題に必然的に帰着する――。それが戸坂の見立てだ。

 そして困ったことに離反した両者は大きく広がった違いを巡って相互に攻撃しあう。戸坂によれば《アカデミズムはアカデミズムで歴史的社会の必然的運動から愈々全く無関係に高踏化して行くし、ジャーナリズムはジャーナリズムで又之とは独立に、この運動を断片的な諸刹那に分解することによって愈々この運動を見失って了うが、その結果として、この二つのものは、相互を傷つけるようにしか作用しない状態に陥って了っている》。

 この指摘は今なお古びていない。アカデミズム界の住人が、俗に流れがちなマスコミ関係者を見下し、逆にジャーナリズム側ではアカデミズムの人々の世間離れを嘲笑することは繰り返されつづけている。たとえば東京大学新聞研究所教授だった杉山光信は『学問とジャーナリズムの間――80年代イデオロギー批判』(1989年)でこう書いている(「知識人の現在と公共性」、初出は『放送学研究』第39号、1989年3月)。

《アカデミズムの側からみれば(ジャーナリズムは――引用者註)知的生産物の水準や品質の管理が十分でないということになる。しかし、輪郭がはっきりせずルーズであるがゆえに狭い専門領域をこえた一般的・普遍的なことを話題にし、討論にかけることのできるジャーナリズムの側からいえば、なるほど狭い専門領域については高度の能力をもち情報に通じているかも知れないが、密室化したその専門領域から一歩ふみだすとあとのことはわからない象牙の塔の住人も困ったものだということになるだろう。》

 この《ジャーナリズムとアカデミズムとのあいだでごく一般的にみられる相互反発》について指摘した杉山の一文は、“ニュー・アカデミズム”の旗手としてジャーナリズムにもてはやされていた文化人類学者・中沢新一を、教員として採用するかどうかで東大教養学部の教授会が分裂した一件をきっかけとして書かれたものだが、類似の事例はあとを絶たない(最近は少子化で入学生確保に苦しむようになった大学が、一定程度の数がいるだろうと期待されるマスコミ志望者の受験先に選んでもらおうと、名のあるジャーナリズム企業に所属していたマスコミ人を教員に招くことがあるが、これは学生募集という別の次元から生まれた動きであり、ジャーナリズムとアカデミズムの間に本質的な和解があったわけではない)。ジャーナリズムとアカデミズムの不幸なすれ違いを指摘する戸坂の1932年の論文は、彼が逮捕され、獄死(1945年)してから74年経っても、なお色褪せていない。

 だからこそ、戸坂がそうした分断に相互憎悪が折り重なる悪循環の状況への処方箋としていち早く書いていた内容は傾聴に値するといえないか。

《両者は元来、基本的・下部構造的・歴史的社会の発展の運動形式に対する、上部構造・イデオロギーの、取り得べき二つの運動態度でなければならなかった。それは元々、歴史的社会の運動をイデオロギー的に促進せしめるための、相互に補い合う筈の二つの極から成立っているメカニズムだったのである。……ジャーナリズムの欠陥はアカデミズムの長所に、アカデミズムの欠陥はジャーナリズムの長所に、元来は対応する筈である。アカデミズムは容易に皮相化そうとする(原文ママ)ジャーナリズムを牽制して之を基本的な労作に向わしめ、ジャーナリズムは容易に停滞に陥ろうとするアカデミズムを刺戟して之を時代への関心に引き込むことが出来る筈である。アカデミズムは基本的・原理的なものを用意し、ジャーナリズムは当面的・実際的なものを用意する。
 イデオロギーの二つの本質的な契機としては、ジャーナリズムとアカデミズムとは正に以上のような有機的な連関にあり、又そうなければならぬ。》

 前置きが長くなったが、こうして戸坂が示していたジャーナリズムとアカデミズムとが切磋琢磨しあう関係を考えるうえで、大宅賞とサントリー学芸賞をともに受賞している書き手に注目してみたらどうかと思うのだ。(以下次回、「平松剛『光の教会 安藤忠雄の現場』」)

武田徹(たけだ・とおる)

1958年東京都生まれ。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。国際基督教大学大学院比較文化専攻博士課程修了。80年代半ばからジャーナリストとして活動。専門は社会学、メディア論。著書に『流行人類学クロニクル』(日経BP社、サントリー学芸賞)、『原発報道とメディア』(講談社現代新書)、『暴力的風景論』(新潮選書)、『日本ノンフィクション史』(中公新書)など。